虚空のキス


「かんぱーいっ!」


 麗美のかけ声でおれ達は持っていたグラスを仲間のグラスに合わせる。チンと安っぽい音が食堂にいくつか響く。ただ、そんな音ですら、いまのおれ達には祝砲のように感じた。


「いやーっ、よかった! 牙城を捕まえることができて、そして歓迎会をやり直すことができて、ホントによかったよっ!」


 そう。牙城はその後小春を襲った通り魔として警察に現行犯逮捕され、日曜の切り裂き魔であることもすぐに発覚した。そして、そのことを祝って、おれ達はフランと愛姫の歓迎会を改めて開催したのだった。


「しっかしなぁ、まさか天使の婆さんが本当に天女だとはなぁ。俺様はてっきり、もうろくしてるだけかと思ってたぜぇ」


 虎徹はあの夜のことを思い出したのかしみじみとした表情で暗黒半球体(フライドチキン)を頬張る。


「確かに。おれも本当に天女だなんて夢にも思わなかったな」


「まったく。光一も虎徹も、年長者の言うことを信じないとは罰があたるぞい」


「そうよ、そうよー。その点あたしはすぐにわかったわ。天使さんにはあたしと同じ神々しさを感じだものー」


 このハーレムで成人を越えているふたり(ひとりは越えているなんていうレベルではないが)のグラスにはワインが注がれていたのだが、愛姫のほうのグラスはすでに空になっており、2杯目のワインをさっそく注いでいた。


「てめぇの場合は神々しさじゃなくて、禍々しさの間違いじゃねぇのか。つぅか、てめぇ、酒を飲むペース早すぎだろ!」


「なに言ってんのよー。これくらい普通じゃないのよー。ていうか、お祝いの席なんだから飲まないほうがおかしいでしょうよー。そんなこと言うなんて、デカブツはほんっとに無粋ねー」


「あぁん? なんだその言いぐさは? 飲み過ぎて羽目を外すなよって注意してるだけだろぉが」


 いつも通り虎徹と愛姫のふたりが火花を散らし始めたところで、フランが割って入った。


「コテツの言うとおり。あんまり飲むとアキがどろどろに溶けちゃう……。そうなったらフラン悲しい……」


 水が苦手なフランは本気で愛姫が溶けてしまうことを心配しているようだ。やはりフランはこのハーレムの妹的な存在なようで、いつものようにふたりの戦闘になるかと思われたが、その一言で食堂に穏和な空気が戻った。


「そうそう。フランちゃんの言うとーりっ。せっかくのお祝いの席なんだから今日はいつものような喧嘩はダメっ。それと光一くんを殺しにかかるのも今日はダメだからね、愛姫さんっ!」


「わかってるわよー。でも、お酒は自分のペースで飲ませてもらうわよー。こう見えても結構強いんだから」


「なんだぁ、喧嘩しねーのかー? つまんなーっ!」


「虎徹ー。パーティーだからってちょっと調子に乗りすぎだぞ」


 さすがに挑発が過ぎる。おれは虎徹に注意をした。

 だが、当の虎徹はきょとんとした顔をしている。


「いやいや、いましゃべったの俺様じゃねぇぞ」


「え? じゃあいまのは――」


「ぼくだよぉん!」


 小春が真っ赤な顔でダブルピースをしている。


「ったくよ。こちとら、酔っ払ってんだぞぉー。もうちょっとぼくを楽しませろってのっ」


「小春!? いったいどうした? キャラ設定がブレまくってるぞ!?」


「キャラも、ギャランドゥも知らねっての――」


「ダメだ! 本当にキャラ崩壊してんじゃねーか! つーか酔っ払ってるって……まさか! 婆さん、小春のグラスの中を確認してくれ!」


 おれの指示通り、婆さんは小春の前に置かれたグラスをひとくち飲む。


「……ただの麦茶だぞい」


「んなバカな!? じゃあなんで小春はこんなに酔っ払ってんだよ!」


「あーっ! 思い出したっ!」


「どうした、麗美?」


「以前、小春ちゃんが言ってたことあるんだ。スーパーとか病院とかに置いてあるアルコール消毒液の臭いだけで酔っ払っちゃうんですよって。そのときは大げさに言ってるんだと思ったんだけど……」


「じゃあ、まさか、婆さんや愛姫が飲んでいるワインの臭いだけで酔っ払ったっていうのか!?」


「あったっりー! 千影先輩やるじゃーん。クイズ王になればぁ? 小春猛夫問題専門のクイズ王ってねー!」


 小春はヘラヘラと笑いながらおれの肩をバシバシと叩く。


「くっ、絡みづれぇ……。愛姫! とりあえず、いまグラスに入ってるワインを全部飲んでくれ」


「わかったわー。これも猛夫ちゃんのためね」


 愛姫はそう言うと自分のグラスと婆さんのグラスに残っていたワインを一気にあおった。……ていうか、小春の酒の弱さが規格外だから気づきにくいが、愛姫の酒豪っぷりもすげぇな。


「よし、これで小春がこれ以上酔っ払うことはないだろ。次はフラン! 水を持ってきて小春にぶっかけろ!」


「わかた」


 フランはこくりとうなづいて食堂を出て行くと、すぐに洗面器いっぱいの水をもって戻ってきた。そして、おれの指示通り、その水をやる気なさげなかけ声と共に小春にぶっかけた。


「おりゃー」


「ふにゃっ!」


 髪までびしょびしょになった小春は可愛らしい鳴き声を発すると、目をぱちぱちとさせる。


「あ、あれ? ぼ、ぼくはなにをしてたんでしょうか……? というか、あ、頭がズキズキしますぅ……」


「お、お前、さっきの記憶まったくないのか?」


「はわわわわ。も、も、もしかして、ぼく、酔っ払ってましたか? ご、ごめんなさい! ぼく、すっごくお酒に弱くって……」


「まさか、いまさらそんな残念要素を出してくるとはな……。ま、そういう残念なところを含めて小春なわけだからな。そんなに気にするなって」


「千影先輩……。ありがとうございます!」


「おおっ、さすが光一くん、心が広いねっ! それでこそ、わたしの大切な人! みんな、そんな器のデカい光一くんに惹かれてこのハーレムに集まったんだよね……」


「な、なんだよ急に……」


 唐突に麗美が褒めちぎるので、おれは戸惑ってしまう。


「ごめんね。こんな楽しい雰囲気の途中でホント恐縮なんだけど、ちょっと真面目な話をさせてね。時間があんまりないっぽいからさ」


 麗美が声のトーンを一段階落とす。先ほどまでの騒ぎが嘘のように食堂内に緊張が走る。


 なんだ? いったい麗美はなにを話すつもりなんだ?


「改めて言う必要はないかもしれないけど、わたしは牙城に殺された。そして、その無念さから地縛霊になったの」


「ああ、だからその無念を晴らすために、おれたちで牙城を捕まえたんだろ」


「そう。つまり、わたしはもうこの世界に縛られなくなったの……」


「……成仏するということかの?」


 声を発したのは婆さんだ。


「うん、そういうこと」


「は? 成仏? 成仏すっとどうなんだ?」


「簡単に言うと天に召されるってこと。この地上世界からはいなくなるってこと。これ霊界の常識だよ……」


 定番のフレーズ。でも、いつもの元気はそこにはなかった。


「いやいやいや、意味わかんねーって。霊界の常識なんか知らねーし、麗美がいなくなるなんてそんなの――」


 おれは言葉に詰まる。

 元々透けている麗美の体がいつもよりもさらに薄くなっていたのだ。


「もう……時間みたい」


「ふ、ふざけんな!」


 おれは机を思い切り叩くと、荒々しく立ち上がった。


 麗美がいなくなる? 成仏だがなんだか知らんが、そんなのあっていいわけない! だって麗美はここにいるじゃないか。おれと話してるじゃないか。それなのに、なんで……。


「光一くん、ごめんね。それに、ありがと」


「なに最後の挨拶みたいに言ってんだ! お前がいなくなるなんておれは認めねーぞ! おれ達は仲間だろ!? ハーレムの仲間だろ!?」


 そうだ。おれ達は仲間。おれは食堂にいる仲間の顔を見る。


「自称100086歳の天女ババアと!」


「光一……」


「超絶下戸の天然男の娘と!」


「千影先輩……」


「見た目は漢の最強助番と!」


「旦那……」


「経験値稼ぎにもならないスライム娘と!」


「コウイチ……」


「おれの命を狙う殺人姫と!」


「コウちゃん……」


「そして、嘘みたいに明るい幽霊娘のお前と! 7人で仲間だろ!?」


「光一くん……ごめん……」


 麗美の体がさらに薄くなる。


「……最後にひとつ秘密にしていたことを教えてあげるね」


 麗美は恥ずかしそうに下を向いて、ふふっと笑った。


「わたしがこの世界に縛られていた理由はふたつあったんだ」


「ふたつ?」


 牙城のことだけではなかったということか。でも、いま麗美は成仏しようとしているということは、その未練も果たすことができたということなのか?


「ひとつは牙城に殺された無念を晴らしたかったから。そして、もうひとつは――」


 麗美はおれの目をまっすぐに見つめる。


「――一度でいいから恋をしてみたかったからだよ」


 その言葉を発した直後、麗美の体はすうっと消えてなくなった。


「麗美……」


 おれは呆然とし、立ち尽くしていた。


 小春の嗚咽が聞こえる。


 虎徹は泣いてこそいないが、眉間にしわを寄せ時折鼻をすすっている。


 ほかのメンバーも全員が麗美が消えてしまったことを悲しんでいた。


 麗美はおれの考えを初めて理解してくれて、おれにハーレムを作るための呪いをかけてくれて、いつだって側にいてくれた。騒がしくって、子供っぽくて、でもいつも一生懸命で。そんな麗美が隣にいない生活なんて、いまのおれにはもう考えられなかった。

 おれにとって麗美は掛け替えのない存在なんだ。

 そんな麗美がこのまま消えていいわけがない!


 おれは食堂を見回した。


 麗美の姿は見えない。


 声も聞こえない。


 だけど、麗美はまだここにいる。そんな気がした。


 だからこそ、おれは先ほどまで麗美がいた場所に近づいて、ぎゅっと抱きしめた。


 そして、目を瞑ってキスをした。


 端から見れば、おれはただ虚空に唇を突き出しているだけなのだろう。実際におれの唇はなにも触れていない。

 それでも、おれは確かに麗美を感じた。


 麗美の温もり。


 麗美の愛。


 それらは間違いなくおれの腕に抱かれていた。


「あ」


 小春だろうか。だれかの驚きの声が聞こえた。


 未だに唇にはなんの感触もない。それでも、おれは確信に近い思いでゆっくりと目を開ける。


 ――そこに麗美はいた。


 相変わらず体は透けているし、触ることもできないけど、おれと麗美は間違いなくキスをしていた。

 ゆっくりと唇を離すと、おれは麗美の顔を見つめる。


「あ、あれ? わたし、成仏してない……? どうして?」


 麗美はなにが起こったのか理解できていないらしく狼狽していた。


「当然さ。おれはいま麗美に呪いをかけたんだからな」


「え? 呪い?」


「そう、呪いさ。こんな風にな」


 おれはそう言うと、もう一度麗美に軽くキスをした。


「あ……」


 麗美はようやく自分がされたことに気づいたようで、その頬は赤く染まっていた。


「光一くん……。こんな呪いをかけられたら、わたし、ずっと光一くんの側に縛られちゃうよ」


「ああ、ずっとおれの隣にいてくれ」


「ホントにずっとだよ? こんな幽霊で、光一くんの好きな巨乳でもなくて、触れ合うこともできない、そんなわたしがずっと一緒にいていいの?」


「おれの性格忘れたか? 『来るもの拒まず』だぞ。それに、おれ、麗美、婆さん、小春、虎徹、フラン、愛姫、この7人でひとつのハーレムなんだ。絶対にだれひとり欠けちゃいけねーんだよ」


 わっと周りから歓声があがる。

 みんなも同じように思っているとわかり、おれは嬉しくなった。


「光一くんっ!」


 麗美は涙目ながらもにっこり微笑むと、今度は自分から唇を寄せてきた。


 おれ達は本日3度目の、なんの感触もないキスをした。

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