ひとりよりも
結局、1日では蒼天の洞窟にたどり着くことはできなかった。そのため、マルティナ達は開けた場所で野営する準備をおこなうこととなった。
とはいえマルティナは、こんな山道を歩き続けたのは初めてのことである。体力は限界で、なんの手伝いもすることもできずに地べたに座り込んでいた。
自分から「ペースアップして頑張りますから!」なんて宣言しておきながら、このざまだ。足手まといになるのは初めからわかっていたはずなのに、このままなんの役に立てなかったら呆れられてしまうと、マルティナは内心あせっていた。
一方エヴァンはというと、近辺に落ちている枝や木の葉なんかを集めていた。
「よし、それじゃあ
焚き火をすると聞いて、マルティナは思わず立ち上がっていた。
「エヴァンさん、ちょっと待ってください!」
「ん? どうかした?」
「火をつける役目はわたしに任せてください。ほら、わたし魔女ですから、炎を出したりもできるんですよ」
「ああ、そういえばそうだったっけ」
そうだったっけって……。もしかして、魔女であることをいままで忘れられていた!?
マルティナは軽くショックを受けていたが、そんなことは気にもとめていない様子のエヴァンが話を進める。
「それじゃあ、点火はマルティナにお願いしよっかな。ここに火をつけてもらえるか?」
「わかりました!」
マルティナは、自身の唯一ともいえるアイデンティティーを取り戻すべく、指定された薪に向かって張り切って手をかざした――
――が、出ない。かざした手の先からは、炎どころか、
「あれ? おかしいな……。いつもならこれで出るんですけど……。ちょっと待っててくださいね。もう少し時間をいただければ、すぐに火がつくと思うので」
言い訳染みた言葉を並べながらも、焦燥感がマルティナを襲う。
とにかく早く炎を出さなければと、マルティナは集中するべく目を閉じて、手のひらに魔力を込めた。
しかし、それでも出ない。
エヴァンの視線があるためか。それとも体力を消耗してしまったせいか。どちらが原因かはわからないが、どんなに魔力を込めても結局火をともすことはできなかった。
「本当にごめんなさい。わたし、これくらいでしか役に立たないのに……」
「いやいや、謝んなくっていいって。そもそも魔法を使わなくっても火はつけられるわけだし」
落ち込むマルティナに、エヴァンは気に病む必要はないと一笑する。そして、ザックからマッチを取り出すと薪へと火をつけた。
「さ、マルティナも歩き続けて腹が減ったろ? 道中でキノコや山菜を摘んでおいたから、それでも焼いて食おうぜ」
「は、はい……、すいません……」
まさか食料の調達までしていてくれているとは……。なにからなにまで頼りっぱなしで情けなくなってきた。
それでも人間というものは空腹には勝てないものである。キノコの串焼きと、山菜のスープが出来上がると、マルティナの腹の虫がぐうぐうと鳴き声をあげていた。
「それじゃあスープから食ってみてくれ。味付けは醤油と塩だけだから、ちょっと薄いかもしれんが」
種類でいえばすまし汁というやつになるのだろうか。エヴァンから受け取ったお椀の中には、透明なスープの上に名前も知らない葉っぱと細切りにされたキノコが浮かんでいた。
メガネを曇らせながらも、お椀に直接口をつけて、ずずっと一口飲んでみる。
――見た目通りの薄味だ。現地で調達した食料でササッと作ったのだから、それも仕方ないことだといえよう。ただ、そんな薄いスープを飲んでマルティナは、思わずつぶやいていた。
「おいしい……」
嘘じゃなかった。山道を歩き続け疲れ切った体に、暖かいスープが染み渡っていくような感じがしたのだ。
「それじゃあ、こっちのほうも食べてくれよ」
自分が作ったスープを褒められて上機嫌なエヴァンは串焼きにしたキノコを薦めるも、唐突に真面目な顔をして言葉を付け加えた。
「ただし、あの紫色のキノコだけは絶対に食べちゃダメだからな」
「どうしてですか?」
「あのキノコはメイテンダケっていうんだけど、読んで字の如く、一口食べたら
「へえ、それは恐ろしい」
とメイテンダケの率直な感想を述べる。だが、よくよく考えるとこの状況がおかしいことに気づき、マルティナは声を大にしてこう言った。
「……って、なんでそんな物騒なものを一緒に調理してるんですか!?」
「ははは。まだ出会ってから1日も経ってないけど、マルティナって根っからのツッコミ体質なんだな。いちいちキレが違うもんな」
ツ、ツッコミ体質……? そんなこと言われたのは初めてだ。そもそも、エヴァンがおかしな言動ばかりするから、それをいちいち指摘し続けていたら誰だってツッコミ側にまわってしまうんじゃないだろうか。
ツッコミ体質なんて自分に似つかわしくない肩書きを言い渡されたことにより、冷静さを取り戻していたマルティナは、一呼吸置いてからエヴァンにもう一度尋ねた。
「で、なんでそんな危険なメイテンダケを焼いてるんですか?」
「それはもちろん――」
エヴァンは理由を答える前にメイテンダケが刺さった串を手に取ると、あろうことかその傘の部分をがぶりとかぶりついて飲み込んだ。
「な、なにやってるんですか!?」
もうツッコむものかと決めていたマルティナだったが、さすがに猛毒キノコだと言った直後にそれを自ら食べ出したエヴァンに反射的にツッコミをいれてしまう。
「それ、猛毒なんでしょ!? 一口食べたら瞑して天国に逝ってしまうんでしょ!? 早く吐き出してください!」
おろおろと動転しているマルティナとは対照的に、エヴァンはけろっとした顔で二口目を頬張る。
「ああ、大丈夫、大丈夫。おれさ、生まれつき、毒とか麻痺とか幻惑とかの状態異常にかからないタイプなんだよ。だから、このキノコはおれが食べる用に採ったんだ」
この世界には、ごく稀にではあるが生まれながらにして毒などに耐性がある人間がいるということはマルティナも聞いたことがあった。まさかエヴァンがそういった特異体質の持ち主であるとは夢にも思っていなかったが……。
「そ、それならそうと早く言ってくださいよ! 心臓に悪いじゃないですか」
「あはは、ごめんごめん」
「あははじゃないですよ、まったく――」
とりあえず大事には至らないとわかり、ほおっとため息をつく。安心すると同時にひとつの疑問が解決し、マルティナはエヴァンへと確認をとった。
「――あ。だからわたしが仕掛けた罠も簡単に抜けて来れたんですね」
「ああ、落雷の塔の罠な。たしかに一部の罠はそうだけど、落とし穴とか転移の魔方陣とかはこの体質でも意味がないからね。しかも、なかなか絶妙な位置に罠が配置されていたから、正直のぼるのは結構大変だったぞ。おれもフリーの冒険者として色んなダンジョンやクエストに挑戦してきたけど、落雷の塔はかなり高難易度だったと思うな」
「それはすいませんでした……」
恐縮して首をすくめると、エヴァンはまたしてもおかしそうに笑いながら、メイテンダケではないキノコの串焼きをマルティナに差し出した。
「そこは胸を張るところなんだけどなあ。ま、とにかくさ、ほかのキノコは安全だから、マルティナも食べてみなよ」
言われるがままにマルティナは、差し出されたキノコの串焼きを受け取ると、醤油を数滴垂らしてかぶりついてみる。
名前も知らないそのキノコは、とても肉厚でジューシーだった。ひと噛みするごとに、エキスが口の中に広がり味わい深い。あまりのおいしさに、マルティナは串焼き3本を山菜のスープと共にぺろりと完食していた。
不思議だった。
キノコの串焼きも山菜のスープも決して豪勢だとはいえない。それなのに、塔にこもってとっていた食事よりも格段においしく感じたのだ。
そんな謎に答えを出してくれたのはエヴァンだった。
「いやー、やっぱり食事ってのは、こうやって誰かと一緒に食うほうがうまいよな。おれ、冒険者になってから、ずっとひとりで旅をしてたからさ、そのことに改めて気づかされたよ。ありがとな、マルティナ」
恥ずかしさで、顔から火が出る(魔法で火を出すこともできなかったというのに)思いだった。感謝なんてされ慣れていなかったので、こういうときにどんな返答をすればいいのかさっぱりわからない。しかも、実際に自分がなんの役にも立っていないことなど痛いほどわかっていたので、エヴァンの言葉を素直に受け取ることもできなかったのだ。
マルティナは、そんな照れくささと居心地の悪さを紛らわすためにとっさに話題を変えていた。
「……そういえば、エヴァンさんって自分のことをフリーの冒険者って名乗ってましたけど、フリーってどういうことなんですか?」
「ん? マルティナはあんまり冒険者とかギルドとかに詳しくない感じ?」
よく言えばおおらかで、悪く言えば大ざっぱなのだろう。エヴァンは話の方向性が急に変わったことを気にするでもなく、冒険者という職業について語り始めた。
「一般的に冒険者というと、ギルドに所属するもんなんだよ。そうしたほうがギルド側が受注した依頼を効率よく冒険者に割り振れるし、冒険者側も自分の得意とする依頼が優先的に舞い込んでくるから、どちらにとっても利益がある」
「ええっと、つまりエヴァンさんは、どこのギルドにも所属していない冒険者ってことですか?」
「そういうこと。おれは依頼をこなして金儲けがしたいんじゃなくって、この世界を自由に歩き回って、様々な景色をこの目に焼き付けたいって思って冒険者になったんだもん。ギルドに入ってちゃ、それが後回しになっちゃうだろ」
なるほど。たしかにエヴァンみたいに自由奔放な人は、ギルドなんて組合に入るよりも、こうして気ままに旅をしているほうが性に合っているようにみえる。
「だからさ、もし手持ちの金が底をついたら、近くのギルドにでも寄って、所属していない冒険者でも受けることのできるフリークエストとか、ギルドに頼めるほどのお金がない村や町で直接依頼を受けたりして報酬を得てるよ。まあ、どちらの場合でもそんなに高額な賃金は望めないけどな」
エヴァンはそう言うと、1本だけ残っていたメイテンダケの串焼きを手に取った。
「そんなわけだからさ、マルティナも覚悟しておいてくれよ。この先の旅路は決して豪華なものじゃないってことだけは。今日みたいに野営になったり、晩飯がキノコだけなんてことはざらにあると思うからさ」
「それは……はい、大丈夫です。今日はいきなり野宿って言われたのでびっくりしちゃいましたけど、それくらいのことは覚悟してましたから。それに、火もろくに出せない役立たずの駄魔女に豪華な旅なんて分不相応ですもん。わたしみたいな無能で、無価値で、無力な人間は野宿がお似合いってもんです。エヴァンさんだってそう思いませんか?」
そんな自虐的な質問にエヴァンが返答することはなかった。火に当てすぎて焦げ付いているメイテンダケがどうやら熱すぎたようで、口の中でハフハフと冷ますことに必死で、こちらの話を聞いてもいないようだ。
エヴァンに自虐は通用しない。そうわかっていたはずなのに、慰めの言葉をかけてくれるのではないかとほのかに期待していたマルティナは、よりネガティブな想像をしてしまう。
もしかしたら、エヴァンはこんな駄魔女をパーティーに加えたことをすでに後悔しているのかもしれない。
――いや、後悔しているに決まっている。エヴァンは一緒に食事をしたことに感謝をしてくれていたが、歩くペースもこちらに合わせなければならず、魔法すらろくに使えないとわかったいま、落胆していないわけがないではないか。いまはまだそれを心の内でとどめているだけなんだ。
きっと、これ以上なにか失敗したら、エヴァンだって失望の眼差しをこちらに向けることだろう。
そんなことを考えたマルティナは、蒼天の洞窟にたどり着く前になんとしてでも自分が役に立つことをみせ、これまでの汚名を晴らさなければ、と決心するのだった。
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