荒野の茜蛍

旅支度


 蒼天の洞窟を出たマルティナ達は、キエイ山でもう一晩野営をしつつ、無事に下山を果たし、そこから一番近い町であるカーパに訪れていた。順番は前後するかたちになってしまったが、町でマルティナの旅支度を整えることにしたのだ。


 カーパの道具屋はこじんまりとした店内の割には品揃えが豊富だった。生活用品だけではなく、薬草や用途不明な置物など様々な物が、玉石混淆ぎょくせきこんこうといった感じで所狭しと並んでいる。


「へー、予想以上に色んな物が売ってるよ」


 エヴァンは店内の奥に設けられていた寝袋など冒険用品の陳列箇所で足を止めると、驚いた様子で目を見開いた。


「すごいな。ここいらのコーナーは店の中でも特に充実してるぞ。カーパは小さい町だし、冒険者の道具みたいな専門的な物は売ってないかもしれないと思っていたけど、ここで全部買いそろえられそうだ」


「本当にすごいですよね、このお店。さっきちらりと見えたんですけど、少しだけ魔法用品も売ってました。一般の道具屋で仕入れるのは結構難しいはずなので、きっと店主さんがやり手なんでしょうね」


 マルティナは塔に引きこもっている間、月に一度のペースでカーパへと買い出しには来ていた。とはいえ、買うのはもっぱら食料品だけだったので、この店に入るのは初めてだった。


 可愛らしいインテリアも売っていたし、一度立ち寄ってみればよかったな。そうすれば塔での生活だって、もう少し華やかなものになっていたかもしれない。

 今更ながらそんな後悔をしつつ、マルティナはそっとカウンターの方を見やる。

 そこには店主であろう齢七十くらいのはげ頭の老人が、うつらうつらと船をこぎながら座っていた。顔や頭だけ見ると、どこにでもいるお爺ちゃんといった感じであったが、小さな顔の割には首が太く、骨格もがっしりとしていて、ただ者ではない雰囲気を醸し出している。


「よし、マルティナのお墨付きももらえたことだし、ここで全部買うことにしよう」


 エヴァンもこの店を気に入ったようだ。機嫌良さげに鼻歌を口ずさみながら商品の物色を始めた。


「シシ肉も高値で売れたことだし、せっかくだからパーッと使っていい道具でも買いそろえようか。ほら、この方位磁石なんか首都のマドベルで流行はやってるブランド物だぜ」


「いやいやいや、そんなのもったいないですよ。わたしみたいなミジンコには安物で十分です。それに方位磁石なんて高級品だろうが安物だろうが方角さえわかればいいわけですし――」


「お客さん、あなた方は冒険者なんですかい?」


「うわっ!」


 話している途中で不意に背中から声をかけられ、マルティナは驚きの声をあげてしまう。振り向いて声の主を確認すると、先ほどまでカウンターに座って居眠りをしていたはずの店主の老人が、いつの間にかマルティナ達の背後に立っていた。


「ああ、たしかにおれ達は冒険者ですけど……なにかご用命ですか?」


 マルティナとは異なり、エヴァンは驚いた様子もみせずに店主に尋ねる。

 すると、店主は「いえいえ」と小さく笑いながらかぶりを振った。


「依頼したいことがあるわけじゃないんです。ただ、冒険者ならばいい物を身につけた方がよろしいかと老婆心ながらに思ったまでです。とくに方位磁石はね」


「それはどういう意味で……?」


「いえね、わたしも過去に方位磁石で痛い目に遭ったもんですからね。ほら、ここからちょいと西に行くとだだっ広い荒野がありますでしょ?」


 店主はにこやかな笑みを浮かべながら西側を指さす。さすがは商売人といった感じの愛想のいい笑顔だ。


「カラサ荒野というんですが、そこで方位磁石が壊れてしまい、死にかけた経験があるんです。ですから、少なくとも方位磁石だけは、お金を惜しまずに質のよい物を購入すべきかと」


「あー、あそこの荒野ってなにも目印になるものがないからな。そんなところで方角がわからなくなったら、たしかに大変かも」


 エヴァンは話題に上がったカラサ荒野に足を踏み入れたことがあるようで、納得した面持ちでうなずいている。


「でも、店主さんはなんであそこの荒野なんかに入ったんですか? おれも不毛の大地と呼ばれる場所がどんなところか気になって行ってみたことはありますけど、モンスターが出ないとはいえ、好き好んで立ち寄る場所ではないと思うんですが」


「隣国のローズダムで仕入れをしているからですよ。一応南に迂回路があるんですが、そこを行くより荒野を突っ切ったほうが格段に早いですからね」


 ローズダムはウィギドニアよりも物価が安いことで有名だ。関税もほとんどかからないと聞くし、労して国境を越えるだけの見返りがあるのだろう。

 エヴァンもその考えに至ったようで、パチンと指を鳴らした。


「なるほどねえ。それでここまで商品が充実してるってわけか。しかし、なんでその中でも冒険者の道具が一番品揃えがいいんです? この近くには大手の冒険者ギルドの出張所なんかはなかった気がするけど」


「そりゃあ落雷の塔のおかげです。あの塔が建ってから、ひっきりなしに冒険者がやってくるようになりましたからね。卑しい話、こちらとしては稼ぎ時ってわけです。どこの誰があの塔を建てたのかは知りませんが、わたしはその方に足を向けて寝られませんよ。わたしにとっちゃ福の神みたいなもんですからね」


 落雷の塔を建てた張本人が目の前にいるとは露ほども思っていない店主は、マルティナのことを間接的に神様扱いし始めた。


 まさか、自分のネガティブな性格がこんな影響を及ぼしているなんて……。

 賞賛の言葉を黙って聞いていたマルティナは、居たたまれない気持ちでいっぱいになっていた。


「というか、あなた方も落雷の塔を攻略しに来たんじゃないんですかい?」


「あー……」


 店主の問いかけにエヴァンは正直に答えていいのか迷っているようで、ちらりとマルティナの方を見る。

 それを受け、マルティナは思い切り首をぶんぶんと横に振った。


 マルティナとしては、自分があの塔を建てて、そこで暮らしていたということはあまり教えたくなかった。とくにこの店主には知られたくない。だって、店の景気をよくした福の神みたいに思っている人物が、じつは引きこもりの落ちこぼれ魔女だったなんて知ったら落胆するに決まっているじゃないか。

 エヴァンはがさつそうにみえて他人の気持ちを察せられる人だ。ここはきっと真実は伏せたうえで、店主の話に対して適当に合わせてくれることだろう。

 そう思っていたマルティナだったが――


「驚くかもしれませんが、じつはここにいるマルティナが、あの落雷の塔を建て――」


「いやいやいやいや!」


 予想に反し、こちらの気持ちを微塵もくみ取ってくれてなかった!


 マルティナはエヴァンの言葉を大声で遮るも、そんなふたりのやりとりを見ていた店主は訝った目を向けている。

 なんとかうまいこと誤魔化さなければ。マルティナは引きつった笑みを浮かべながらも、とっさに話題をすり替えた。


「あ、あはは。じつは、わたし達はそういう塔の調査とは関係なく、ウィギドニアにある絶景を巡る旅をしてるんですよ。――そうだ! 店主さんはなにか知りませんか? この近くで絶景が見れる場所」


「ほう、それは面白い。しかし、それならなおさら落雷の塔がよろしいんじゃないですか? あそこはいまやこの地の名所になってますからね。一度はその目でご覧になったほうが――」


 話をそらしたつもりが、まさかの落雷の塔リターン!


 さらに気まずさを感じることになるかと思いきや、ふと言葉を途切れさせた店主は、なにやら考え込んだ後、こんなことを言い出した。


「――いや、先ほど方位磁石の話も出ましたからね。もしかするとこれは、わたししか知らない絶景を、あなた方にお教えしろという神の思し召しかもしれませんね」


「店主さんしか知らない絶景!?」


 店主の言葉に食いついたのは、もちろんエヴァンだ。その目はキラキラと輝いており、まるで初めて間近で観劇をした少年のようである。


「そこまで興味を持たれると、期待外れになってしまうかもしれませんよ。それに昔の話ですから、現在もそこにあるのかすら定かではありませんし」


「それでも構いません。是非教えてください!」


 エヴァンがあまりにも前のめりになって話を促すので、店主は苦笑しつつも語り始めた。


「わかりました。それではお話しいたしましょう。荒野で見た蛍の話を――」

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