呪い
「すんごい家……」
おれの家を初めて見た麗美の一言だ。
そう。その言葉通り、おれの自宅はすんごい。金持ちばかりが住む都内一等地に建ち、しかも周りの立派な家々よりもさらにでかい3階建ての洋館なのだ。
「こんなのたいしたことないって」
おれは麗美の言葉にそっけない返事をし、玄関の扉を開けた。
「うひゃー、中もすんごいねっ!」
入ってすぐのエントランスを見回しながら麗美は感嘆の声をあげる。
「いちいち驚くなって、麗美も今日からここで暮らすことになんだからさ」
「こんな所に住むことになるとは……。幽霊になってみるもんだね」
そう言って麗美は寂しそうに笑う。
そういえば、麗美はどうして幽霊になったのだろう。当然死んでしまったからなのだろうが、死んだ原因はなんなのだろうか。
ちらりと麗美を横目で見やる。すでに元の明るい笑顔に戻り、家のあちこちを眺めていた。
訊いてみてもいいのだろうか? これから一緒に暮らすのだからある程度の人となりは把握しておきたいが、本人が話したくないことまで訊く気はなかった。
ハーレムは――いや、ハーレムでなくても人が一緒に暮らすということは、すべてをさらけ出すということではないのだ。どんなに愛し合っていようが、どんなに分かち合っていようが、人に知られたくない部分っていうのは誰にだってあるものだとおれは思う。
よし。おれの方から麗美の死因を訊くのはやめよう。おそらくは麗美も死んでから日が浅いようだし、思い出したくはないかもしれないからな。
――それでも、ひとつだけ訊いておかなければならないことがあった。それは呪いの話だ。麗美はおれに取り付き、呪うことであの場所から動けるようになったようだが、結局おれにかけた呪いの内容をまだ訊いてはいなかったのだ。
さすがに自分に関係のあることだから訊いてもいいよな?
「なあ」
おれは、エントランスの脇にに置いてある柱時計を物珍しそうに眺めている麗美に声をかける。
「おれを呪うって言ってたけど、おれは結局どんな呪いをかけられたんだ?」
「ん? ああ、呪いね。なにがいいかな?」
「なにがいいかなって……おれはまだ呪われてないってことか?」
「うん。今はまだとりあえず取り付かせてもらっただけだから。とはいえ早めに決めちゃわないと、元々地縛霊のわたしは死んだ場所に強制的に戻らされるはずだけどねっ。まあ、マイナスなものをテキトーに決めればいいよ。たとえば――」
麗美はあごに指を当てて少し考えてから言葉を続ける。
「たとえば口臭が一生にんにく臭くなるとか、子猫を見るたびに泡吹いて失禁しちゃうようになるとかっ!」
「絶対に嫌なんだが!?」
とは言ったものの、寿命が縮むとかよりはずっとユルい内容におれは内心ほっとしていた。……まあ、ある意味では寿命が縮むよりもキツいのかもしれないが。
「そもそも呪いの内容って麗美が決められるものなのか?」
「まあねっ!」
麗美は得意げな顔で小振りな胸を突きだす。
「多分、普通の人――じゃなくって普通の幽霊はそういうことはできないと思うんだけどね。地上に縛られるような霊体になったら大抵は邪念や怨念しか残らないから、取り付かれたら問答無用で殺されたりするんじゃないかな。わたしの場合は生前から霊力がかなり高かったから、霊体だけの存在になっても自我が保たれているみたい」
霊界の事情は知らないが、麗美は幽霊の中でも特異な存在であることはわかった。しかし呪いの内容を自分で決められるというのも、なんだか変な感じがするな。
「呪いの話はとりあえずは後回しで大丈夫だからさ、早くこの家の案内をしてよ!」
「あ、ああ……」
麗美があまりにも目を輝かせているものだから、これ以上この話をするわけにもいかなかった。スタモンチップスの一件の時も思ったが、どうやら麗美は子供っぽいところがあるようだ。
仕方がないので話を中断し屋敷の案内を始めた。
まずは最上階の3階から。――とはいえ、3階は基本的には客室しかなく、ずっと住んでいるおれですらほとんど上がったことがなかった。しかも、この屋敷に客など来ることなど滅多にないので、6部屋もある客室はほとんど空き部屋と化していた。そんな空き部屋を持て余しているというのも、おれがハーレムを目指すことになった理由のひとつといえるかもしれない。
次は2階。この階は無駄に広いおれの自室と、母親の部屋が面積の大半を占めている。他にはほとんど立ち入ったことのない本だらけの書斎と、物置と化してるウォーキングクローゼットがあるくらいか。
1階は玄関を入って左手一番奥に大食堂、そこから手前に向かって調理場、リビングと並んでいる。右手の方は一番奥がサウナも完備している大浴場で、その隣にダーツやビリヤードができるプレイルームがある。ちなみにトイレは各階に存在し、浴槽はないがシャワーブースなら各寝室にあるため、おれは一階の浴場をここ最近使っていない。
これらの部屋に入るたびに麗美は「すごっ……」と驚きの声を漏らしていた。
一通り屋敷の案内を終えると、おれはリビングのソファーで一息つく。麗美はというと、物に触れることができないのでソファーには座らず、おれの横でふわふわと宙に浮いていた。
「いやー、外観からすんごいと思っていたけど、中もやっぱりすんごいねっ」
麗美は興奮冷めやらぬという様子で感心し続けている。
「ま、住んでみりゃわかると思うけど、無駄に広いだけでいろいろと不便だぞ。掃除なんかは2週間に1回ハウスクリーニング頼まなきゃなんないんだからな。部屋なんて自室とこのリビングくらいしか使ってないのにさ」
「なんというか、贅沢な悩みだねぇ……」
そう言いながら麗美はキョロキョロと辺りを見渡す。
「ん? なんか気になることでもあったか?」
「いや……他の人はどこにいるのかなって思ってさ。だってこれから一緒に暮らすっていうのに未だにひとりも会ってないんだもんっ」
「他の人? ここには今はおれ一人で住んでるけど?」
「え? だって、光一くん『おれのハーレムに入ってくれ』って言ってたじゃん」
「だからハーレムの一人目が麗美なんだろ……言ってなかったっけ?」
「言ってないよーっ! え、じゃあなにこれ? これから、わたしは光一くんとふたりっきりで同棲生活を始めるってこと!?」
麗美は顔を真っ赤にしながらあたふたしている。どうでもいいことだが、それを見たおれは「幽霊なのに頬が染まったりするんだなぁ」とか思っていた。
「いや、これからハーレムをどんどん増やしていくんだって。ていうか、ハーレムはすんなりOKだったのに、ふたりっきりだとダメなのか?」
「ダメじゃあないんだけどさぁ……年頃の男女がふたりっきりってのも……」
ゴニョゴニョと言いながら麗美は下を向いてしまう。
うーん、これは困ったな。まさか、ハーレムには抵抗がなくって、ふたりっきりだと嫌だという子がいるとは思ってもみなかった。ていうか、そもそもおれは麗美に触れることができないのだから恥ずかしがる必要もないと思うんだが……。
「あ、そういえば」
麗美がなにかを思い出したように顔をあげる。
「光一くんの家族は? 一緒に住んでないの?」
うっ……ついにきたか。この家に案内してから、いつかはくると思っていた家族についての質問。本音を言えば話したくはない。だが、こうしておれについてきてくれた麗美には正直に話さなければならないだろう。
「……麗美はさ、
「え? ……そりゃあ知ってるけど。有名な女優さんだもん。40歳くらいだっけ? 歳の割にはすっごく綺麗な人だよね」
質問の意図がわからないといった表情で答える麗美。
「正確にはまだ39な。で、その有名な女優さんがじつはおれの母親ってわけ」
「え……えーーっ!!」
麗美はこの日一番の驚きの声をあげた。
「いや、まあ、こんな大豪邸にすんでいるわけなんだから、なんかすごいことやってる人だとは思っていたけど、そんな有名人だとは思わなんだ。ていうか、あんな綺麗な人がお母さんだなんて羨ましいなー」
羨ましい……か。有名女優が母親なんて普通の感覚なら嬉しいことなんだろうけど、おれはそれが嫌でしょうがなかった。
「ん? ちょっと待って。ていうことは、わたしは万屋十和子とも一緒に暮らすってこと? うわぁ、なんか緊張してきたっ!」
麗美はそう言うと空中でくるりと一回転した。パンツは――見えなかった。
「勝手に期待しているところ悪いんだけどうちの母親と暮らすってことにはならないぞ」
「え、なんで?」
「あの人がここに帰ってくるのは一年に一回あればいいほうだからさ」
そう言って自嘲気味に笑ってみせる。
「あの人は人気絶頂だった二十歳そこそこの頃に父さんと電撃結婚してさ、一時は女優業を引退したんだけど、おれが生まれてすぐにカムバックしたんだ。そっからおれのことはずっとほったらかし。あの人の中では金を置いといて、家政婦を雇っておけば親の責務を果たしてると思ってんだろうな」
「……お父さんは?」
麗美はおそるおそるといった様子で尋ねる。
「父さんはおれが生まれてくる前に交通事故で死んじまったらしい。家政婦さんも高校に入ったのを機におれのほうから契約を切らせてもらった。だから、今じゃこの無駄にでかい家はおれひとりが寝て食うためだけにここに建ってんだよ」
「……」
「こうして考えると、おれが幼い頃からハーレムに憧れていたのはそういったことが要因なのかもしれないな。親からの愛に飢えていたからこそ、いろんな人から愛されたいという欲求が強くなったのかもな」
「……」
麗美は下を向いて黙っている。
いや、なんか反応してくんないとひとりで自分語りをしているおれの立場がないんですが……。
「まあ、そういうわけだから、申し訳ないが万屋十和子と同棲は無理ってこと。OK?」
「……」
え、なに? なんで喋ってくれないんだ? そんなに万屋十和子と暮らせないということがショックだったのか?
「――光一くんっ!」
おれが対応に困っていると、麗美が不意に大きな声を出して顔をあげる。その表情はなにかを決意したように見えた。
「な、なに?」
「光一くんはハーレムを作りたいんだよね? それは、自分を愛してくれる人ならどんな人でも構わない?」
「え、まあ、おれのことを好きでいてくれて、ハーレムに理解があるっていうのが絶対条件ではあるな」
その問いかけになんの意味があるのかよくわからなかったが、おれは素直に答えた。
「じゃあ、わたし光一くんに協力したいっ!」
麗美は真剣な眼差しをおれに向ける。
「怒らないで聞いて欲しいんだけど、本当のこと言うと最初は光一くんに取り付いて、自分が死んだあの場所から解放されたかっただけで、ハーレムとかバカみたいって思ってたんだ。だけど光一くんと接して、光一くんの話を聞いて、光一くんが本気でハーレムを作りたいと思ってるのがわかったから、わたしも本気で協力したいっ!」
「麗美……」
今までハーレムを作りたいと言っても否定されるばかりで、応援してくれる人なんてひとりもいなかった。だから、こうして麗美が理解を示してくれたことが本当に嬉しかった。
「……ありがとな。でも、ハーレム作りの協力って難しくないか? おれは、麗美がおれの考えを理解してくれてハーレムに入ってくれただけで十分だよ」
「ちっちっちっ」
麗美はそう言いながら人差し指を振る。
「忘れてませんかな? わたしはまだ光一くんにまだ呪いをかけてないってことを」
「呪い?」
どうしてここで呪いの話がでてくるんだ? ハーレムと呪いがどうやってつながるっていうんだ? おれの頭ではさっぱり理解ができなかった。
「つ・ま・り、光一くんにハーレムになる呪いをかけるってことだよっ!」
「なっ!? そんなことできるのか!?」
「普通に考えたらできない。呪いってのは一般的に取り付いた相手にマイナスな影響を与えるようなものじゃなきゃいけないからね」
麗美はそう言ってニヤリと笑ってみせる。
「ただ、捻って考えれば可能だよ」
「捻って考えるっていったって、望みを叶えるとなればどうしたってプラスなことになるんじゃないのか?」
「ううん、そんなことないよ。たとえば『普通の人だったら敬遠してしまうような相手から好かれる』という内容だったら呪いとして成立するはず。光一くんにとってどうかはわからないけど、それって一般的にはマイナスなことだからさ」
人から好かれることがマイナスか……。そんな風に考えたこともなかった。いろんな人から好かれたくてハーレムを目指してきたおれにとっては、どんな相手だろうが好意をもってもらえることはプラスでしかないのだから。
「さっきも言ったが、おれはおれのことを好きでいてくれて、ハーレムのことも理解してくれるっていうのなら相手はどんな人だって構わない」
「それは『普通の人だったら敬遠してしまうような相手から好かれる』っていう呪いを受け入れるってことでいいのかな?」
おれは大きく頷いてみせる。
それを見た麗美も満足そうな顔で頷き返すと、こう言った。
「それじゃあ光一くんの了承も得たことだし、さっそく呪いをかけるよっ! 残念ハーレムを作れる呪いをねっ!」
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