第17話無敵の讃岐さん!ブラックをぶっ潰せ!

 その日の夜、秋葉原「ダブルゼータ」。


「え?そんなことが起こってるの?」


「そ。今日出来る限りその店のことを調べたんだけどさあ。まあ、確かに時給二千円で募集を出してたね。よくできすぎさんが『すぷらっしゅ』に潜入してくれるって言ってくれたんだけどね。まあ、潜入するのが一番早いとは思うのね。ハイボールがなくなってますよおー」


「あざまーーーーーす!でも潜入はリスク高いよねえー。顔も割れてるし」


「それもあるね。補欠枠からも考えたけどちょっとリスクが高すぎるかな。まあ、考えますよ。あともう一つの問題もあるんだよね」


「え?他にもあんの?」


「ほら、めがねめがねさんに付いてくれてる五十歳を超えた夫婦の方。ダンディさんとマダムさんね。あの二人からも相談を受けててね。うち以外にも掛け持ちしてるんだって」


「掛け持ちは自由でしょ?そもそも週一回じゃ食べていくのも難しいかもだし」


「そう。レギュラーは別としてレギュラーの補助をしてる補欠枠の方や日曜日の補欠枠の方たちは掛け持ちしてる方多いのね」


「それでダンディさんとマダムさんの問題って何なの?」


「そこはブラックらしくてね。一緒に働いている方たちが、なんか高齢者を安く雇用してる企業らしいんだけどね。あまりにも酷い扱いをされてると聞かされてさあ。僕も『売り上げ』でしか判断しないの考え方は変わらないけど、そこの企業もちょっとルール違反してるかな?とね。その二つを並行して一か月ちょいで解決しようと思ってる。そっちのブラックの方はうちの子に潜入してもらってもいい勉強になるかなとも思ったんだけど、やっぱまだまだ未熟なところもあるし」


「そこはなんて企業なの?」


「えーと、ニルスだっけ?ギルスだっけ?まあバックは大手セキュリティー会社だね。老人介護施設の朝昼晩の食事だけを提供する会社と言えば早いかな。施設から委託でお願いされて」


「老人ホームとか?」


「老人ホームは大きい企業が食事も専門スタッフを雇ってるので違うかな。小さい施設なんかの食事だけを委託で受ける会社っすね。そこの求人を見たら東京都の最低賃金で募集を出してたね。勤務時間は朝六時から昼の十二時まで六時間が早番で途中三十分の休憩。遅番は昼の二時半から夕方五時半までの三時間。休憩はなし。通しなら朝の六時から夕方五時半までの十一時間半で休憩三時間。でも昼の十二時にいったんタイムカードを押して、自由行動。そして昼の二時半には戻ってまたタイムカードを押すんだって。結局通しだと無駄な二時間半は時給も出ないし、タバコも吸えねえし、施設の近くで時間潰せだって」


「スーパーブラックだねええ。結局雇用のない高齢者が百%雇ってくれるから人が集まってるみたいで都内一都三県ですでに四百近くの事業所と食事提供の委託契約を結んでるんだってさ」


「そこに讃岐さんが潜入するの?」


「うん。朝起きれっかなああー」


「それなら『すぷらっしゅ』にも潜入しちゃいなよ」


「え?僕が?顔割れてると思うけど…。………。ま、まさか…?」


「ほい!こーちゃん!やえちゃん!讃岐さんを取り押さえておしまい!」


「え?え?マジで?」


 こーさんとやえさんが「SHINちゃんには逆らえないので本当にごめんなさい」の気持ち半分と「面白そう!」の気持ち半分で讃岐さんを後ろから逃げられないように取り囲みました。そして不敵な笑みを浮かべながらSHINちゃんがメイクセットを取り出しました。


「動いちゃーだめよーー。まずは洗顔だけど綺麗にウェットティッシュできれいきれいしましょうねー。髪の毛はカチューシャで上げとこうか。化粧水、乳液、クリームはオールインワンのやつで。下地はクリームでっと。コントロールカラーもしておくよー。ファンデーション、コンシーラー、フェイスパウダーっと。百均のもあるからねー。ハイライト、ローライト。いやー、讃岐さんは絶対美しくなるよー。讃岐さんのメイクを一回やってみたいと思ってたもんねー。アイブロウ、そしてアイシャドウ、アイライン、マスカラ・ビューラー、つけまつ毛、チーク、リップ、カラコンも入れる?ウイッグは好きなのを選んでねー。プレゼントしちゃうからー!めがねもかけちゃおう!」


 SHINちゃんやこーさん、やえさんの表情が驚きに変わっています。私もびっくり!


「え?え?え?鏡ある?もう終わったの?」


「はい。鏡。どう?讃岐さんの美しさを見ての感想は?」


 鏡を見て讃岐さんがびっくりしてます!!


「え…。これが私?」


「そだよー。自分でも惚れちゃうでしょ?」


「う、美しい…。半面、なんか変な気分…」


「それなら『すぷらっしゅ』にも潜入できるんじゃない?」


「うーん?どうだろ?体重が今六十二キロちょいだし、身長も百七十あるからねー」


「まあ、メイクの仕方は一番分かりやすい本をあげるから。メイク道具もお勧めのやつをメモってあげるし。ドンキとか安いのも多いよ。カラコンも安く売ってるし。ウィッグもそれプレゼントするし。あとは洋服かなあ。こーちゃんと讃岐さんは体系同じぐらいだよねー。こーちゃん、洋服何着か讃岐さんに貸してあげてー」


「全然いいですよ」


「え?こーさんも女装するんですか?」


「もちろんですよ」


 そう言ってこーさんがスマホを取り出し、たくさんの女装した自撮り写真を見せてくれます。


「うわー!綺麗じゃん!SHINちゃんの五十分の一ぐらい好きになったかも」


「ありがとうございます」


「これで面接受けてキャストがダメでも調理スタッフなら採用されると思うよ。時給はかなり安くなると思うけどねー」


「SHINちゃん!こーさん!やえさん!ありがとう!乾杯だ!飲んで飲んで!」


「いただきまーす!かんばああああああああああああい!」


「SHINちゃん!今度は僕も女装頑張るから綺麗になったら抱いてね!」


「もーちろん!ほれ、ケツを出せえええええい!」


 そして讃岐さんは帰宅後、速攻で履歴書を二通書き、一通にはSHINちゃんにメイクしてもらった証明写真を、もう一通には讃岐さん通常版の写真を貼りつけました。翌日、すぐに二つの求人募集に電話して面接を受けました。メイクもあの日にマスターしたみたいですね。まあ、もともと讃岐さんの顔って美しいですからね。ちょちょいのちょいで完璧な女性に変身です。声もハスキーに変えられるみたいだし。『スプラッシュ』は偽名の履歴書で即日採用されました。店長の方も人が足りないみたいで厨房としての採用でしたが。時給は千百円です。その場で店長さんに「管理はラインでするので」と言われ、讃岐さんが持つ三つのラインのうち、捨てアカウントである携帯のラインを登録しました。讃岐さんは普段から三つの携帯を持ち歩き、メインのスマホにメインのラインアカウントを入れてます。もちろん東京03の固定電話番号も0120のフリーダイヤル番号も入れてます。あとの二台はSIMを入れてないスマホにモバイルルーターでWi―Fiを飛ばし、ラインを入れています。東京03の固定電話番号もSIMなしスマホの一台に入れてます。ここから讃岐さんの『歩くドラレコ』が発揮します。『スプラッシュ』の店長さんはなんかいい人みたいですね。即採用で、二十代後半の雇われ店長らしいですがとても友好的に讃岐さん(偽名は藤谷亜紀)へ接してくれてます。人が足りないらしくシフトを早めに出して欲しいとのことだったので讃岐さんは「なんなら明日からでもいいですわよ」と二つ返事をし、店長の吉見さんは「ありがとうございます!」と言って深々と頭を下げてくれました。


「シフトは今日までにラインで送っておきますのでよろしくお願いします」


 そう言って吉見さんは讃岐さんを見送ってくれました。そのまま原付で帰宅し、いそいでメイクを落とし、次は株式会社ニルスに面接へ。そこもその場で採用でした。オープニングで人が足りてないのですぐに一日の研修を受けて翌日から働いて欲しいそうです。それも二つ返事で快諾する讃岐さん。研修も二時間ほどらしいが時給も出るそうです。また、健康診断を働いてる途中でもいいから早めに受けて欲しいとのことと、検便を月二回提出しなければいけないそうです。ラインはないみたいですね。連絡は履歴書に書いた東京03の固定番号に連絡をくれるそうです。そう言えば『スプラッシュ』の履歴書にも連絡先は固定番号でしたね。


「それでは明日、研修が昼の一時からですのでお願いします。シフトはこちらで決めておきます」


 株式会社ニルスの面接担当者は吉田さんでしたがスーツを着たおじさんでしたね。時給は両方とも千百円です。そしてどちらもタイムカードで時給は三十分刻みだそうです。翌日、昼間にニルスの研修を受け、吉見さんから来ていたラインには『スプラッシュ』のシフトが。シフトは半月ごとで決められているようです。今日が四日ですが今日から出勤で十五日まで休みは一日しかありません。時間も17時から24時までです。しかもホールは毎日十名以上いますが厨房は基本二人です。


「おいおい。『スプラッシュ』は百席あるオオバコだぜ。厨房二人かよ」


 ええええええ!そうなんですか?『スプラッシュ』はよくある大手チェーンの居酒屋が各フロアに入ったビルの四階です。メイド喫茶と激安居酒屋を足したようなお店です。ホールのかわいい女の子がメイド姿で強引な客引きをするお店です。そしてニルスの吉田さんからも電話があり、明日早番でお願いしたいとのことでした。吉田さんも慣れるまで同じシフトで入ってくれるそうです。それから讃岐さんの一日三時間睡眠の生活が始まりました。




「藤谷さん、本当無理言ってすいませんね。助かります!」


 『スプラッシュ』の初日、一緒に厨房で料理を作っている吉見さんが『スプラッシュ』のメニューのレシピを丁寧に教えてくれています。讃岐さんはその日で全てのメニューを覚えたようです。基本、全て冷凍です。刺身も真空パックの冷凍、焼き鳥も業務用の冷凍。注文が入ればレンジでチンしてあとはカウンター前のお客さんの見えるところで炭火で焼き目をつけるだけです。それにしても…。アニマルさんもレンジは使いますがタイマーを取り付けていて、絶対に「チン!」という音は出しません。タイマーが鳴ればレンジの蓋を開けます。しかも旧式のダイヤルタイプなので設定する音もしません。『スプラッシュ』では普通に吉見さんも「チン!」の音を何度も響かせてました。やれやれですね。また、飲み放題でお客さんはどんどんドリンクの注文をしてきます。生ビールもなんと発泡酒です。料理のお皿も含め、洗い場には洗い物が溜まっていきます。しかしホールのメイドさんたちは誰もそれらを洗おうとしません。手が空いてもスマホを弄っています。食洗器で讃岐さんがそれらを素早く洗おうとしましたが食洗器自体、日々のメンテナンスを全くやってないようです。やれやれですね。


「あのお、吉見さん。お聞きしていいですか?


「どうぞどうぞ。なんでしょう?藤谷さん」


「厨房のシフトにはあと二人の男性の方がいらっしゃるんですよね?どんな方ですか?」


「ああ、あとはソーさんはミャンマーから来ている他の大手居酒屋と掛け持ちしてる人です。それから磯丸君ですね。彼は大学生で家が近いので終電関係なく残ってくれるので。あとは僕の下にもう一人社員の馬鹿がいますが。あ、名前は本条ってやつなんですがね。あいつはキャッチと厨房両方やりますので」


「それにしても…。私と吉見さん以外の方は出勤が少ないようですね」


「そうなんですよ。ソーさんは戦力なので多く出てもらいたいのですが掛け持ちなので。磯丸君は学生ですからね。厨房でも要領よくやれないとこもありまして。いないよりはましかなと。馬鹿の本条も入りますがあいつ料理一切出来ないですから。藤谷さんが入ってくれて本当に助かります。すぐに上にお願いして時給も上げてもらえるようにしますから」


 この『スプラッシュ』もどうやらブラックのようですね。店長の吉見さんはもう三か月休みを取ってなく、店に寝泊まりをされているそうです。吉見さんが馬鹿と呼ぶ本条さんはしっかりと月に四回休みをとっているそうです。副店長なのに。閉店後、讃岐さんと同じ時期に『スプラッシュ』にアルバイト採用された子たちと一緒に吉見さんに集められ「皆さん、この書類にハンコだけ押してください」と言われました。それから『スプラッシュ』のグループラインに全員招待され、参加します。讃岐さんも参加しました。そして若い女の子たちは何も考えずに書類を読みもせずにハンコを押して、タイムカードを押してから賄いを食べてます。書類の内容はこうです。


 『アルバイト確認承諾書』


 株式会社イレブン 代表取締役 池澤雄二殿


私はアルバイトとして御社において就業するに当たり、下記の項目を確認し了承します。


 そして「研修期間は勤務時間の五十時間から百五十時間を教育指導期間と定め、研修期間を終了した時点で本採用するか判断する。店舗の判断で、研修期間が延長することがある」や「教育指導期間中、無断退店、当日退店、無断欠席一回以上・欠席三回以上、遅刻五回以上をした場合は退職処分とする」や「退職届は当社規定様式により、退職日より四十五日以上前に店舗責任者へ届け出て確認を了した上で本社へ提出すること」など様々な企業有利な内容ばかりです。


「吉見さん。あなたはとてもいい人だと思いますが、これにハンコを押すことは私には出来ませんわ。『アルバイト確認承諾書』は企業からのお願いですわね。あの子たちは意味を分かってないと思いますわ」


「さすが藤谷さんですね。申し訳ないです。本社の人間はそういう連中が集まってるんでしょう。僕もこき使われてますので。うちの店のノルマは月一千万です。僕も本音はこんなところ、すぐに辞めたいです。それにお金を貯めたら辞めるつもりです。休みはとれないですけどその分お金使わないんでお金も貯まりますしね。生活も店で寝泊まりすることも多いし、家の光熱費もその分安いですから。食事代もかかりませんし。若い子たちには本当に申し訳ないとは思っています…」


「そうなんですね。今日の吉見さんを見て、少なくとも心の中で舌を出される方には私には見えません。『スプラッシュ』ではなく、吉見さんのために私は頑張りますわ。シフトもお任せします」


 吉見さんの会社は『利』を追及してますが、吉見さんはそんな中『喜怒哀楽』をしっかりと持った方のようです。


「ありがとうございます!『アルバイト確認承諾書』はハンコを押さなくて大丈夫です。昇給に関しても僕の方から本社に掛け合って、すぐに本採用、時給も上がるようにがんばりますので。これからもよろしくお願いします!」




 明日は朝六時出勤なのに自宅でノートパソコンを見つめる讃岐さん。早く寝た方がいいのではないでしょうか?


「俺は歩く『ドラレコ』って言ってるだろ?この眼鏡はばっちり動画が取れているぜ。『株式会社イレブン』、『池澤雄二』『スプラッシュ』のキーワードで見えてくるものがたくさんあるぜ。ほらみろ。まずこの株式会社イレブンは関東を中心に七店舗の飲食店を経営している。しかも全てメニューは同じなのに名前は全て別だ。何故か分かるか?」


 べ、勉強不足でして…。


「これは同じ名前だと一つの店舗が食中毒や営業停止を食らうとチェーン店はペナルティーやイメージダウンのリスクがある。それを回避するやり方だ。それに見てみろ。各店舗のホームページを。料理やメニューはほとんど同じで料理の画像も豪華に加工している。こんな刺身の盛り合わせを今日見たか?」


 あ、本当だ。実物は全部冷凍でしょぼいのに、ホームページではめちゃくちゃ豪華ですね。


「これで各店舗の食べロックも星三つ以上確保している。きったねえやり方だぜ。コースも予算毎に豪華な写真が載せられているが実物はしょぼいぜ。出汁巻きも大量に作り置きで注文入ればレンジでチンだ。しかも一個の出汁巻きを六等分にして、団体の人数に合わせて出している。四人組なら二切れ余る。それを次の客に足している。しかも両端の無駄な部分を皿に溜めていたな。あれが賄いだろう。これからホコリはどんどん出てくるぜ。あー、働きたくねえ―。寝る」


 そしてスマホのアラームを五時十五分にセットしてすぐに爆睡です。讃岐さん、めっちゃ働き者じゃないですかー。とりあえず一カ月ちょっとですね。頑張ってください!




 翌朝、五時十五分。讃岐さんのスマホからアラームが鳴る。


「お兄ちゃん!朝だよ!起きてよー!もー!お兄ちゃん!お兄ちゃんてばあ!」


 さ、讃岐さん…。アラームもアニメ声の妹キャラの萌えボイスですか…。


「はいはい、今起きますよー」


 寝起きの一服を吸いながら、電子レンジで牛乳をマグカップに入れて温めてます。ホットミルクですね。五時半までタバコとティータイムで目を覚まし、歯磨きとトイレを同時に行い、顔を洗って身支度を整え、五時四十分に家を出ます。原付で飛ばして五分で株式会社ニルスが委託契約を結んで食事提供をしている施設、『憩いの家』に到着する。入り口は四つの番号を入力すると開くようになっています。吉田さんから前以て聞いていた暗証番号を入力し、施設の中に入ります。厨房にはすでに吉田さんが出勤してました。


「おはようございます」


「おはようございます。讃岐さん。早いですね。さすがです。まず出勤したらタイムカードを切る前にこの携帯電話から本社へコールを鳴らしてください。五回以上鳴らせば大丈夫です。切ってください」


「なるほどですね。電話代をかけずに出勤確認を取るということですね?」


「その通りです。それからタイムカードを切ってください。うちは三十分単位です」


 ウイーンガチャ。


「これでいいですか?」


「はい、大丈夫です。注意していただきたいのがタイムカードの切り忘れです。切り忘れた場合、働いても一時間時給はカットされます」


「そうなんですか?」


「会社の決まりなんです。気を付けてください。これから仕事を覚えてもらう前に今月のシフトを渡しておきます」


 な、なんと。シフトを見ると三日連勤で一日休みの繰り返しです。しかもほとんど早番で朝六時から昼の十二時までです。月の後半に二回通しがありますね。『スプラッシュ』の今月後半のシフトはまだ決まってませんので二回ぐらいは休みか夕方六時出勤にしてもらえば対応はできますね。


「これで大丈夫ですよ。研修で頂いた検便道具で今日のものを取ってきましたので提出しておきます。三食それぞれの提供時間を教えてもらえますか?」


「あ、これは預かっておきます。このタイムカードの乗ってる机の中に入れておきますね。それで食事の提供時間ですが朝食は七時半です。そして八時までに厨房の片付けをしてください。八時には職員の方がこの厨房を使って食器を洗います。食器を洗うのは施設の仕事になります。それから三十分の休憩です。この施設は三階建てですのでワゴンが三台用意されています。それぞれの職員の数と入居者様の数はこの壁に貼っている紙に書いていますので。『刻み』と『とろみ』の方はそれぞれ普通のままでは食べられない方の人数です。『刻み』は全てみじん切りにしてください。『とろみ』は水溶き片栗粉を入れてミキサーでとろみのついた液状にします。今日の人数を見てみましょう。一階が職員二人で入居者様が十名。二回も同じく職員二名で入居者様が十名ですが『刻み』と『とろみ』が一人ずついます。三階が職員二名で入居者様が八名で『とろみ』が一人です。まずは私がやって見せますので見て覚えてください」


 そう言って、吉田さんが朝食を作り始めました。なるほどですね。壁に日めくりで本日のメニューが載っています。朝食がご飯に汁物、おかずが二品、それに漬物などが一品。昼食がご飯に汁物、おかずが二品、そしてデザート。夕食がご飯に汁物、おかずが三品です。それにしてもお漬物までとろみにするのですか?吉田さんが三十四人分の朝食を作り始めました。一時間半なら楽勝でしょう。簡単なものが多いですし。


「吉田さん。一つお聞きしていいですか?」


「はい。どうぞ」


「僕のシフトは早番が多いですが遅番は人が多いんですか?」


「いえ、そういうわけではありません。各施設、少数精鋭でやってますので。讃岐さんにも出来れば明後日ぐらいからは一人でやってもらいます。昼はパートのおばさんが来てくれてますね。どうしても朝早くに来れる方は少ないもので。讃岐さんが来てくれて助かりました」


 シフトは強制的に作られたのに…。吉田さんの『刻み』や『とろみ』を見て讃岐さんもやり方は簡単に覚えたようです。


「汁物のタイミングだけ覚えてくださいね。汁物はおかわりも含め、多めに作ります。各フロアで汁物は職員がお椀に注ぎます。各フロアに二杯分多めに作っておけば大丈夫です。コンロが小さいので沸騰するまで時間がかかりますので逆算して。蓋をしておけば再度火にかければ熱々で提供出来ますので」


 そして吉田さんが手際よく棚から食器を取り出し、各フロアの人数に合わせて用意してます。『とろみ』だけはすべてお椀でラップして出すそうです。そして時間に合わせてどんどん食事を作っていきます。おかずを人数分作り、デジタル計量器の上に大きなボウルを置き、数字をゼロにしてそこにおかずを入れてグラム数を計り、人数分で分けました。各フロアの人数分タッパーに入れ、お皿の横に置きます。『刻み』はお皿、『とろみ』はお椀にいれてラップします。


「あとはお皿にとりわけは施設の職員さんの仕事になります。よく『お皿の数が合わない』のクレームが多いのでそこだけ気を付けてください。固形物の肉や魚も同じです。人数分をタッパーに入れて、その横にお皿です。『刻み』は刻んで、『とろみ』はミキサーで、ラップです。そしてこのワゴンの一番下に汁物とそのお椀とご飯のお椀です。ご飯は各フロアの職員さんが炊いてますので。二段目と一番上におかずやデザートです。どうです?簡単でしょう?」


「慣れればスムーズに出来ると思いますが慣れるまでが大変ですね」


「すぐ慣れますよ。私も次の事業所の立ち上げがありますので讃岐さんには明日、一人でやってもらって私が『大丈夫』と判断したら、明後日からは一人でやってもらいます」


 そして七時半に吉田さんは厨房からワゴンを一台ずつ押して職員さんがいるところまで運びました。


「ここから三十分で後片付けです。そして八時から三十分休憩です。八時半に戻って来てください。昼の食事提供時間は十一時半です」


「朝の倍も時間はあるんですね」


「でも朝食は楽なんです。納豆や漬物など既製品ですからね。昼は手の込んだものになりますので」


「夕食は五時半までの拘束になってますから提供時間は五時ですか?」


「いえ、五時半です」


「それなら提供したら後片付けせずに帰っていいんですか?」


「いや、ダメです。後片付けにゴミ出しなどやることは多いです」


「でもそれなら六時あがりになっちゃうんではないでしょうか?」


「そこは臨機応変です。私の口からは言いませんが、五時半より少し前に食事を出せばいいし、出す前に並行して後片付けやゴミ出しの準備をしておけば五時半ちょっと過ぎに帰れますよね」


 思い切り自分の口で言ってるじゃないですか…。その後、讃岐さんは三十分休憩の間に一度自宅に戻り、タバコを五本吸って職場に戻りました。昼食の準備をしている間に配送センターから翌日の食材が運ばれてきました。肉や魚類、野菜類、漬物など人数分にきっちり小分けにしてます。また食品類によって黄色や赤などのテープで分かるようにしてます。それにしても…。セコイと言いますか…、きっちりしてると言いますか…。一袋十五人前として、残りの四名分はビニール袋に入れて色付きテープで止めてます。ロスはないのでしょう。


「大体昼食を作っている間に翌日の食材が運ばれてきますので。それを冷蔵庫と冷凍庫に分けて入れてくださいね。遅番の人が帰る時に翌日には自然解凍するように冷凍庫のものを冷蔵庫に移動させておきますので。また、食材を運んでくる方にこちらから渡すものは渡してください。今日は讃岐さんの検便を本社へ届けてもらうためにこの検便の入った封筒を渡します」


「と言うことは八時半から十二時の間に昼食を作りながら、翌日の食材の仕分けもするんですね?」


「そうです。その時に人数分合っているかも確認してください」


 そして讃岐さんは翌日の吉田さんの試験もパスしてその翌日から一人で任されることになりました。監視カメラが付いてないことをいいことに讃岐さんは翌日の食材が運ばれてくる時間も十時過ぎと知り、朝食を出して後片付けをしてから二時間近く休憩を取り、自宅でノートパソコンやタブレットを弄りながら十時前に『憩いの家』の厨房に戻るようにしました。いっけないんだ、いけないんだ。ボコッ!痛い…。


「株式会社ニルスのやり方、つまりえげつなさはよく分かったぜ。吉田さんは家庭も持ちながらほとんど家に帰らずホテル暮らしで新しい事業所をどんどん作らされてるな。しかも休みはないだろな。まあ、吉田さんには悪いがあそこはもう辞めるぜ」


 え?そうなんですか?


「ダンディさんとマダムさんからの情報と照らし合わせて十分すぎる程分かった。あそこは『悪魔の錬金術』で儲けてる。最初のガラケーでの出勤確認から異常なんだよ。確かに一回十円として四百事業所だっけ?朝の出勤確認だけで四千円かかるがそこは「おはようございます。今日もよろしくお願いします」の労いの言葉だろう。その時点で『利益』のみを追求してるのが分かる。『喜怒哀楽』は無視だ。そして思った通り、食品衛生責任者のプレートが貼ってない。おかしいと思ったんだよ。食品を扱うには食品衛生責任者が必要だぜ。それがものすごいスピードで委託契約数が増えて四百だぜ?そんなの食品衛生責任者の数が追いつくわけがねえ。アルバイトにお金を惜しまず、一日講習を受けさせてでも取るべきだったな。しかもまな板も包丁も一つずつしか置いてねえ。研修では最低でもまな板も包丁も二つ以上と決め事として言っていた。肉や魚を切った包丁やまな板をいくら洗ってもリスクはある。そこはきちっと野菜用と分けるべきだ。そして食材。あれ、一人当たりの一食分の原価は下手したら十円にも満たねえぞ」


 ええええええええええええ!?そんなに安いんですか?


「米も外国の安いもの。汁物も安い出汁と味噌。食材も野菜は全部中国産や外国産だ。肉や魚は冷凍、袋詰めで来てたけどあれもひどい。ブロッコリーのサラダを見れば分かるだろ?ただ加熱して安全ならドロドロになってもいいと。なんでもかんでもボイルだ。おまけに『刻み』や『とろみ』の米は余りものを冷凍したものだ。ラップで小分けにして必要な分だけレンジで解凍して使ってる。バレなきゃいいと思ってんだろ。極めつけが漬物類だ。一人七グラムなのに三十五人分で二百四十五グラムだぜ。なのにいつも配達されるのは二百グラムにも満たねえ。確認したら『二グラム程度はバレないから』だとよ。それらは全部通話は録音したし、動画もばっちり取ってある。そしてアルバイトへの給料だ。あそこはすぐに辞める人間が多い。そのくせ、最初に高い金を立て替えさせて健康診断を受けさせている。そして企業の自己都合で『勤務から三か月前に自己都合で退職した場合、健康診断の費用はお支払いできません』ときたもんだ」


 讃岐さんも泣き寝入りですか?


「そんなのやり方はいくらでもある。三か月まで残りのシフトを月一だけにするとか。その日も風邪をひいたと言えばいい話。風邪でも出勤していいなら出ますけどで『それでも出勤しろ』ならもう最高の言質だぜ。あと、あそこは時給は三十分刻みと言ってたが、一日単位での話で切り捨ててる。つまり、五時半までの仕事で五時五十九分にタイムカードを切れば二十九分は切り捨てされる。ダンディさんとマダムさんの同僚が嘆いていた理由の一つがそれだ。そしてもう一つ。俺はスピード提供に自信があるし、四十人近くの食事だろうとあの半分の時間あればらくしょーっすよ。ただ高齢者にはあの時間で提供するには無理がある。未経験ならなおさらだ。皿の数を正確に数えてるだけで一時間はかかっちまうだろう。そんな人たちへあいつらの口癖は何だと思う?『私の口からは言いませんが、決められた時間では出来ないなら早く来ればいい話ですよね?もちろん早く来たからと言っても雇用契約時間は決まってますので早く来た分の時給は出ませんよ。でも時間内に出来ないんですよね?よく考えれば分かりますよね?独り言ですが』だってよ。そしてこれが爆弾。あの企業は会社を二つに分けている」


 え?どういうことですか?


「施設と食事提供の委託契約を結んでいるのが株式会社ニルスだ。しかし、アルバイトの給料は株式会社アゼムという会社から支払わる。株式会社アゼムは派遣会社だ。つまり、ダンディさんとマダムさんやそのお友達は同じ所在地で代表者も同じである二つの法人、株式会社ニルスが委託契約を結んだ職場に株式会社アゼムとして雇用されて『派遣』という形で働かされている。これは立派な『派遣法違反』だぜ」


 へえええええええええ。


「まあ、この問題は頃合いを見て所轄の『労基』と『保健所』へ通報すれば済む問題だ。でも役所の腰も重いからな。動かねえなら、俺がゲットした証拠を提出すれば動かざるを得ないだろうぜ。俺は『たかり屋』じゃねえからな。この件はダンディさんとマダムさんにすぐに知らせておくぜ。はい、この問題は解決しゅうりょー」


 え?吉田さんには連絡どうするんですか?明日もシフト入ってますよね?


「○○大学病院の友人に『讃岐は入院しました』と電話してもらえば済む話。以上。さてさて、問題の『スプラッシュ』の方だぜ。こっちももう解決済みだな」


 え?そうなんですか?


「これは俺も黙っちゃいねえぜ。うちの子が傷つけられたんだ。目には目を歯には歯を。そして百倍返しだぜ」


 おおおお!頼もしいです!讃岐さん!


「これは店長の吉見さんにはよくしてもらったから心が痛むがその百倍、いや一億倍、馬鹿の本条と社長の池澤にゃムカついてる。辞める方法はさっきと同じだぜ。明日の昼過ぎ、仕込み前に『UDN47ぷらすワン』レギュラー全員集合だ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る