暗黒半球体


 午前7時。


 ピピピピピとスマホのアラームが鳴り響く。

 おれはそれを止めると、横になったまま大きく伸びをした。

 いつも通りの起床時間だ。


 昨日は幽霊少女の悠木麗美と出会い、記念すべきハーレムの第一歩を踏み出した。さらには、ハーレムを作れる呪いなるものまでかけてもらった。これはおれの目標に大きく近づいたといっていいだろう。


 ――ただ、いまになって昨日の出来事が信じられなくなってきていた。

 だってそうだろう? 幽霊少女も、ハーレムになる呪いも、あまりにも現実離れしすぎている。もしかしてあれは夢だったのではないか。おれがあまりにもハーレムに憧れていたから、そんな夢を見てしまったという可能性は十分にある。


 とりあえず、おれの記憶では麗美には3階の一番左端の部屋をあてがい、彼女も嬉しそうにその部屋の扉をすり抜けて入っていったはずだ。そう、つまりちょうどこの真上の部屋なわけだ。


 おれは仰向けのまま天井を見上げる。


 しかし、麗美に部屋を与えたのはいいが、幽霊ってどうやって寝るんだろうか。ベッドはすり抜けちゃうだろうし……やっぱり浮遊したまま? いや、そもそも幽霊って寝るのか?

 おれがそんなことを考えながらぼーっと天井を眺めていると、ふと違和感を覚えた。

 天井の一部が水面のように波打っているのだ。


 なんだありゃ? 水漏れか? それとも、ただ寝ぼけているだけだろうか。

 おれは目を凝らしてその箇所をじっと見つめてみる。


 ――と、突然その天井から女の顔が浮かびあがってきて、おれに向かっておどろおどろしい声でこう言った。


「おーはーよー」


「ぎぃゃー!!」


 突然起きた怪奇現象におれは悲鳴をあげてベッドから転げ落ちる。そんなおれに対し、天井の女は「ぷっ」と吹き出し、仕舞いには声をあげて笑い出した。


「あっはははっ! そんなに驚くとは思わなかったよ」


 おれは、その笑い声でようやく、いま天井から現れた女の顔が麗美のものだと気づいた。


「なんだ、麗美だったのかよ。マジで心臓が止まるかと思ったろ……」


「ごめんごめんっ。せっかく幽霊になったんだから、幽霊らしいことのひとつでもしておこうかと思ってさ」


 麗美は天井からぬるりと出てくると、未だに床に転がっているおれの前におりた。


「しっかし、驚いたからって『ぎぃゃー』はないでしょ」


「お前、急に天井に顔が浮かび上がったら、だれだってそんくらい叫ぶっての!」


 おれは文句をつけながらも内心はほっとしていた。麗美がこうして存在しているということは、昨日の出来事が夢ではなかったとわかったからだ。


「幽霊と同居しているんだから、これくらいでビビってちゃダメだよー」


「まさか毎朝こんなドッキリみたいなことするつもりじゃないだろうな? そんなことされたらハーレム作る前に心臓麻痺で死んじまうぞ」


「おっ、そうなったら幽霊同士でわたし達お似合いカップルになるんじゃない?」


 麗美はそう言うと悪戯っぽく笑ってみせる。


「軽く恐ろしいこと言うなっての!」


「いやだなー、冗談だって。そんなことよりさ、着替え終わったら食堂に来てねっ。光一くんのために朝ご飯用意しといとから」


 麗美はそう告げると、さっさとおれの部屋の床をすり抜けて1階へと降りていった。


 なんというか、自由な子だ。ただ部屋の出入りは扉からにしてほしいぞ……。つーか、朝ご飯? 

 おれはその『朝ご飯』というワードになにかひっかかるものを感じた。とはいえ、そのひっかかりがなんのことかは考えてもわからなかった。とりあえず、わからないものはどうしょうもないので、麗美の言うとおり着替えて食堂に向かう。


 しかし、一人暮らしをするようになってから自宅で朝食を食べるのは久しぶりだ。いつも高校に行く途中のコンビニでおにぎりかパンを買い食いしていた。というのも、この家のあの大きな食堂でひとりで食事をとっていると、どうしたって孤独を感じてしまうからだ。ハーレムを目指している身としては、孤独を痛感させられる瞬間というのがなによりも堪える。

 だからこそ、久しぶりの孤独を感じない朝食、しかも女の子が作ってくれた朝食に、おれは少しウキウキしていた。


 ――が、食堂に入り心境は一変する。


 食堂の一番端っこの席の皿の上に、グロテスクな真っ黒の半球体がこんもりと盛られていたのだ。そして、席の隣には麗美が自信満々な表情で立っている。


「さ、光一くん、座って座って」


 麗美に促されるまま、おれはその不可思議なオブジェの前に座る。近くで見ると、表面がクレーターのようにデコボコしていていっそう不気味さが増す。


「さあ召し上がれ」


「これは――」


 いったいなんなんだ? そもそも食品なのだろうか? 人間が食っていいものなのか? 霊的存在の食料ということなのか?

 おれの頭の中でそんな疑問が渦巻いていた。しかし、目を輝かせている麗美の前でそんなことを尋ねるわけにもいかない気がする。


「本当はもっといろいろ作りたかったんだけど、冷蔵庫がほとんど空っぽだったからさ、有り合わせを炒めてチャーハンにしてみたよっ!」


「チャーハン……」


 おれの知っているチャーハンと違う。これは、あれか? ぜんざいが関東と関西で別物になっているとかそういう類の話なのか?


「料理なんて初めてだったから少し焦がしちゃったけど、それ以外は結構うまくいったと思うよ」


 この暗黒色を少しとは言わない気がするが……。

 おれはその言葉をぐっと飲み込んで、隣に置いてあるスプーンを手に取る。異形な姿とはいえ、麗美がおれのために作ってくれた朝食なのだ。ここで食わなきゃ男じゃない!

 頭でそうは思っても、スプーンを持つ手は自然とカタカタ震えていた。それでも、なんとかチャーハン(?)をひとすくいして、口の中へと放り込む。


「どう? どう?」


「う……美味い……!」


 嘘ではなかった。見た目は悪魔の兵器みたいではあるが、味に関しては意外と――いや、かなり美味い。パリパリと歯ごたえのある食感。なのに、舌の上ではバターのように溶けだし、ふんわりと甘さが口に広がる。そして極めつけは後に残る柚の風味。まあ、はっきり言ってしまえば見た目も味もチャーハンではないんだが、これ自体は文句なしに美味いといえた。


「マジで美味いぞ、これ。麗美って味付けの才能があるんじゃないか?」


 おれは暗黒半球体をがっつきながら麗美を素直に褒めた。


「いやだなぁ、料理作ったの初めてなのにそんなに褒められたら照れちゃうよっ!」


「いや、間違えて欲しくないんだが、おれは断じて料理を褒めたわけじゃない。味付けを褒めたんだ」


「え? 料理と味付けってなにが違うの?」


「まあ、なんつーか、似て非なる物っいうか、味付けは料理の一部っていうか」


 いかん。このままでは「見た目が犬の餌以下」とか酷い言葉を吐いてしまいそうだ。なんとか話を違う方向へそらさなくては。


「そ、そんなことよりさ! 麗美も食ってみろよ。お世辞抜きに美味いからさ」


「もうっ! 昨日も言ったでしょ? わたしは物に触れることができないし、食事もすることができないの。一緒に暮らすんだから、少しは幽霊の常識も理解してよねっ!」


 麗美はプゥッと頬を膨らませる。


「あ、すまん……」


 自分でも迂闊な発言だと思った。あんまりにも自然に会話しているものだから忘がちだが、麗美はすでに死んでいるのだ。

 麗美の話では死んでしまうと物に触れなくなり、食事もできなくなる。つまり、今まで普通にできていたことができなくなるということだ。そう考えると、先ほどのおれの発言は最近死んだばかりの麗美にとって残酷なものだったに違いない。


「いやいやいや、なんでそんなマジなトーンで謝ってんのっ!?」


 おれの謝罪の言葉に麗美は本当に驚いた様子で尋ねてくる。


「なんでって、麗美に酷いこと言っちまったかなって思ったから……」


「もしかして、わたしがご飯を食べられないこと落ち込んでいると思ってる?」


 おれが頷くと、麗美は「ぷっ」と吹き出す。


「な、なにがおかしいんだよ? 人が真剣に謝っているっていうのに」


「いやあ、ごめんごめん。光一くんって本当に優しいなと思ってさっ」


「なっ――」


 不意に褒められて言葉に詰まってしまう。なんかすごく恥ずかしいんだが。もしかしたら、顔が赤くなっているかもしれない。

 そんなおれの気持ちを知ってか知らずか、麗美は言葉を続ける。


「だけどさ、わたしを見てたらわかるでしょ? そんなことで気落ちしてないんだって。それにさ、物に触れたり食事はできないにしたって料理とかはできるんだから」


「ん?」


 さきほどと同じひっかかりを覚える。ただ、今度はその原因がすぐにわかった。


「そういえば、物に触れられないはずなのにどうやって『これ』作ったんだ?」


 おれは暗黒半球体を指さして尋ねる。物に触れないなら料理なんてできるわけがないじゃないか。


「そんなのポルターガイスト現象を利用したに決まってるじゃん。ある程度の重さのものなら、こいつで思いのままだよっ」


 当然のようにそう言うと麗美は指揮者のように右手を動かす。

 すると、暗黒半球体はおれの目の前でふわふわと浮かびあがり、麗美の人差し指に従うかのように空中で動き出した。


「うわっ! お前、こんなことできたのか?」


「やだなぁ、これも幽霊の常識だよ。もちろん、これほど思いのままに動かせるのは、わたしの霊力が高いからだとは思うけどねっ!」


 ふふんと自慢げに言う。まったく……。幽霊の常識なんて麗美は口癖のようによく言うが、おれはまだ生きてる人間だっつーの。


「あれ? ちょっと待てよ。そんな便利なことができるんだったら、なんで昨日はおれにスタモンチップスを開けさせたんだ?」


 浮かばせていた暗黒半球体を再び皿の上に置くと、麗美はやれやれと言わんばかりに首を振る。


「わたしのことは基本的には光一くんにしか見えないんだよ? そんな中でポルターガイストなんて使って、万が一誰かに見つかったりしたら大問題になっちゃうじゃん」


「ああ、なるほどな……って、麗美の姿はおれにしか見えないのか!?」


「今まで気づいてなかったのっ!?」


 麗美はあきれ顔で言葉を続けた。


「そりゃ、霊感が高い人にはわたしの姿を確認くらいはできると思うけど、ここまでしっかり会話することまではできないし、普通の人に至ってはまったく見えないはずだよ。ていうか、幽霊が目に見えないっていうのは霊界の常識――というより、これは一般常識じゃない?」


「でもでも、おれは霊感なんて全然ないんだぞ? 今までだって幽霊なんて見たこともないし……。それなのに、なんで麗美のことだけは見えるんだよ?」


「んー、それはフィーリングの問題だろうね。人と人の関係と同じで、幽霊と人間でも相性っていうのはあるのさ。なんたって幽霊って存在は、感情の固まりが形になったものだからね。たとえ霊感が低くても、感性や波長が合う同士なら見えるし、会話もできちゃうんだよ」


 麗美はなにか思い出したようにポンと手を叩く。


「そうそう、昨日残念ハーレムを作るための呪いをかけたじゃない? あれもわたしがかけた呪いだからさ、基本的にわたしと相性がいい人が光一くんの元に集まるはずなんだ」


「つまり……どういうことだってばよ?」


「つまり、これからハーレムに入ってくれるであろうはずの女の子達もわたしのことが見えるってこと。裏を返せば、わたしのことが見える子を見つけたら、その子をハーレムに勧誘すればきっと入ってくれるはずだよ」


 なるほど……。麗美と出会ってからというもの、話しているだけで霊界の知識がどんどん身についていくな。しかし、麗美はおれ以外の人間には見えないのか……。

 ここでおれはとんでもないことに気づく。


「ちょい待て。そういえば、昨日おれ達会話しながらこの屋敷に帰ったよな? それって第三者から見たら、おれがひとりで喋っていたってことになるのか?」


「そうだねぇ。なにも知らない人からしたら、虚空を見つめ、ぶつぶつと独り言をいってるヤバい奴がいるって感じだろうね」


「そういうことは先に注意しといてくれっての!」


 これからの外出の際には十分に気をつけなくてはと思う、おれであった。

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