決闘
いつもならうつらうつらとしながらもきちんと聞いている授業も、今日ばかりはまったく耳に入ってこなかった。
そりゃ、放課後にこの界隈で最強とも名高い人間との決闘が待っているのだ。のんびり授業なんか受けている場合ではなかった。
麗美のほうもおれが説明してようやく状況を理解したようで、すでに帰りのHRも終わり現場に向かおうとしているのに、未だに心配そうにおれに尋ねてくる。
「光一くん、ホントに行くつもりなの?」
「ああ。呼ばれたのに無視するわけにもいかないだろ」
「でも、番長だよ。行ったら光一くんボコボコにされちゃうよ……」
「いやいや、おれのほうがボコボコにするって発想はないのかよ?」
そう言っておきながら、自分でもそうなる可能性はほぼないだろうと思っていた。
相手の極堂はこの学校の番長。昨日の三下とはレベルが違うのだ。しかも、相手がその極堂ひとりとも限らない。大勢の舎弟を引き連れてやってきたら、おれはただ一方的に殴られるだけだろう。
それでも、おれは校舎裏へと向かう。
昨日、狂犬トリオが小春にしたことは絶対に許せない。あいつらの親玉に一言謝らせたかったし、一発ぶん殴らなければ気がすまなかった。
「麗美が襲われたりすることはないだろうけどさ、もしおれが殴られるのが見るに耐えれなくなったら、物陰にでも隠れててくれな」
「いやだ!」
麗美は即答する。
「わたしも戦うよ。昨日みたくポルターガイスト使えば少しは戦力になるはずだから」
本当は暴力的なことは嫌いなのだろう。麗美の目は涙で潤んでいた。それでも、その瞳には決意の炎が確かに燃えていた。
「ありがとな……」
麗美へ素直に感謝の言葉を告げると、おれは校舎裏へと足を踏み入れた。
大勢の不良が一気に睨みを効かせてくるかと思いきや、そこにいたのはたったふたりだけ。ひとりは昨日、麗美がとどめを刺したあの狂犬トリオのオタク風。そして、その隣には腕組みをした身長が190センチはありそうなほどの巨漢が。
間違いなくこいつが極堂虎徹だろう。闇夜のように黒いボサボサの髪の毛を襟元あたりまで伸ばしており、肩から羽織った長ランの下から覗くTシャツは奴の筋肉ではちきれそうなほどにパンパンに膨らんでいる。
――噂通りクソ強そうだ。
おれが近づいてくるのを見て、巨漢のほうが一歩前に出て声を張り上げた。
「俺様の名は極堂虎徹! てめぇが千影光一か!?」
「呼びだした相手の顔くらい覚えておくのが礼儀じゃないのか? それとも番長だからそんな礼儀は守らなくってもいいってか?」
口では挑発していたものの、正面に向かい合って極堂の大きさに改めて驚く。近くでみるとこいつの体、岩山のように分厚いな……。
「ふっ、こいつは悪かったなぁ」
意外にも極堂は素直に謝る。だが、すぐにギロリとおれを睨みつけてきた。
「ただ、俺様も番長として自分の舎弟がボコられて黙っているわけにもいかねぇんでなぁ」
「つまりおれを呼び出したのは、その隣にいる雑魚のための敵討ちってことか」
「なっ! これ以上拙者をバカにすると奥歯ガタガタ言わせますですぞ!」
オタク風がキレ気味に定番ともいえる脅し文句を口にする(正直、その口調のせいで全然怖くはないが……)。そして、その勢いのままおれに殴りかかってきた。
「やめろ!」
極堂が一喝してオタク風の男を制する。
「ビーグル。おめぇはこの男に昨日負けたんだろうが! 一度負けた野郎がきゃんきゃん吠えるじゃねぇよ! みっともねぇ」
「す、すいません……」
ていうか、このオタク風、ビーグルって呼ばれてるの!? まあ、確かに狂犬トリオって話だったけど、ビーグルはないだろ! もっと怖そうな犬なんていくらでもいるだろうに、なんでビーグルにしたんだよ!? いや、でもビーグルって元々は猟犬なんだっけ? それに、よくよく見るとこいつ輪郭とかスヌー○ーに似てるしビーグルでもいいのか……?
おれがそんなどうでもいいことを思っている間にビーグルは拳を引っ込め、後ろへと下がっていた。
「わりぃな。俺様の舎弟のくせにどいつもこいつも弱くっていけねぇ。ま、とはいえ、それでも舎弟は舎弟だ。そいつをバカにするってのは俺様をバカにするのと同義ってこと。つまり、てめぇを許すわけにはいかねぇってことだ」
「ふん、そりゃ奇遇だな。おれもお前らには心底ムカついてんだよ」
「そうかよぉ。じゃ、わかりやすく殴り合いで決着つけようやぁ。――安心しろ。ビーグルには俺様が負けようが、てめぇには絶対に手を出すなと言ってあっからよ。……ま、俺様が負けるわけがねぇんだけどなぁ」
この極堂という奴は思っていた以上に硬派な性格のようだ。ここに来る前に大勢の舎弟を引き連れてくるかもと予想していたことがなんだか恥ずかしく感じた。
「麗美」
極堂の言葉を聞き、おれは隣で浮遊している麗美にそっと声をかける。
「そういうわけだから、お前もこの勝負には絶対に手をださないでくれ」
「そんなっ! わたしも戦うよ!」
「相手がタイマンする気でいるのにお前が助太刀しちまったら、だまし討ちみたいになっちまうだろ。おれはそんなことをしたくないんだ」
「でも……」
「頼む」
「……わかった。そのかわり絶対に勝ってよね! そうじゃなきゃ呪っちゃうんだから!」
「ああ」
「絶対だかんね!」
麗美はそう言うとおれと極堂から距離を置く。
悪いな麗美。たぶんその約束は守れない。この体格差でおれがあいつに勝てるわけがない。麗美のポルターガイストを利用したって微妙だ。それでも、相手が正々堂々ひとりで勝負しようとしているのに卑怯な手を使いたくはなかった。
すると極堂が声をかけてきた。
「いいのかぁ? 俺様相手にタイマンなんて自殺行為だぞ?」
「ほざけ」
その一言が開戦のゴングとなり、おれたちは拳を構え、じりじりと円を描くように互いの距離を近づけていく。
明らかにリーチは相手のほうが長い。タックルをしても体格的にテイクダウンを奪うのは難しい。だけど、奴の顔面に一発はぶち込まないと気がすまない。ならばおれがとる行動はひとつしかない。
おれはゆっくりした動きから一転し、一気に距離を詰めるとコンパクトな左ストレートを放つ。
緩急をつけて出鼻をくじいた。しかもダメージを与えるような重いパンチではなく速さ重視の軽いパンチ。これで極堂を倒すなんてことは到底無理な話だろうが、とりあえずその顔面をぶん殴れる。これは当たる。絶対に当たる。
そして、おれの拳が極堂の顔面をとらえた――
――と思った瞬間、おれの体は宙を舞っていた。
え? 意味わかんねぇ。殴ったはずのおれがなんで吹っ飛んでんだよ。
ドスンと体全体に衝撃が走る。どうやら地面に落ちたようだ。
そう理解したと同時に顔面の強烈な痛みに気づいた。焼けるような痛みが左頬から顔全体へと広がっている。
そうか……。おれは極堂を殴りつけようとしたその瞬間、奴にカウンターで殴り返されたのか。奴の拳はまったく見えなかったが、現時点でおれがこうして倒れているということはそれしか考えられない。ああ、クソ痛ぇ……。痛ぇけど、それ以上に眠い。あ、ダメだ。もう、意識が――遠くへ――――
「光一くん!!」
遠くで麗美の悲痛な叫び声が聞こえる。その声でおれは闇へと沈んでいきそうだった意識をなんとかつなぎ止めることができた。
そうだ! こんなとこで倒れている場合じゃねえ! おれは絶対に退くわけにはいかねぇんだよ!
「くっ……そぉぉぉ!」
おれは歯を食いしばりなんとか立ち上がる。
足がふらつく。腕はあがらない。顔はクソ痛ぇ。思考は定まらない。そんな中でもひとつだけわかるのは、おれはこの極堂って奴をぶん殴らなければならないということだけだった。
「へぇ、俺様の拳がクリーンヒットしたってぇのに立ち上がるか……」
極堂は感心した面持ちだったが、すぐに戦闘モードに切り替わり、おれに一瞬で近づくとパンチを放つ。奴の拳はおれのわき腹へとめり込んでいた。
「がはっ……!」
昼に食べたババァ特製の弁当が逆流しそうになったが、なんとか胃へと押し戻す。膝をついてしまいたかったが、それも必死でこらえてみせた。
「へっ、おもしれぇ」
極堂は不敵に笑うと、今度は右フックをおれの顔面にたたきつける。返す刀で左フック、今度は右、またしても左、最後はボディブロー。
それでもおれは立っていた。
痛いし、つらいし、倒れちまいたかったけど、おれはまだ極堂を殴ってない。奴を殴るまでは眠るわけにはいかなかった。
「な、そんなバカな……。俺様のパンチをこんだけくらってるってぇのに……立っているだと……!?」
極堂から完全に笑みは消えていた。感心した面持ちでもない。これほど殴ってもおれが倒れないことに呆然としているようだ。
これは――チャンスだ! おれが反撃できる状況にないと思っているのだろう。極堂のガードはさがり、棒立ちになっている。これなら一撃はあてられる!
足の震えが止まらない。鼻血が出ていて呼吸もまともにできない。それでもなんとか体を動かして、よろけながらも極堂へと近寄る。そして、全体重を乗せた渾身のパンチを放った。
右手に痺れるような感触。
あたった。おれの右ストレートが。後は、思いっきり、振り抜くだけ!
「ぐっ……」
極堂の体が後ろへ吹っ飛ぶ――が、すぐに体勢を立て直すと、鬼の形相で拳を振り上げた。
そのとき、辺りに大声が響いた。
「やめてください!」
その声とともに現れたのは小春だった。息を切らし、涙で頬を濡らしながら、おれ達の元へと近づいてくる。
突然の来訪者に極堂の動きが止まる。おれも小春がここに来たことに驚き体が固まっていた。
「これ以上ぼくのために戦わないでください!」
なんでここに小春が? 果たし状のことは小春には伝えていないはずだぞ……って、おれは放課後小春と帰る約束をしてたんだ! 小春のことだ。待っても来ないおれのことを探して、ここまでやってきたのだろう。そして、この状況を見てすべてを理解したというわけか。
「千影先輩を殴るなら、代わりにぼくを殴って構いません。だから、もうやめてください!」
小春は両手を広げて極堂の前に立った。こうして見ると身長差がかなりあり、大人と子供が向かい合っているようにも見える。
「ちょ、ちょっと待て。俺様にどういうことか説明してくれねぇか?」
「ぼくを助けたことで千影先輩が傷つくなんて耐えられないんです!」
「いや、だから、俺様、話が見えねぇんだが……」
なにやら小春と極堂で会話がかみ合わない。とりあえず、おれがしなければならないことは、興奮気味の小春を落ち着かせることだろう。
おれは小春にこの場から離れるように伝えようと口を開いた。
――だが声が出ない。
殴られる続けたことによるダメージの蓄積。極堂へ一発お見舞いしたことによる満足感。そして、小春の登場により完全に切れてしまった集中力。
それらが重なり、おれの意識は唐突に消えその場に崩れ落ちてしまっていた。
「光一くん!」
「千影先輩!」
最後に麗美と小春の叫ぶ声が聞こえたが、今回はおれの意識をつなぎ止めるには至らなかった。
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