旅立ち


「――と、いうわけなんです」


 マルティナは自身の半生を語り終えると、恥ずかしさからうなだれた。


「本当にどうしようもないですよね、わたしって。ただでさえ落ちこぼれで、存在だけで迷惑だっていうのに、こうしてエヴァンさんみたいな冒険者の方々に無駄な労力を使わせてしまったんですから」


「……」


 エヴァンは言葉を返さなかった。


 ……なにか言ってくれないと気まずい。


 静寂を恐れたマルティナは仕方なく自虐を続ける。


「ふつう魔女といったら、どんな形であれ人々の役に立つ存在だというのに、わたしは誰の役にも立つことができない。こんな能なし、いったいなんのために生きているんだって話ですよね。わたしなんか、ミジンコ魔女のマルティナ――略してM3エムスリーとでも呼んでください」


「……ぐぅ」


 やっと返答してくれたと思ったら、エヴァンの口から出たのは、言葉というより空気の漏れる音だった。


 ぐぅ? ぐぅって、もしかしてこの人――


 マルティナは、なんとなくエヴァンがどういう状態か予測できてしまった。

 それでも、まさかそんなはずあるまいと自分に言い聞かせつつ、ゆっくりと顔を上げてみる。


 はたしてエヴァンは椅子の背もたれに体を預けて眠りこけていた。普段は他人に強くものを言うことができない性格のマルティナも、これにはツッコミをいれずにはいれらなかった。


「なんで寝てるんですか!?」


「ん? ああ、ごめんごめん」


 エヴァンは目を開くと、眠り足りないと言わんばかりに大きなあくびをする。


「あんまりにも話が退屈だったからうとうとしちゃってさ」


「退屈って……」


 自分から塔に住んでいる理由を訊いたくせに、いったいこの人はなにを言っているんだろうか。エヴァンの自由すぎる振る舞いにマルティナは唖然としてしまった。


「……そ、それで、どこまでちゃんと聞いてたんですか?」


「ええっと、マルティナのお母さんがすごい魔女だったってあたりまで」


「けっこう序盤じゃないですか!」


 エヴァンが来てから、完全に彼のペースに乗せられてしまっている。現に何度も自分を卑下する言葉を口にしているのに、エヴァンは一度たりとも慰めたり励ましたりしてくれていなかった。

 あくまでも相手に否定されないための自虐だというのに、こうもいなされてしまっては意味がないじゃないか。これじゃあ、ただ自分を自分で無駄に傷つけてるだけだ。

 ずっと盾だと信じていた自虐が自分に刃を向けている状況に、マルティナは落胆していた。


「でも、マルティナがこの塔に住んでいる理由はなんとなくわかったぞ」


 落ち込むマルティナを尻目に、エヴァンは得意げに胸を張る。きちんと話を聞いていれば予測なんて立てる必要すらなかったのに、なぜこんなにも誇った顔ができるのかマルティナにはわからなかった。


「ずばり、マルティナはすごい魔女であるお母さんの存在がプレッシャーになって、ここに閉じこもっちゃってるんだろ?」


「まあ、元をたどれば母のような魔女にならなければっていう重圧があったので、そういう意味では間違ってはいないですけど……」


「でもさ、マルティナは気にしすぎなんじゃないか? お母さんはお母さんだし、マルティナはマルティナだろ? 周りの意見なんて、おれはそんなに重要なことじゃないと思うよ」


「重要じゃないってどういうことですか?」


 エヴァンの言葉が理解できなかった。いつだって周囲から批判を受けないように生きてきたマルティナにとって、周りの意見はなによりも大事なものだったからだ。

 訳がわからずきょとんとした顔を向けているマルティナに、エヴァンは優しく微笑んでみせた。


「たとえばマルティナと初めて会ったとき、きみのことを麗しの姫君だと勘違いしたおれに対して、きみは『わたしみたいな不細工なんか……』って否定しただろ? だけど、おれはきみのことが美しいと感じたからこそ、そんな勘違いをしたわけだ」


「わ、わたしが……美しい……?」


 美しいだなんて言われたのは初めてだ。しかも初対面の男の人にである。あまりにも直接的な褒め言葉を受け、マルティナの顔はゆだってしまったかのように真っ赤になっていた。

 しかし、次のエヴァンの言葉で天から地に落とされた気分になる。


「まあ、おれは世間的には感覚がズレているっぽいから、他の人からしてみたらマルティナはめちゃくちゃ不細工なのかもしれないけどな」


「えぇ……」


 この人は褒めたいのか貶したいのかいったいどっちなのだろう。エヴァンの人となりが未だにわからない。彼と出会ってからというもの、マルティナは気ままな言動に振り回されてばかりで困惑しっぱなしだった。


 そんなマルティナの気持ちを知ってか知らずか、エヴァンは話の途中だというのに不意に立ち上がる。そして、つかつかと部屋の端まで歩き、キイと軋んだ音を立てて窓を開けた。

 誰ものぼってこれないようにと高い塔を建てたため、窓からはこの辺り一帯を見渡せるようになっている。そんな窓外の景色を見たエヴァンは上機嫌で口笛を鳴らした。


「おー、絶景、絶景。こんな景色、なかなか見られるもんじゃないよな」


「あの……エヴァンさん?」


「マルティナはさ『ここには特別なものはなにもない』とか『ここまでのぼったのは無駄な労力』みたいなこと言ってたけど、この素晴らしい景色を見れただけで、おれはこの塔にのぼった価値があると思っているんだ」


 開け放たれた窓からぴゅうっと風が舞い込む。いつも浴びているはずの風なのに、なんだかとても気持ちよく感じた。


「つまりさ、おれが言いたいのは、他人がどう言おうが自分の感じたことこそが一番重要だってこと。おれはきみが美しいと感じたし、すごい魔女だとも思っている。おれにとって、それがありのままの事実なんだよ」


「ですが、それを言うなら、わたしだって自分が不細工だと思ってるし、駄魔女だとも思っているんです。わたしにとってそれがありのままの事実なんですよ」


「……マルティナは死の川というものを知ってるか?」


「え?」


 まただ。エヴァンの話は、その性格同様つかみどころがない。突然まったく別の話題をしてしまうのだから。

 それでも、自分から質問しておいて勝手に寝てしまう人なのだ。これくらいで驚いていたらきりがないだろう。それに、マルティナ自身、こうして振り回されていることがだんだんと楽しくも感じるようになっていたので、下手に指摘することはせず、正直に首を横に振ってみせた。


「いいえ、知りません」


「その川はここからずうっと東の方にあるんだけど、近くにある実験施設から流れ出ている廃水に汚染物質が混じっていたらしくて、川に住んでいた生物は壊滅し、周囲の草花も枯れ果ててしまった。それが原因で、その川は死の川って呼ばれるようになってしまったんだ」


「それは……ひどい話ですね……」


 汚染された川と先ほどの話がどう繋がるのか理解はできなかったが、マルティナは率直な感想を述べた。

 するとエヴァンは同意するように深くうなずいた。


「ああ。ひどいもんだった。でも、不謹慎かもしれないけど、おれはその死の川を見て美しいとも思ったんだ。水面を覆っていた、虹色に輝く泡があまりにも幻想的だったから」


 そのときの光景を思い出しているのだろうか。エヴァンは遠くを見つめながら、うっとりと青い瞳を細めている。


 その様子を見ていたマルティナにひとつの想いが芽生えていた。

 しかし、その想いはミジンコ魔女もどきの自分になんかには到底無理な、まさに幻想としかいいようのない考え。そう思ったからこそ、マルティナはその想いを表に出すことなく自分の胸に封じ込めた。

 そんな葛藤をしていたとは知るよしもないエヴァンは、マルティナに視線を戻して言った。


「わかるかい? 誰もが目をふさぐような光景だったとしても、自分が美しいと思えるのならば、それは美しい光景になるんだよ。だって、自分が感じた気持ちは、他人が干渉できるものじゃないんだから」


「自分が美しいと思える光景……」


「そう。世界には死の川以外にもいろんな美しいと言われている場所がある。でも、きみはそれらを知らないだろ? 世界の果てという異名を持つ大瀑布ばくふも。星降る山も。蒼天そうてんの洞窟だって」


 エヴァンの言う通り、彼が口にした場所の数々をマルティナはすべて知らなかった。


 世界の果て? そう思ってしまうほどに大きな滝なのだろうか。だとしたら、きっと想像以上に壮大なことだろう。


 星降る山というのは、まさか本当に星が落ちているわけではあるまい。となると星が綺麗に見える山ということだろうか。しかし、世界の果てと呼ばれる滝と並び称されるほどなのだから、そんな単純なものじゃないのかもしれない。


 蒼天の洞窟に至っては言葉が矛盾しているじゃないか。いったいどんな場所なのか見当もつかない。想像で思い描くことができないというなら、いっそのこと――


 ――この目で見てみたい。


 先ほど封じ込めた想いが、すでに漏れ出ていた。エヴァンから死の川の話を聞いていたころから、それがどれだけ美しい光景なのかを自分の目で確かめてみたいと思っていたのだ。

 その想いを後押しするかのようにエヴァンは語り続ける。


「マルティナ。本当に美しいものを見たことがないのに、自分自身をどうこう判断するのは早計だよ。世界に散らばる自分が美しいと思う基準をいろいろと見つけてから、自身の評価をすればいいんじゃないかな。そうすればきっといまとは違った見方ができると、おれは思うぞ」


 見てみたい。この世界の美しいといわれるものを。

 エヴァンの言葉を聞けば聞くほど、その本能的な欲求が大きくなっていく。でも――


「――わたしには無理ですよ。そもそも、わたしはなにか行動することが怖くて、こうして塔に閉じこもることになったんです。それなのにひとりでそんな大きな挑戦をするなんて、とてもとても……」


 そう。無理なんだ。こんな出来損ないの駄魔女が、冒険者のように世界を見てまわろうと思ったって、失敗して笑われるのがオチだ。

 そんな風にマルティナが思っていると、エヴァンが予想外な提案を口にした。


「なら、おれと一緒に行かないか?」


「え? エヴァンさんとですか?」


「ああ。おれはウィギドニア全土をまわって、世界の絶景を記録する旅をしてるんだ。でも、何年もひとりで旅をしていて、自分が見ている光景を誰かと共有したいって気持ちが出てきたんだよな。だから、マルティナがよければ一緒に来てくれないか?」


「そのお誘いは嬉しいんですけど、わたしみたいなミジンコ魔女が一緒に行ったら足手まといになっちゃいますし……」


「足手まとい? きみが?」


 エヴァンは目を丸くしたかと思うとゲラゲラと声をあげて笑い出した。


「な……なんで笑うんですか!?」


「いやいや、ごめんごめん」


 エヴァンは笑いすぎて目の端にたまった涙を拭うと、一転して真面目な顔を作る。


「足手まとい、結構じゃないか。おれは難攻不落と言われていた落雷の塔だって攻略した男なんだぜ? 足手まといがひとり、ふたりいたところでなんの問題もないっての。それともマルティナはおれの実力を信じられないのか?」


「いえいえいえ! エヴァンさんが凄腕の冒険者だっていうのはわかってますとも。この1年でここまでのぼってきたのはエヴァンさんが初めてなんですから」


 エヴァンは満足げにうなずくと、マルティナの元まで歩み寄って手を差し伸べた。


「それなら一緒に行こう、マルティナ」


 ダメだ。エヴァンはこう言ってくれているが、こんな不細工で駄魔女な自分が隣を歩いていたら、周囲の人達が馬鹿にして笑うに決まっている。エヴァンまで一緒に笑われてしまうんだ。そんな迷惑をかけるくらいなら、このままひとりきりで閉じこもって暮らしていく方がずっといい。だから、きちんと断るんだ。それが双方のためでもあるはずだから。

 そう考えているはずなのに――


「――はい!」


 まるで魔法にかけられたみたいに、マルティナは思考とは反対の言葉を口にし、自然と差し出された手を掴んでいた。

 一度芽生えた世界の美しいものを見てみたいという好奇心は、水をあげずともむくむくと成長していき、理性を軽く凌駕していたのだ。


 明瞭な返事を受け、エヴァンは嬉しそうににかりと笑う。そして「それじゃあ冒険に出発だ!」とマルティナを引っ張って部屋を飛び出した。


 ドキドキと心臓の鼓動が自然と早くなる。


 この胸の高鳴りの原因が、これから始まる冒険を夢想したためか、それとも掴んだ手をエヴァンに強く握り返されたためか、そのときのマルティナにはまだわからなかった。

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