自称天女


 予想通り、その日は散々だった。


 注意をしたその後も麗美はずっと話しかけてくるし、授業中は静かにしていると思ったら、突然机の下からすり抜けて顔を出し驚かせてきたりもした。その度におれは素っ頓狂な叫び声をあげてしまい、クラスメイトから冷ややかな視線を浴びる羽目になった。


「いやー、今日は楽しかったねっ」


 家路を歩く中、麗美はニッコニコの笑顔でおれの隣を浮遊している。


「おれは全然楽しくなかったっての! てか、おとなしくしてるって約束だったじゃんかよ!」


「あははー、ごめん、ごめんっ。わたしも久しぶりに学校なんて行ったもんだから、ついついはしゃいじゃってさ……」


 そう言って麗美はそっと目を背けた。


 そうか……。そういえば、地縛霊は場所の移動ができないって言っていたっけな。つまり、麗美は死んでからずっとあの神社の前にいたってことになるわけか。しかも、誰とも話すことができずにだ。そんな中、おれと出会って久しぶりに他の場所へと出歩けるようになったわけか。はしゃぐなって言うほうが酷な話なのかもしれないな……。


「いや、すまん。おれも無理を言い過ぎたよ。こうして歩いている時とかはふつうに話しかけてくれても構わないし、可能ならおれも返事はするようにする。たださ、授業中だけは静かにしておいてくれないか? おれがいちいち驚いたりしてたらさ、クラスメイトにも迷惑がかかっちゃうからさ」


「……光一くんって、本当にお人好しだよね」


 麗美がぽつりと呟く。


「なんだよ、せっかく譲歩してやってるのにバカにするなよ」


「違う違う、勘違いしないでよ。これでも誉めてるんだって。わたしみたいな幽霊にも気を遣ってくれるし、本当に優しい人なんだなって思ってるよ」


「どうだか……」


 そんなこと言いながらも、おれは麗美の言葉をこそばゆく感じていた。昔から親のいない生活を続けていたため、人から叱られたり、誉められたりすることに慣れていなかったのだ。


「だから、逆に心配でもあるけどねー。悪徳商法かなんかに引っかかりやすそうなんだもんっ」


「なんだよ、結局誉めてねーじゃんかよ!」


 おれは失笑しながらも麗美にツッコミをいれた。


「ていうか、悪徳かはわからんが心霊商法には見事に引っかかってる気もしなくはないがな……」


「ちょっ! それ、もしかしてわたしのこと?」


「他にだれがいるんだよ」


「ひどいっ! わたしは光一くんのためにハーレムに入ってあげたり、朝ご飯だって作ってあげたりしたのに、そんな言い方ひどすぎるっ!」


 麗美はよよと大げさな泣き真似をする。


「いまだって、光一くんのために幸運の壷を特別価格の30万円で売ってあげようと思ってたのにっ!」


「それ思いっきし悪徳商法じゃねーか!」


 そう言ってふたりで笑い合う。

 心地良い。こうしておれのことを理解してくれる女の子と、冗談混じりに会話をすることなんて今までなかったから、麗美と歩いているだけですごく気分が弾む。幽霊だろうがなんだろうが、麗美がハーレムの1人目になってくれて本当によかった。

 そんな穏やかな帰り道であったが不意にそれが壊れることになった。


「ぎゃー!!」


 突然どこからか甲高い悲鳴が聞こえてきたのだ。


「なんだ今の叫び声は!?」


「あの角から聞こえたみたい」


 麗美は前方にある十字路の左側を指さす。動揺しているのか、その指はプルプルと小刻みに震えていた。


「行くぞ!」


「う、うん……」


 悲鳴のした方へと駆け出すおれの後を麗美は戸惑いの表情をみせながらも続いた。

 なにが起こっているのかわからないのに下手に近づくべきではないのだろう。それでも、おれは誰かが助けを求めているかもしれないのに放置しておくことなんてできなかった。


 全速力で十字路の角を左に曲がると、そこには着物姿の老婆と若い男がいた。双方の手にはひとつの巾着袋が握られており、互いに引っ張り合っている。――いや、正確には老婆はなんとか袋の端を掴んでいるだけで、若い男に力負けして地面を引きずられていた。


 ひったくりだ。


 怒りでカッと体が熱くなる。他人のものを強引に奪う行為なんてただでさえ許せないというのに、それを自分より明らかに力が劣る相手に行うなんて人として恥ずべきことだ。

 相手が武器を持っているかもしれないとか、頭に血が昇った状態でそんなことを考えることはできなかった。おれは怒りに身を任せて「うおおおぉー!!」と叫び声をあげながら男に向かって突進していた。


 その姿を見た男はチッと舌打ちしたかと思うと、手にしていた巾着袋をあきらめてその場から逃げ出した。


 逃がしてなるものかと男の背中を追おうとしたが、老婆が地面にうずくまっているのが見えて足を止める。


「麗美! この婆さんの介抱を頼む」


「そ、そんなの無理だよっ! わたしの姿は光一くんにしか見えないんだから」


 麗美は青ざめた表情で答える。


 そうだった! じゃあどうする? 早く追いかけないと犯人を見失ってしまう。とはいえ、この婆さんのことをほっとくわけにもいかない。

 おれは下唇を噛むと決断を下した。


「婆さん、大丈夫か?」


 犯人を逃がしてしまっては新たな被害が生まれる可能性がある。だが、ここでこの婆さんのことをそのままにして万が一のことがあったりでもしたら、おれは一生後悔することになるだろう。

 おれは老婆のそばに寄ると、もう一度尋ねた。


「怪我とかしてないか?」


「ああ、大丈夫じゃ、巾着袋も無事じゃしな……。イテテテテ」


 老婆は立ち上がるも顔を歪めて右手を押さえる。


「おい、怪我してんじゃんか!?」


 おそらく引きずられた時にすりむいたのだろう。老婆の右手の甲から血が流れて、地面にポタリと赤いしずくを落としていた。


「大変だ! すぐに救急車を呼ぶからな?」


「いやいや、ええんじゃ。こんなもんすぐに治る」


「いや、でも……。そうだ! おれの家がすぐそこにあるからさ、そこで応急手当だけでもするよ」


「ええって、ええって。わしはすぐに怪我なんかが治るたちなんじゃて」


「ダメだっての! 手当しないとおれの気が収まらないから!」


 失礼な話ではあるが、歳をとると抵抗力が衰えているため、小さいすり傷でもばい菌が進入しただけで悪化してしまう可能性がある。ここはなにがなんでも応急手当だけでもしなくては。


「ちょいと失礼すっぞ」


 おれはそう断ってから老婆を抱きかかえる。


「なっ、なにを……」


 戸惑う老婆をよそにおれは自宅へと走った。

 老婆も最初こそ「おろしてくれ」と腕の中で暴れもしたが、おれの真剣さにすぐに観念し、応急手当を受けることを了承してくれた。


 屋敷に帰るとリビングのソファーに老婆を座らせて、おれは薬箱取り出すために戸棚の引き出しをいくつか開けてみる。しかし、いざ探し始めてみるとなかなか見つからない。


「うーん、ちょっと待っててな」


「あんたの厚意はありがたいんじゃが、本当に大丈夫じゃぞ」


「大丈夫じゃないから。たとえかすり傷だったとしてもほっといたら化膿しちまうぞ」


「いや、だから、さっきも言ったと思うが、わしは怪我なんかがすぐに治る体質なんじゃて。なんせわしは不老不死の天女じゃからな。……ほれ、さっきの傷ももう完治しとる」


「はいはい、冗談もそれくらいにしといてな。すぐに薬箱見つけてやるから」


 おれは老婆のジョークをスルーして棚の中の捜索に集中する。


「……光一くんっ!」


 不意に、隣にいた麗美が驚いたような声を出す。


「んだよ……。婆さんがすぐ近くにいるんだからあんまり話しかけるなって。ていうか、麗美も薬箱探すの手伝ってくれよ。多分この辺に――」


「光一くん! そんなことより、お婆さんのほう見てっ!」


 なんなんだよ、そんなに大声だして……。婆さんのほうを見ろって、おれの方にしわばかりの右手の甲を見せつけてるくらいで別に変わったところなんてないじゃないか。

 ……って、あれ? 婆さんがすりむいたのはたしか右手だったよな? したたり落ちるほどに出血していたはずなのに、なんでその手には傷ひとつついてないんだ!?


「婆さん、さっきの怪我は!?」


「だから言ったじゃろ。完治したと」


「そんな馬鹿な……」


 唖然としてるおれに対し、婆さんはふぉっふぉっふぉっとおとぎ話に出てくるような魔女のように笑った。


「しかし、あんたみたいな子がいるとは最近の若者も捨てたもんじゃないのぉ。ひったくりに立ち向かっていき、こんな見ず知らずの老婆にも優しくし、しかも幽霊まで飼っているんじゃからな」


「え!?」


 おれと麗美は驚き顔を見合わせる。

 だって、麗美は幽霊なわけで、基本的に人には見えないわけで、見えるとしたらおれのハーレムに入ってくれる人なわけで……って、おいまさか、嘘だろ?


「……お婆さん、わたしのこと見えるんですか?」


「ああ、はっきりと見えるぞい」


 老婆は麗美の質問にきっぱりと返事をする。その答えに麗美は満足そうにうなづいた。


「光一くん! 2人目のハーレムメンバーを発見したよ!」


「嘘だろぉーーーーーーーーー!?」


 おれの心からの絶叫が屋敷にこだました。

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