日曜の切り裂き魔――牙城京介という男


 牙城がじょう京介きょうすけは女という存在そのものを見下している。だから、女は男に逆らってはいけないし、男は女をどんなに罵ったって構わないと思っていた。


 牙城がそんな考えになったのは、自分の一番身近の男女――つまり両親がそうだったからであった。

 一流大学を出て自分の企業を立ち上げながらも成功を収めた父は、無学な母をよく罵倒し、ときには殴ってもいたのだ。そんな光景を目の当たりにして育った牙城であったが、それでも最初のうちは暴力を振るう父親のほうがおかしいと思っていた。


 だが、ある時を境にその考えも変わってしまう。


 小学生の時であった。いつものように母を罵倒していた父は、自分で殴る価値すらもうないと思ったのか、牙城に木刀を手渡すとそれで母を殴れと命じたのだ。

 拒否しようと思った。だが、睨みを効かせた父を前にして牙城は自分の意志を貫くことなどできるわけがなかった。


 だから、その木刀で母を殴りつけた。


 母の悲鳴とともに両手にしびれるような感覚が走る。


 心臓の鼓動がうるさいくらいに体中を鳴らす。


 芽生えた許されない興奮に、牙城の理性はあっという間に飲まれていた。


 牙城は夢中になって母を殴った。母だとか、父に命令されたことなんかはすでに覚えてもいなかった。ただ手のひらに伝わる衝撃を味わいたくて殴り続けた。そして、気づいたときには痣だらけの母が倒れていた。


 その姿を見た牙城は自分のしてしまったことに愕然とし、今更ながら罪悪感を覚えた。


 だが、そんな牙城に対し母は「ごめんね」と謝ったのだ。


 牙城の脳内に革命が起きた瞬間であった。


 子供相手にぼろ雑巾のような状態にされ、さらには謝罪をするなんて、この女は父の言うとおり馬鹿なのだと思った。そして、こんな馬鹿ならどんなに殴ったって許されるのだろうとも思った。


 それからというもの牙城は父と一緒に、あるいは牙城ひとりでも母を殴った。母への暴力が日課でもあるかのように、毎日殴り続けた。

 そんな風に生活をして数年も経つと、母という感覚はとうに消え、同居人の女というくらいにしか思えなくなっていた。一番近しい女である母がここまで落ちぶれたからこそ、牙城は女というだけで他人を見下すようになっていたのだ。


 そんな牙城が高校生になり、男子校を進学先に選んだのは必然だといえるだろう。


 周りに馬鹿な女がおらず快適な空間だった。牙城は、学校では父のような人間になるべく勉強に励み、家庭ではストレス発散のために母を殴りつけるという平穏な日々を過ごしていた。


 だが、そんな牙城も年頃の男である。


 女を見下して関わりたくもないと思っていたが、性的対象が男へと向かっていたというわけではない。

 女と話すことなんて反吐がでるほどの嫌悪感を覚えているのに、道行く女を目で追っている。牙城はその矛盾に思い悩んだ。悩んで、悩んで、悩み続けているうちに、なんで自分が女のことでここまで悩まなければいけないんだと思った。


 ――女は下等で、男は上等。ならば、その辺りを歩いている女をどうしたってかまわないじゃないか。

 そんな結論に至った牙城は、夜中ひとりで歩いている女に狙いを定め、人気ひとけのないところで襲い、そして後々騒がれてはたまらないと処分した。


 こうして日曜の切り裂き魔は誕生したのだ。


 ただ、牙城としては最初から日曜日を狙っていたというわけではない。たまたま何度か犯行が日曜に重なったところ、マスコミが勝手に『日曜の切り裂き魔』と命名し騒ぎ立てたのだ。とはいえ、牙城自身もこの通り名を気に入り、それ以降はわざわざ日曜日に自分の欲求を晴らすようにしていた。


 そして、今日もまた牙城が切り裂き魔になれる日曜日がやってきた。


 ほかの殺人鬼がどうだかは知らないが、牙城はまず犯行現場を最初に決める。自宅から離れた人通りや街灯がほとんどない場所を平日の間に選出し、あとは日曜の夜中にひたすらターゲットになりうる女がひとりで歩いてくるのをひたすら待つというのが牙城のやり方であった。

 そのため空振りに終わる日もかなり多い。女のために時間を無駄にしたときは頭にくるが、犯行を終えた直後の充実感を考えればそれくらいはなんとか我慢できた。


 ――さて、今日はどうなるか。


 宝くじを買うような感覚で牙城は玄関扉を開ける。そしてその直後、牙城は自分の幸運を神に感謝した。


 なんと、自宅の門扉を出てすぐのところにブレザー姿の小柄な女が背を向けて立っていたのだ。これは宝くじでいうなら3億円の大当たりといったところではないだろうか。


 毎回女を襲いに出かけるよりも、自宅に連れ込むことができれば一番手っ取り早いのではないか。そうすれば、その都度処分する必要もなく、いつでも欲求を果たせるではないか。そんなことを牙城は犯行の度に常々思っていた。

 父はこのところほとんど家に帰らなくなってきていたし、母も牙城の暴力に恐れ刃向かうことなどなかったので、自宅は人を監禁するには最も適した場所となっていたのだ。


 ただ牙城はまだ車の免許を取得することができる年齢ではないので、その辺の女を無理矢理さらうのは難しい。さらには女を誘いこめるほどの話術や容姿も持ち合わせていない。

 つまり女を連れ込むなど牙城には夢物語に近い話だった。


 そんな中、自宅の目の前に馬鹿な女が背を向けて立ち尽くしているのだ。これは天がこの女を拉致しろと言っているようなものではないだろうか。

 牙城は下腹部からわき上がる興奮を押し殺しつつ、忍び足でその女の背後に近づいていく。そしてパーカーのポケットの中に準備していた2本の小型のナイフのうち1本を取り出した。


 女は牙城のほうには気づいていないようだ。


 牙城はにやりと笑みを漏らすと、その女の首筋にナイフを突きつけようとした――その時、シュッと空気を切り裂く音が聞こえた。


 牙城は反射的に後ろに飛び退いていた。


 そして前方を見やると、つい先ほど牙城がいた場所に深々とナイフが刺さっていた。


 無論牙城のものではない。誰かが牙城に向かってこのナイフを投げつけたのだ。牙城はそのナイフが飛んできた方向を睨みつけた。


「あらー、避けられちゃったわー」


 そこにいたのは金髪の女だった。胸の谷間をさらけ出し挑発的な格好をしている。


「な、なんのつもりだ、女!」


 牙城が声を荒らげるも、金髪の女は意に介してないようでにやにやと笑っている。


 女に小馬鹿にされること。それは牙城にとって最も耐え難いことだった。


「ふざけんじゃねーぞぉ! オンナァ!!」


 ナイフを構えると、金髪女へと一直線で突き進む。

 が、そのナイフが弾け飛んだ。


 牙城にはなにが起こったのかすぐにはわからなかった。自分の右手に焼けるような痛みが広がり、ようやく自分が攻撃を受けたのだと気づいた。

 ただ、攻撃してきたのは金髪女ではなかった。いつの間にか牙城のすぐ横に見上げるほどの大男が立っていた。その大男が一瞬で間合いを詰めて手刀で牙城の右手を払いのけたのだ。


 ――いや、違う。


 見た目はどこからどう見ても完全に男だったが、女を毛嫌いしている牙城には、それが大男ではなく大女であることが直感的にわかった。ただ、いまは目の前の人間が男だろうが女だろうが、そんなに重要な話ではなかった。自分よりもひとまわり以上でかい相手が鬼の形相で睨んでいるのだ。牙城の心には恐怖という感情が宿っていた。


「ひっ」


 牙城は思わず小さい悲鳴を漏らしていた。


「い、いったい、お前達なにもんなんだよ!?」


「俺様達かぁ? 俺様達は、ただのハーレムメンバーだよ」


 そう言うと同時に大女の拳は牙城の顔面へとめり込まれていた。

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