第29話 雨と傘

 家に消えて行く千佳の後ろ姿が全てを物語っている様に見えた。


 俺は、何に期待していたんだろう。

 いや、上手く行くなんてこれっぽっちも思っていなかった。


 それなら、なんで告白なんてしたのだろう。

 だが、不思議と後悔はしていない。


 帰り道、千佳の乗っていない自転車が軽い。

 蒸し暑くなっているはずなのに、背中が肌寒く感じる。


 さっきまで、彼女が後ろに乗っていたのだと思い返し、後戻り出来ない悲しさが込み上げる。



『消えてなくなりたい』



 俺は、そう思ってしまうほどの星空の見えない曇り空をみあげた。だけど、不思議と涙は出なかった。


 なんとなく、家の近くのコンビニに立ち寄り、コーラを買う。俺は店の前で純に電話を掛けると純は中々出なかった。諦めて電話を切ろうと画面を見ると純の声がして慌ててスマートフォンを耳に当てる。


 純の声が、少しだけ気持ちを軽くした。


「ごめん、お風呂に入ってたよ」

「ああ、悪い。そういう時間だよな」


 ガサガサと聞こえ、所々途切れるのは多分、本当にお風呂から上がったばかりだからなのだろう。


「あの事、千佳には言ったの?」

「うん……言った」

「それで、千佳は……?」


 純は、言葉を選ぶ様に反応を伺う。彼女の思っていた結果は、俺がぶち壊した。


「それなんだけどさ、俺は一緒に行けなくなった」

「ちょっと、ぜんぜん話が見えないんだけど?」

「……千佳に、告ったんだよ」


 俺が言った後、純は言葉を詰まらせた。


「えっ、どうしてそういう流れになるわけ?」

「俺さ、カジさんの事を伝えた時な。きっと千佳は、すぐまた『恋愛は戦争』とか平気そうに言いだすだろうと思ってた」


「私もそう思っていたけど……」

「なんでだろうな。普通なら平気なわけ無いのにな……」

「それじゃあ、千佳は……?」

「純は悪くない、そう言って泣いていた……」

「それで、告白したんだ。タイミング最悪だね……」


「正直、成功とかどうでもよかったんだよ」


 俺と、純はしばらく言葉を交わせなかった。多分、彼女も何か思う所があったのかもしれない。


「どうでもいい……か……」

「なんかよくわからないけど、千佳の事を好きな奴もちゃんといるんだって、そう伝えたかった……」


 なんで純にここまで言っているのかはわからない。


「羨ましいなぁ……」

「どうしたんだよ、急に」


 その瞬間、純の開けてはいけない箱を開けてしまった様な気がした。


「泣きたいのは私もなんだけどなぁ……」


 純は、そう言った。

 彼女は何か言いたかったのかもしれない。

 だけど俺は、寄り添えるほどの余裕はなかった。


「千佳、あんなに強いのにね」

「そうだな……勝手にヒーローみたいに思ってたのかもな……」

「きっと千佳もちゃんと女の子なのだと思う。だから、優はちゃんと見てあげてね……」


 後半振り絞って元気を出したような声に感じる。


「うん……」


 俺は純の葛藤に気付いていなかった。

 いや、気付いてやれなかった。


 泣き始めの様な、泣いている様な声。


「私、何か悪い事したかな……」

「そんな事……無いと思う」

「好きになっちゃいけない人だったのかな……」

「純……」


 多分、純も悩んでいたのかも知れない。

 我慢して、耐えていたのかも知れない。


「別に、彼女がいるわけじゃないし成人してるわけでもないよ。ただの高校生の恋愛だよ? 何がダメなの?」


 叫ぶ様に、押し殺す様に言った純の言葉が俺の胸に刺さる。


「どれだけちやほやされても、これじゃ意味ないよ……なんで優じゃなくてあの人なの?」


 俯瞰的で余裕がある様に見えていた彼女。その我慢を見て見ぬ振りをしていたんだ。


「純……」

「ごめん、電話を続けられそうにないや」


 彼女は、そう言って電話を切った。

 曇っていた空は次第に雨が降る、だけど俺はそのまま立ち尽くした。


 俺は、どうすれば良かったのだろう。

 例えどれだけ死に戻ったとしても、上手く行く気がしない。


 あの時、純に声を掛けなければ。

 綾と付き合っていたなら。

 いや、今となってはどれが無くても千佳をここまで好きにはなっていないだろう。


 だけど、千佳はカジさんと上手く行っていたかも知れない。


俺の浅はかな行動が、千佳や純を……大切な人を不幸にしたんだ……。


 俺は罪悪感に潰される様に、その場に膝をついた。だんだんと強くなっていく雨は、次第に俺の服を冷たく重くする。


 少し暖かくなった雨が、流れ落ちて行くのを感じる。


 罪を。

 気持ちを。


 それら全てを、洗い流してくれる事を望んで嘆いた。このまま熱でも出て、倒れて、全ての悩みから解放されたいとさえ思った。




「あーもう、どーすりゃ良かったんだよっ」




 すると、俺の周りだけ雨が止んだ。

 周りはまだ、雨が降っている。


 不思議に思い振り向くと、傘をかざす顔見知りの顔がみえる。そのまま彼は、覗き込む様に声をかけた。

 

「何やってんだよ?」

「……修平?」


 なんで、修平が……?


「驚いているのかよ? 俺んちの近くなんだから居てもおかしくはないだろ?」

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