ハーレム作戦会議
ようやく麗美が泣きやんだ頃にはすっかり日が傾いていた。
こんなところでは落ち着いて話しもできないと、人が変わったように落ち込んでいる麗美をなんとか促し、おれ達は屋敷へと戻っていた。食堂に入ると小春が歓迎会の飾り付けをしている最中だった。
「お、お帰りなさい、千影先輩。……って、あれ? か、買い物に出かけたんじゃなかったでしたっけ?」
買い出しにでたはずなのに、なにも持たずに返ってきたおれ達を小春が不思議そうな顔で出迎えた。
「ああ、悪いんだが今日の歓迎会は中止だ。虎徹と愛姫は屋敷にいるよな? みんなここに集まるように伝えてくれないか?」
「は、はい……」
小春もさすがになにかあったのだと察知したようで、おずおずとふたりを呼びに部屋を出ていった。そして、すぐに虎徹と愛姫を連れて戻ってきたのだが、ふたりもこの重苦しい空気を感じ、静かにそれぞれの席へとつく。
「で? いったいどうしたってんだぁ?」
最初に口を開いたのは虎徹だった。
おれは先ほどの出来事をその場にいなかった3人に説明した。麗美が突然取り乱したと聞くと、3人とも目をむいて驚きを隠せないようだった。
「そ、そんなことがあったんですか……」
おれの話を聞いた小春は沈んだ様子の麗美に心配そうに尋ねる。
「それで、その、ゆ、悠木先輩はなんで急に叫んだんですか?」
「……」
麗美にいつもの明るさは微塵もなく、小春の問いかけにもただ下を向いて押し黙っている。この屋敷に戻ってくれば、落ち着いてなにかしゃべってくれるかと思ったが、やっぱり無理なのか……。
「麗美もこんな調子でさ、なにを訊いても答えてくれないんだ」
「そ、そうなんですか……」
「まぁ、話したくねぇってのに無理に聞くことはできねぇからな。とりあえず悠木が話したくなるまではこちらもどうしようもないっつぅことだな」
「そ、そうですよね。大丈夫ですよ、悠木先輩。話したいときに話してくれれば。ぼくは悠木先輩のお話いつでも聞きますから」
虎徹や小春の言うとおりだ。こうしてみんなで暮らしているからといって、隠し事をしてはいけないというわけではない。麗美が話したくないというのなら、そのことをおれ達が無理に聞くことなんて許されないんだ。
「ダメよ」
もうこのことには触れないでおこうということで結論づこうとしていた中、異議を立てたのは愛姫だった。その目は真剣で麗美を睨むように見据えている。
そんな愛姫に天敵の虎徹がすぐに噛みついた。
「おい、ダメってどういうことだよ。おめぇは無理にでも悠木に話をさせるってことか?」
「そうねー。ナイフ突きつけて無理矢理にでも聞きだしたいところだけど、幽霊の麗美ちゃん相手にそれは難しいでしょうねー」
「椿原。おめぇ、ふざけてんのか?」
「ふざけてるわけないじゃない」
「だったら――」
「あのねー。あたしだって、麗美ちゃんが話したくないって言うのなら無理して聞きたくはないわよー。でも、麗美ちゃんは話さなきゃいけないの。だって、みんなにこんなにも心配をかけちゃってるんだから」
愛姫の言葉にずっと下を向いていた麗美がはっと顔をあげた。
「麗美ちゃん。話したくないことや秘密にしておきたいことなんて誰にだってあるわ。あなただって、コウちゃんだって、もちろんあたしだって……。でもね、隠したいことがあるならちゃんと最後まで強がりなさい! 周りを心配させないように強がりなさいよ! 強がることができないんならみんなにあなたの隠し事を打ち明けなさい……それがみんなに心配をかけたあなたの義務よ」
これは愛姫だからこそ言えるセリフなのかもしれない。愛姫は背中のやけどの痕をずっと隠そうとしていた。でも、おれが心配したらすぐにそのことを話してくれた。大切な人を心配させたくない、それは愛姫のプライドみたいなものなのだろう。
「ふざけんじゃねぇぞ! だれがどう見たって悠木は話なんかできる状態じゃねぇだろ!? それなのにこれ以上悠木を追いつめるっていうなら俺様が――」
「虎徹さん、ありがとう。でも、もういいの」
ずっと黙っていた麗美がいきり立つ虎徹を制した。
「愛姫さんの言うとおりだから。わたしはみんなに心配をかけたんだから、その理由を話さなきゃダメだよね」
「麗美、無理はしなくていいんだぞ」
「ありがとう光一くん。でも、わたし話すよ」
麗美はにっこりと笑う。だが、その笑顔にいつもの元気はまったく感じられなかった。
「もしかしたらこの中の何人かは知ってるかもしれないけど、わたしが取り乱したのはわたしの死んだ理由が関係してるの」
「日曜の切り裂き魔か……」
婆さんがぽつりとつぶやいた。
「やっぱりキラお婆ちゃんは知ってたか。そう、日曜の切り裂き魔。日曜日の夜に若い女の子を狙う殺人鬼。じつはわたしはその殺人鬼の4人目の被害者なの」
そんな……。巷を騒がせている日曜の切り裂き魔のことはおれも知ってはいる。決まって日曜の夜に若い女の子を狙ってナイフで滅多刺しにするという凶悪犯で、すでに5、6人の被害がでていたはずだ。だが、おれはほとんどテレビやニュースを見ないから、それ以上の知識はほぼないといっていい。だから麗美と初めて会ったときも「以前、どこかで会ったことがある気がする」くらいにしか思わなかった。まさか、麗美があの殺人鬼の被害者だったなんて……。
「あの日、わたしは帰りが遅くなっていたもんだから、近道をしようと思って光一くんと初めて出会ったあの神社の前を通ったの。でも、それがいけなかった。あそこの辺りは夜になると街灯もまばらにしかなくって、人通りもほとんどないの。鳥居の前でわたしは襲われて、草むらに連れ込まれて、そこで、そこで――」
「もういい」
おれは苦痛にゆがむ麗美の顔を見るのに耐えきれなくなり言葉を遮った。
「つまり、あれか。頬に傷のある男。あいつが犯人ってことなのか?」
「……うん。あの頬の傷もわたしが必死で抵抗したときにひっかいてできた傷なんだ……」
怒りで体が燃えているかのように熱くなる。それと同時に自分の身勝手さにも少し嫌気がさしていた。
というのも、おれはこれまでも日曜の切り裂き魔のことは知ってはいたが、特に興味もなかった。「世の中には悪い奴がいるもんだ」くらいにしか思っていなかった。どこか他人事のように思っていたのだ。それなのに、麗美が被害者だと知った瞬間に怒りを覚えるなんて、おれは本当に自分勝手な人間だ。
だけど、それでもいい。
自分勝手なのかもしれないが、世界のどこかでだれかが死ぬよりも、隣にいる麗美が悲しそうな顔をするほうが、おれにとってはよっぽど耐え難いことなんだ。
「警察に言おう」
おれは怒りで気が狂いそうであったが、それでも努めて冷静な提案を示した。
「犯人がわかったんだ。警察に通報すりゃ一発で捕まえられるさ」
「そりゃ無理じゃねぇのか?」
「どうしてだよ、虎徹」
「だってよぉ、その男とは今日たまたまスーパーで出会っただけなんだろぉ? 居場所も特定できないのに通報ってのは難しいんじゃねぇ?」
「今日スーパーに来ていたってことはまた来る可能性だって高いってことだろ? だから、張り込みでもしてたら、きっと住んでる場所もわかるって!」
「住んでいる場所がわかったからどうなる? それで警察に駆け込んでなんて説明する? 連続殺人鬼の住処を見つけましたってかぁ? こんだけ世間を騒がしてる事件だ。警察だってメンツを守るために躍起にゃなってるだろうが、世間を騒がしてるからこそデマや偽の情報もごろごろ届いているはずだ。信憑性のある話じゃなきゃ、きっとそのひとつとして処理されちまうぜぇ」
「んなバカな! こっちには麗美がいるんだぞ!? 麗美が証言してくれりゃ信じてくれるだろ!?」
「旦那、怒んのも無理ねぇが、ちったぁ落ち着けよ。悠木が幽霊だってことを忘れてねぇか?」
「あ……」
麗美は幽霊だから他人は見えない。被害者の幽霊が犯人を特定したんですなんて言ったんじゃ警察だって信用するわけがないだろう。冷静だと思っていたのに、そんなことすら忘れてしまうほどにおれは興奮していたようだ。
「光一くん、もういいよ……。もういい……」
麗美の言葉でみんな黙ってしまう。
いいわけない。麗美にこんなつらい思いをさせた奴がのうのうと暮らしているなんて絶対に許せない! でも、実際どうすりゃいいのかわからなかった。
「あ、あの……」
重い静寂を破りおずおずと声をあげたのは小春だ。
「ぼく、ずっと気になっていたんですけど……ふ、フランちゃんはどこに行ったんですか?」
「フラン?」
おれは周囲を見回してはっとする。
小春の言うとおり、フランの姿はどこにもなかったのだ。
おれは自分の迂闊さを呪った。あんまりにも麗美が取り乱していたのでフランがこの場にいないことすらも気づかなかったのだ。
「婆さん! フランがどこに行ったかわかるか?」
「ああ……知っとるよ」
婆さんはゆっくりと頷くと、フランが着ていたはずのバイクスーツとフルフェイスヘルメットを取り出した。
「よかった。それがあるってことは屋敷には帰ってるってことだよな?」
おれが安堵しながら尋ねると、婆さんは力なく首を横に振った。
「いいや。フランは――麗美があの頬に傷のある男を見て平静を失ったのに気づいて、その男の後を追ったのじゃ」
「は!?」
「ドロドロのゲル状態で地を這えばきっと気づかれないからと、服をわしに託して行ってしもうたのじゃ……」
「どうして!?」
麗美が声を荒らげた。
「どうして止めなかったの!? スライムのフランちゃんがもし誰かに見つかったら大変なことになるってキラお婆ちゃんならわかるでしょ!?」
「わしだって止めたかった! じゃが、普段そこまで意志表示をしないフランが、あんなにも意を決した表情しているのを見てしもうたら、引き留めることなんてできなかったんじゃよ……」
「でも! でも……フランちゃんにもしものことがあったら、わたし……」
麗美はさめざめと泣き出してしまった。
もしフランになにかあったら、間違いなくおれの責任だ。突然の事態だったとはいえ、おれが冷静でいれたらフランを危険な目に合わせる必要なんてなかったのに!
と、唐突に食堂の扉がガチャリと開きある人物が入ってきた。
「レイミ、まだ泣いてる……?」
フランだった。
「フ、フランちゃん!」
麗美はその姿を見て、比喩ではなく飛び上がった。
おれやほかのハーレムメンバーも無事に帰ってきたフランの周りを取り囲んだ。
「大丈夫!? 怪我とかしてない!?」
「大丈夫。フラン、怪我しない……」
「で、でも、ぼ、ぼく達、みんな心配してたんだよ……。フランちゃん、あんまり、無理しちゃダメだよ……」
「無理……してない。なんで小春も泣く……?」
「よく無事に帰ってきてくれたの……」
「……キラリも泣いてる? みんなどうした?」
フランは泣いているメンバー達を見てうろたえていた。
「ごめんなフラン。おれがふがいないばかりに、お前に危険な目に合わせちまってさ」
「なんでコウイチ謝る? コウイチがみんな泣かせた?」
「違うわよー。コウちゃんもみんなも、フランちゃんが帰ってきたことが嬉しくって泣いちゃっているのよー」
そう言いながらフランを抱きしめる愛姫の目にも、うっすらと涙が溜まっていた。
「おー。人は嬉しくても泣くのか……」
「そうだぜぇ。今野はそれくらいみんなに愛されてるってこったぁ」
「ならフラン、みんなをもっと泣かせられる。そんで、もっとみんなに愛される」
フランはふふんと得意げに胸を張る。
「フラン、レイミをいじめた奴の家、見つけた」
「ほ、本当か!?」
「うん……。この屋敷の近くだった」
最寄りのスーパーにいたからもしやとは思ったが、まさかこの屋敷の近所に日曜の切り裂き魔が潜んでいるとはな……。なんだか複雑な気分だ。とはいえ、これは間違いなくチャンスといえるだろう。
「旦那ぁ、さっきも言ったが、居場所がわかっても警察を動かすのは難しいぜぇ」
「ああ、わかってる。でもさ、おれもない知恵振り絞って犯人を捕まえるアイディアをふたつ考えたんだ」
おれはピースサインをするかの如く二本の指を突き立ててみせた。先ほどまでは興奮しすぎて安直にしか物事を考えられなかったが、こうしてフランが頑張って成果をだしてくれたのを見て、少しは冷静になれた気がする。
「ふたつのアイディア?」
「ひとつは犯人の居場所が特定できているわけだから、確実な証拠を手に入れてから警察に通報するって方法」
「なるほどー。警察を動かすためにこっちが先に証拠を押さえちゃおうってことねー」
「それで、そ、その確実な証拠っていうのは、な、なんなんですか?」
「そりゃ決まってる。麗美が引っ掻いて犯人に傷をつけてるわけだからな。髪の毛でもタバコの吸い殻でもなんでもいい。DNAが確認できるものだったらOKだ。……だけど、犯人の行動しだいではその証拠を手に入れるのは骨が折れる作業になるはずだ」
「ま、そりゃそうだなぁ。そいつが家の中からぜんぜん出てこない引きこもり野郎ってなったら、打つ手なしってことにならぁな。それにちんたらしてたら被害が拡大するだけだ」
「そこでふたつ目のアイディアだ。明日は日曜日。つまり――」
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