第17話
ガタン、という音と共にジュースが転がる。
「はい。」
「ありがとうございます。」
「こんなのでいいの?」
「十分です。」
飲み会の日の後、真木さんにはすごく謝られた。
最近真木さんに謝らせてばっかりだなあ、と少し心が痛い。
「快にはプレステ買ってって言われたけどね。」
「可愛げのカケラもないですね。」
ほんとに迷惑かけちゃったしなあ、と真木さんは苦笑い。
少し話をすれば、飲み会の途中からほんど記憶が無くて、
気付いたら自分の部屋で寝ていたという。
「・・・あの。」
聞かなくてもいい事は分かっていた。
でも、知りたくなってしまった。もう、誤魔化せないのだ。
「・・・律さんて、誰ですか?」
私の言葉に、真木さんが息をのむのが分かった。
「俺、なんか言ってた?」
「寮に送ったときに、寝言で。」
泣いていた事は言わなかった。
ふう、と息を吐きだした彼は、
何かを諦めたように笑う。
「前に進みたいけど、進めないんだ。」
帰ったきたのは質問の答えではなかった。
けれどきっと、初めて触れられる真木さんの心。
「生活の全部が彼女と結びついてしまって。苦しい。」
一文字一文字、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
思い出をなぞるように、
「忘れられない人がいるんですね。」
私の言葉に少し黙って、
少し息をついてから、悲しそうに笑う。
「いるよ。」
その目はやっぱり誰かを見ていた。
どう頑張っても、そこに、私は映れない。
「彼女の中に俺はもういないんだけどね」
「それって・・・」
「ごめん、変な事話しちゃったね。」
私がそれ以上を聞く前に、
真木さんがわらってやんわりと踏み込むのを拒否する。
初めて触れた真木さんの心が、乾いていて、温度が低くて、あまりに辛そうで。
「・・・真木さん。」
「ん?」
「おはぎ、好きですか?」
「へ?」
好き、だけど。とためらいがちに真木さんが答える。
「うちのおばあちゃんのおはぎ、すっごく美味しくて。」
「へえ、そうなんだね。」
「あと蒸しパンもすごい美味しいんです。レーズンが入ってて。」
「俺レーズンすごい好き。」
「おいしいですよね!あと毎年梅を漬けてるんですけど、それもすごい美味しいんです。
今度持ってきちゃいますね!」
美味しくて多分びっくりしちゃいますよ~、なんて言えば、
不思議そうな顔をしていた真木さんは不意に表情を崩す。
「・・・このかちゃん、もしかして励ましてくれてる?」
真木さんは笑いだす。あれ、なんかデジャヴ。
「だ、だって美味しいもの食べれば元気出るし!私も落ち込んでるときたくさん食べて元気出したんです!」
私の必死の言葉に、真木さんは更に笑う。
私別に変なこと言ってないよね?なんで?
ひときしり笑い終えた真木さんは
笑いすぎて目の横に浮かんだ涙をぬぐって。
「このかちゃん見てると、ほんとに元気になれる。」
「・・・それ馬鹿にしてます?」
「してないしてない。」
ありがとう、そう言ってクシャッと笑う真木さん。
それはごまかしの笑顔じゃなくて。
・・・もう、ずるい。
「いいなあおはぎか。俺和菓子好きなんだよね。」
「私もです!」
少し離れた場所に出来た和菓子屋さんの話に移る。
お団子がとても美味しそうで。
「へえ、そんなお店が出来たんだね。」
「行ってみたいんですけど。ちょっと遠いんですよね」
最寄り駅もないのだ。
車を持っていない学生にはちょっと冷たすぎやしないかい。
なんて口を尖らせれば、そんな私を見て真木さんが口を開く。
「車出そうか?」
「え、いやそんなの申し訳ないですよ、」
「俺もそのお店行ってみたいし。」
え、と声が漏れてしまって、心臓が音を止める。
いやいや落ち着け。自惚れるな学習しろ私。
「あーでも夏未はあんことかきなことか苦手なんですよね。」
「へえ、そうなんだ。」
「もったいないですよね。だから夏未が一緒に行くのはちょっと難しそうで。」
「うん。」
真木さんはそれ以上何も言わない。
笑って頷いて、そのまま。
えええ。
「わ、わたし。他に誘える子が思いつかなくて。」
「うん。」
「あ。真木さん誰か思いついてるってことですか?」
「うーん。特にかなあ。」
なにそれ。なにそれなにそれ。
意味を確認をする前に、
真木さんが笑う。
「一緒に行こうよ。2人で。」
私は相当間抜けな顔をしていたのだろう。
少し意地悪な顔して、真木さんが笑う。
「ふ、」
「ふ?」
「ふたりで、ですか?」
「うん。このかちゃんが良ければだけど。」
「行きます!!」
と食い気味に返事してしまった私に、
また彼は優しく笑う。
「・・・このかちゃん。」
「なんですか?」
「本当に、ありがとう。」
講義に戻ろうと真木さんと別れる直前。
歩き出す私を呼び止めた真木さんは、真剣な顔。
「そんな、私感謝されるような事・・・」
そう言えば真木さんはゆっくりを首を振って、
そして、優しく笑う。
「ありがとう。」
もう一度そう繰り返した真木さんは、少し照れたように俯いて、
私に手を振って歩いていった。
心がじんわりとあったまって、なんだか泣きそうになって。
彼の鍵を、一つだけ、開けられた気がした。
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