世界の境界線にて


 朝食を終え、再び獣道を歩き続けたマルティナ一行いっこうは、太陽がちょうど真上に昇ったころに目的地へとたどり着いた。


 そこは不思議な空間だった。

 後ろを振り向けば木々が生い茂っているのだが、前方は岩肌がむき出しで、いま立っている所を起点にして一切の緑がなくなっているのだ。まるでこの場所が世界の境界線であるかのようだった。

 岩場の一カ所にぽっかりと大きな穴があいており、どうやらそこが蒼天の洞窟の入り口らしい。ただ、洞窟に入る前から、この不思議で壮大な眺めにマルティナは圧倒されていた。


「見事なもんだろ?」


 マルティナが言葉を失っていると、エヴァンがいかにしてこんな状況になったのかを解説し始める。


「キエイ山ていうのは活火山なんだ。そして蒼天の洞窟は、溶岩洞っていって、簡単に言うとマグマが冷えて固まってできたものなんだ。つまり、何百年、何千年も昔にキエイ山が噴火した際、マグマがちょうどここまで流れて山頂付近の木々を飲み込んで固まったから、こうして境界線みたいに綺麗に岩場と緑地とが別れてるってわけさ」


「なるほど……」


「さてと――」


 この場所の説明を終えると、エヴァンはザックから手帳とペンを取り出す。そして、なにやら熱心に書き始めた。


「なにをしてるんですか?」


「この場所のことを詳しく書いてるんだ。ここは以前来たことはあるんだけど、変わったところや改めて感じたことなんかもあったんで、それらをとりあえずメモしておいて、後でまとめようと思ってね」


「へえ。ということは、いままでエヴァンさんが訪れた他の絶景ポイントについても記録に残してるんですか?」


「まあね」


 エヴァンは記帳していた手を一旦止めると、誇らしげに手帳のページをパラパラとめくってみせる。


「これまでにおれが見てきて美しいと感じた景色のことや、誰も知らない秘境についてだってここには全部書かれてるんだ」


「それはすごいですね。よかったら、その手帳ちょっと見せてもらえませんか?」


 マルティナとしては、純粋にその手帳にどんなことが書かれているのか興味がわいただけである。エヴァンだって誰かに読んでもらうために書き記しているわけだろうし、快く見せてくれるものだと思っていた。

 しかし、実際のエヴァンの反応はマルティナの予想とは違っていた。


「悪いけど、それはちょっと無理かな」


 拒絶の言葉をぽつりと発すると、エヴァンは再び手帳にペンを走らせたのだ。


 エヴァンは自由奔放な人ではあるが、こんな駄魔女を仲間として受け入れ、これまでずっと気を遣ってくれていた器の大きい人でもある。そのエヴァンに完全に断られ、これまでずっと役立たずだったからついに見放されてしまったんだとマルティナはネガティブな考えに至っていた。


「そ、そうですよね……。炎もろくに出せない駄魔女なんかに、大切な絶景ポイントや秘境の場所を知らせたくないですもんね。それにわたしみたいにずっと引きこもっていた無知な人間に、いままで見た景色がどんなに絶景だったか説明したところで理解できるわけないですしね」


「あー、そういうわけじゃなくってさ……」


 エヴァンは帳面に目を落としたまま言いよどむ。

 さすがのエヴァンも図星を突かれて反論できないんだとマルティナはショックを隠しきれなかったのだが、ふとあることに気づいた。エヴァンの十数メートル後方の草場がガサゴソと揺らいでいたのだ。


 なんだろうと気になって、そちらを注視してみたそのときだった――

 ――その草陰からイノシシ型のモンスターが飛び出し、まっすぐこちらへと突進してきたのだ。


 瞬間的に今朝のエヴァンの言葉を思い出す。


 ――昨晩、寝てる間にイノシシ型モンスターが2匹ほど襲ってきたから、返り討ちにして1匹は仕留めてやったんだ。


 仕留め損なったもう一匹が片割れの敵討ちのために強襲してきたに違いなかった。しかし、エヴァンはモンスターの存在に気づいてないのか、ずっと手帳にメモを書き続けている。もう声をかける間もない。


 とっさに体が動いていた。


 マルティナはモンスターに向けて手をかざす。すると、魔力が巡った手のひらは一瞬にして熱くなり、そこから握りこぶしほどの大きさの球状の炎がひとつ放出された。

 勢いよく放たれた炎は、まっすぐにモンスターへと飛んでいき、見事鼻先に命中する。その結果、突っ込んできたモンスターの足を止めることに成功した。


「おお!」


 魔法を目の当たりにしたエヴァンが感嘆の声をあげる。それから、マルティナの手をとると、魔法が発動できたことを自分のことのように喜んだ。


「マルティナ、ちゃんと魔法が使えてよかったじゃんか! 昨日からマルティナが炎を出せなかったことを気にしているみたいだったから、おれさ、ずっと心配してたんだよ」


「あ、いや、そんなことよりも、モンスターが……」


 発動速度を重視したので、そこまで魔力を込められなかった。そのため、怯ませこそしたが仕留めるには至っていない。すでに体勢を立て直したモンスターは、再びこちらに向かって突進を始めていた。

 だが、マルティナはエヴァンに手を握られているため追撃できない。


「エヴァンさん! 後ろ!」


「ん? ああ、大丈夫、大丈夫」


 危機的状況にマルティナが声を張り上げるも、エヴァンはふっと不敵に笑ってみせる。しかし、その背後には、もうモンスターがすんでの所まで迫っていた。


 ――もうダメだ。


 マルティナが死を覚悟した刹那のことである。握られていた手がふと緩んだと思ったら、エヴァンはくるりと体を翻させてモンスターに向き直ると、右拳をモンスターの眉間に叩きつけたのだ。

 エヴァンの強烈な鉄拳をカウンターでもらったモンスターは、どさりとその場に横転すると、ぴくりとも動かなくなった。


「しっかしラッキーだよなぁ。旅を始めるに当たってマルティナの寝袋とかも買わなくちゃって思ってたところだったからさ、このシシ肉や毛皮をカーパの町ででも売れば、おつりがくるくらいの旅の資金が手に入ると思うぞ」


 エヴァンは何事もなかったかのように鼻歌交じりでショートソードを抜くと、モンスターの胸の辺りを突いて血抜きをする。その手際はまるで本業の狩人のようで、獣類の解体も慣れたものなのが一目瞭然だった。


 その光景をぼんやりと眺めていたマルティナは、やっぱり自分はなんの役にも立てないんだと感じていた。

 そもそもエヴァンは熟練の冒険者なのだ。モンスターとの戦闘なんて日常茶飯事のはずである。いまだって、こちらが魔法なんか使わずとも、あっさりと返り討ちできたのだろう。唯一の特技ともいえる魔法でですら役に立てないと悟り、マルティナはひとり落ち込んでいた。


 そんな中、あっという間にモンスターを解体し終えたエヴァンが、捌いた肉などを近くにあった大きな葉っぱにくるんでザックに詰めると、代わりにランタンを取り出してマルティナへと手渡した。


「ちょっとしたトラブルはあったけど、いよいよお待ちかねの洞窟内部に入るから、このランタンに火をつけてくれるか?」


「え……でも、魔法なんか使わなくても、マッチがあるじゃないですか……」


「ああ。だけどおれはマルティナに火をつけてほしいんだ」


 エヴァンなりに気を遣ってくれたのだろう。

 丸1日接してみて、でたらめだと感じていたエヴァンの人柄もそれなりにつかめてきた。エヴァンは、楽観的で自由奔放な性格であることは間違いないのだが、そのじつ観察眼が鋭く、人の心の機微を感じ取れる人なのだ。


「それに、ほら、魔法使えばマッチ代が浮くし」


 うん。前言撤回。


 ただ、その本音なのかどうかわからない理由を聞いて、マルティナは思わず吹き出していた。

 もしかしたら買いかぶりすぎかもしれないが、こうしてこの場を和ませるために言ってくれたのかもしれない。そんなエヴァンの優しさに触れ、マルティナは表情を緩ませるとこくりとうなずいてみせた。


 早速、マルティナがランタンに手をかざすと、昨日とは打って変わって瞬く間もなくボッと火がともる。


「おおー、サンキュー」


 エヴァンは明かりがついたランタンを受け取ると、あいている方の手で再びマルティナの手を握った。


「じゃあ、行こうか。洞窟の中は暗いから、おれの手を離さないでな」


 塔から連れ出してくれたときと同じだ。ネガティブなことを考えていたはずなのに、ぐいぐいとエヴァンのペースに乗せられてしまい、最終的には新しい一歩を踏み出している。

 ある意味で強引といえるだろう。ただ、強引だといっても、エヴァンのそれは人の気持ちを無視して推し進めるものではなく、逆に秘めた気持ちを引き出してくれているように感じていた。


 だからこそマルティナは、つい先ほどまで落ち込んでいたのにも関わらず、エヴァンに引っ張られる形で洞窟内へと足を踏み入れたのだった。

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