見張り番


 汚名返上のチャンスは意外にもすぐにやってきた。


「マルティナも歩きっぱなしで疲れたろ。これ貸すから使いなよ」


 食事を終えたエヴァンは、そう言ってザックから寝袋を取り出すとマルティナに渡してきたのだ。


「え、でも……わたしがそれを使っちゃったら、エヴァンさんはどうするんですか?」


「おれ? おれは寝ずの番をしてるから気にしなくていいよ。キエイ山はいくつかのモンスターの生息地でもあるからな、念のために」


「そんなの悪いですよ。ていうか、モンスターがいるようなところで、ひとりで野宿していたときはいままでならどうしてたんですか?」


「ひとりのときは、深くは眠らないようにして、なにかが近づいたらすぐにわかるようにしてたな。でも、いまはこうしてマルティナとパーティーを組んでいるわけだし、より安全な方法をとったほうがいいだろ?」


 まただ。

 また足手まといになっている。もちろん、最初から自分が役に立てるなんて思ってはなかった。だけど、これ以上エヴァンに迷惑をかけるわけにはいかない。

 そう思ったからこそ、マルティナは渡された寝袋をエヴァンへと突き返していた。


「わたし、大丈夫ですから。エヴァンさんが寝てください」


「え? でも、マルティナだって眠いだろ? おれは1日くらい寝なくっても平気だから、きみが寝てくれよ」


「いえ、平気です。わたし、これでも一応魔女なんで夜型なんです。だから逆に目が冴えちゃって」


 嘘だった。

 魔女というのは先天的に魔法を使えるというだけで、ほかはふつうの人間となんら変わりない。つまり、魔女だから夜に強いなんてことはなく、まったくのでたらめだった。さらにいうなればマルティナは疲労がたまっていたこともあり、現時点で眠気がさしていた。

 それでも寝袋を借りるのを断ったのは、これこそ汚名返上の絶好のチャンスだと思ったからだ。寝ずの番をして、エヴァンにぐっすりと休んでもらうことで、これまでの失態を取り返せると考えていたのだ。


 一方のエヴァンは、どうしたものかと悩んでいる様子だった。しかし、これ以上どちらが寝るのかを譲り合っても互いに休む時間が減ってしまうだけだと判断したのだろう。しばらく考えた後、こんな提案をした。


「それじゃあ、寝るのを交代制にしようじゃないか。おれが最初に寝かせてもらうから、マルティナは見張りをしていてくれ。で、マルティナが眠くなったら、おれのことを起こして、今度はおれが見張りをするんだ」


「わかりました、そうしましょう」


 マルティナはすんなり了承してみせたが、実際はエヴァンを起こす気はなかった。交代してしまっては、結局自分が役に立ててないと思ったからだ。


「焚き火もあるし、聖水も周囲にいといたから、弱いモンスターは近寄れないとは思うけど、それらを怖がらないモンスターも中にはいるから、なにかあったらすぐにおれを起こしてくれよ」


 そう言うとエヴァンは寝袋の中に入って横になる。

 マルティナはその姿を確認すると、焚き火の前にして見張りを始めた。


 見張りといっても、ここは山の中である。しかも夜中なので、焚き火の明かりが届かないところは真っ暗闇なわけで、なにかがいてもすぐにはわからないだろう。


 心許ない光源しかない空間。


 その空間に男女がふたりだけ。


 もしエヴァンが急に襲ってきたら――


 ふと自分の置かれている状況を客観視してみて、否が応でも扇情的な妄想に駆り立てられていた。そして、自分自身がしたみだらな妄想でマルティナは勝手にひとりで緊張していた。

 そんな妄想に至ったのは、べつにマルティナの色欲が強いからというわけではない。魔女は男性と肉体関係を結ぶと魔力が枯渇してしまうという教えを思い出していたからだった。


 今更ではあるが不用心だったかもしれない。万が一エヴァンに襲われたら、自分の唯一のアイデンティティーである魔法を一生使えなくなってしまうのだから。

 マルティナがそんな不安を覚えていると、不意に「ガァー」と怪獣の鳴き声のような音が周囲に響き渡った。


 モンスターが現れたのかと、マルティナは動揺しながらも腰を浮かせて辺りを警戒する。しかし、近くにモンスターの気配は感じない。それなのに、その鳴き声は相変わらずすぐ側で聞こえてきていた。

 そして、マルティナはその鳴き声の主にようやく気づく。


 ――エヴァンである。怪獣の鳴き声だと思ったそれは、エヴァンのいびきだったのだ。


 モンスターが現れたわけではないとわかり、安心したマルティナはほっと胸をなで下ろす。同時にエヴァンのことを少しでも疑ってしまった自分を恥じていた。

 魔女の学校では男性には注意するように口酸っぱく言われていたが、少なくともエヴァンは女性を無理矢理手込めにするようなことはしないだろう。

 根拠はないがそう思った。誰かと関わることを恐れ、ずっと塔に閉じこもっていた中、こうして仲間として受け入れてくれたエヴァンのことをマルティナは信じたかったのだ。


 ……それにしても、こんな高いびきをかいて寝るなんて、なんだかんだでエヴァンも相当疲れていたのだろう。


 ただ、よくよく考えればそれも当然のことだった。なにせ午前中は落雷の塔を、午後はキエイ山をずっとのぼっていたのだ。いくらエヴァンが凄腕の冒険者だとしても、1日中ダンジョンの中にいたら疲労も蓄積するだろう。

 それなのに食事の準備をしてくれたり、寝袋を使うように言ってくれたり、ずっとこちらに気を遣ってくれていたのだ。マルティナは改めてこれ以上エヴァンに迷惑をかけたくないと思った。


 だからこそ、きちんと見張りをして、エヴァンにぐっすりと休んでもらうんだ。

 そう心に決めていたはずだった。

 しかし、マルティナも初めての冒険に相当疲れていたのだろう。固い決心とは裏腹に、すぐにうつらうつらとしてしまい、いつの間にか寝入ってしまっていた。

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