出会い


 マルティナは焦っていた。

 もうすぐ目の前の扉が開かれるのがわかっていたからだ。さらには、入ってくるであろう人物が、この部屋を見て拍子抜けしてしまうだろうと予想していたからでもある。


 マルティナは、自分が建てた塔が落雷の塔と呼ばれていることはわかっていたし、この塔が調査の対象になっていることももちろん知っていた。


 こんなはずじゃなかったのに……。


 マルティナがこの塔を建てた本来の理由は、誰にも会わずに引きこもって生活するためだった。しかし、万が一にも人が訪ねてきたりしないようにと無駄に高い塔を建てたことが災いしたようで、変な噂が立つようになってしまったのだ。

 挙げ句の果てには、人と関わりたくないという思いに反して、次々に冒険者が訪れるようになってしまった。しかも、今回のチャレンジャーはマルティナが仕掛けた罠をことごとく突破していき、ついには最上階であるこの部屋の前まで到達しようとしていたのだ。


 そんな人をいったいどんな顔で迎え入れればいいのだろうか。


 これからやって来るであろう冒険者は、きっと噂を信じ、特別なものを求めてこの塔の頂上までのぼってきたはずである。しかし実際にこの部屋にあるのは、簡素なベッドに椅子と小さいテーブルが一脚ずつ、それからこじんまりとしたキッチンだけ。ほかにめぼしいものがあるとすれば、魔法について書かれている本が地べたに十冊ほど積んであるくらいか。

 これじゃあ落胆するに決まっている。噂にある金銀財宝もなく、神の力を得ることだってできないのだから。


 そしてなにより――


 マルティナはため息をつきながらも部屋の壁にかけられている鏡を覗いた。

 そこには見慣れた冴えない自分の姿が映っている。

 陽気な母親ゆずりの炎のような赤毛は、無口な父親ゆずりの癖毛のせいで、常時寝癖みたいに外側へとぴょんぴょんと跳ねていた。

 さらには垂れ目であるため、そんな髪型と相まっていつも眠たそうに見える。

 近眼のためかけている黒縁メガネでその瞳を少しでも隠そうと思っているのだが、いかんせん鼻が低いのでずれ落ちてしまい逆に不格好だ。

 しかも、身にまとっている衣服は洒落っ気のかけらもない真っ黒なローブのみ。


 ――こんな地味で不細工な見た目じゃ、麗しの姫君を期待している冒険者をがっかりさせてしまうに決まっている。


 そんな風にマルティナは自虐的に考えていたが、実際のところ彼女はそこまで醜悪な見てくれではなかった。それどころか、垂れ目の瞳は19歳とは思えないほどの色気を感じるし、小ぶりな鼻も可愛らしい印象を与える。

 マルティナ自身も周囲の人達からそう褒められたことはあった。しかし、極端に自分に自信のない彼女としては、そんな賞賛を素直に受け取ることができなかったのだ。


「ああ、どうしよう……」


 悩んだところで今更見た目なんて変えられるわけもない。マルティナが頭を抱えていると、ついに扉の向こう側からコツコツと足音が近づいてきた。そして、その音がピタリと止んだかと思うと、ノックもなしに部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


「おお! ようやく最上階か!」


 感嘆の声をあげなら現れたのは筋肉質でガッシリとした体型の男だった。年齢は30代前半といったところだろうか。髪型は、サイドは短く刈り上げ、頭頂部だけは長めに残す、いわゆるソフトモヒカンというやつだ。金色の髪の毛が綺麗な山形を作っていた。

 冒険者ならではといった荷物が多く、背中には大きめのザックを、腰元にはショートソードを下げている。そして、動揺して言葉を発することもできずにいたマルティナと目が合うと、男は日に焼けた褐色の肌とは対照的な白い歯をみせてニカッと笑った。


「となると、きみが噂にあった麗しの姫君かい?」


「いえいえ滅相もありません! こんな不細工なお姫様がこの世にいるわけないじゃないですか」


「あ、そうなの? まあ、そんなことはどっちでもいいんだけど、さすがにここまで来るのに疲れちゃったからさ、ちょっとここに座らせてもらうぞ」


 男は、マルティナが了承するよりも先に一脚しかない椅子にどかりと腰掛ける。

 とはいえ、疲れているのは本当なのだろう。大仰にひとつ深いため息をつくと、男はマルティナに問うた。


「とりあえず、喉が渇いてるんで、なにか飲み物でももらえないか?」


「は、はあ……」


 勝手にここまで来ておいて、部屋に入り込んだ途端にひとりでくつろぎ、飲み物まで要求するとは、なんて厚かましい人なんだろうか。

 そうは思ったものの、自分が仕掛けた罠のせいで疲れさせてしまったという負い目もあり、マルティナは男の望み通りに紅茶を淹れてあげることにした。


 マルティナがキッチンで準備をしている間、男は空を連想させる青い瞳をきょろきょろと動かし、興味深げに部屋の中を見渡していた。


 自分が暮らす場所をじろじろと観察されるのは決まりが悪いものである。それでも文句のひとつも言えないのは、苦心しながらも踏破した塔の最上階に噂の姫君すらいないという後ろめたさがあったためだった。

 とはいえマルティナも19歳の乙女である。生活空間をこれ以上覗かれるのはあまりにも気恥ずかしい。そのため、いつもなら時間をかけて茶葉から紅茶を淹れるのだが、今日はささっと準備を終えてしまった。結果として、紅茶というより白湯さゆに近い飲み物をティーカップに淹れると、マルティナは「どうぞ」と言って男へと差し出す。


「ああ、ありがとう」


 もしかしたら怒られるかもと思っていたが、男はティーカップの中身には一瞥もくれることはなかった。それどころか、ズズズッと音をたてて、極限にまで薄い紅茶を一気に呷った。


「ぶはぁ! 生き返ったー」


 喉を潤せた男は、なにか思い出したようにポンと膝を打った。


「あー、そういや自己紹介がまだだったよな。おれはエヴァン。フリーの冒険者をやってるんだ。よろしく」


「はあ、どうも……」


 世情に疎いマルティナは、冒険者という職業に種類があるなんて知らなかったので、フリーとそれ以外の差がなんなのかはわからなかった。それでもエヴァンと名乗った男が噂を聞いてここまでのぼってきたのは間違いないだろう。だからこそ、謝意をみせるために大きく頭をさげた。


「本当に申し訳ありません。エヴァンさんは、塔のてっぺんにはお姫様だの、金銀財宝だの、特別ななにかがあるって噂を聞いてここまでのぼってきたんですよね? それじゃあガッカリしちゃいましたよね? 実際は特別なものはなにもなく、こんな薄汚い部屋に、わたしのようなダメダメな魔女が暮らしているだけだなんですから。――いえ、わたしなんか魔女と自称するのもおこがましい。だってミジンコ程度の存在ですから……」


「……」


 マルティナの謝罪に対して、エヴァンはなにも言わなかった。


 きっと怒っているんだ。そう思いながらマルティナはおそるおそる顔をあげてみた。

 しかし、エヴァンはマルティナの方をまったく見ていなかった。床に置かれていた魔術本のひとつを手に取り、熱心に読みふけっていたのだ。


「あのー、エヴァンさん?」


「あっ、ごめんごめん。全然聞いてなかったや」


 マルティナが声をかけると、ようやくエヴァンは顔をあげた。


「で、きみの名前は――ミジンコだったっけ?」


「ち、違います!」


 自分で言う分にはいいが、他人に言われると傷つくものである。マルティナは声高に自身の名前を告げた。


「わたしにだってちゃんとした名前くらいあります! わたしはマルティナっていいます!」


「そっかそっか。マルティナね。了解、ちゃんと覚えたよ」


 エヴァンは悪びれることもなく快活に笑う。間違いなくマルティナより年上ではあるはずだが、その笑顔は少年のような無邪気さを感じた。


「で、そのマルティナ嬢は、この落雷の塔で暮らしているのか?」


「ええ、そうです」


「食事はどうしてるんだ? こんなところに住んでたら食料調達も大変だろうよ」


「月に一回だけ塔をおりて、近くのカーパって町まで買い出しに行っているんです。それで足りない場合は――」


 マルティナは一旦言葉を区切ると、部屋の奥に一つだけある木窓を指さした。


「――そこの窓からカラスに頼んで木の実やなんかを運んでもらっているんです」


「ふんふん、なるほどな。カラスを自在に扱えて、しかも部屋に魔術本があるところをみると……。マルティナ、きみは魔女だね」


 きみは魔女だね、なんてしたり顔されても。さっきそう言ったはずなんだけど……。


 どうやらエヴァンは先ほどの自虐を本当に聞いていなかったようだ。マルティナはがっくりと肩を落とした。

 落胆しているマルティナのことなど意に介すことなく、エヴァンは質問を続ける。


「となると、この塔自体もマルティナが魔法で建てたのかい?」


「まあ、一応」


「そりゃすごい!」


 マルティナが肯定すると、エヴァンは大きな声で褒め始めた。


「おれも冒険者っていう職業柄、魔女には何度も会ったことはあるけど、こんなドデカい塔を造り上げるほどの魔力を持った魔女なんて初めて会ったよ! マルティナは相当すごい魔女なんだな」


 あんまりにもストレートな褒め言葉である。しかも、それを初対面の男性に言われたとあって、マルティナは思わず顔を伏せてしまう。

 うつむいたのは、気恥ずかしいからという理由ももちろんあったのだが、なにより期待されることの重圧というものを身をもって知っていたからだ。そして、その期待に応えることができなかったときに向けられる失望の眼差しというものは、ただ失敗して馬鹿にされるよりもずっと深く心が傷つく。

 だからこそ、次にマルティナの口から出たのは謙遜を越えた卑下の言葉だった。


「いえいえいえ、すごいだなんてそんな……。わたしは魔女の学校でも落ちこぼれの駄魔女でしたから。べつにこの塔も大抵の魔女なら一晩くらいで建てられるに決まってます。それなのに、わたしは一週間もかかってようやく建てることができたのですから、本当にわたしは魔女と名乗る資格もないんです。そうですね……魔女もどきとでも思ってください」


「ふーん、そっか」


 そっか……って、それだけ!?


 想定していた反応とまったく違う。なにか優しい言葉をかけてくれると期待してへりくだっているというのに、あっさりと納得されてしまい、マルティナは戸惑いを隠せなかった。

 対するエヴァンは、何事もなかったかのように次の質問へと移っていた。


「まあ、マルティナが魔女だろうが魔女じゃなかろうがどっちでもいいんだけど、この塔を建てて、こうして暮らしているっていうのは事実なんだろ? いったいなんのためにこんな塔に引きこもっているんだ?」


 ついにきたか。正直なところ恥ずかしいので答えたくない質問だ。しかし、こうして塔の頂上までのぼってきたエヴァンに答えないわけにもいかない質問だともいえよう。


 マルティナは覚悟を決めると、ゆっくりと口を開いた。


「わかりました。お話ししましょう、わたしがこの塔に住んでいる理由を――」

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