第28話
翌日、雄一は昼過ぎにはホームズの事務所へと向かった。事務所には福地さんと山本さん、キューピーさん、それに新人の昆布と社会の窓の二人がいた。
「お、新人は全員来たか。いいねえ。今日は外晴れてる?」
「すごくいい天気です」
社会の窓の遠藤が言った。
「そう?じゃあ、今着替えるから公園でやろう」
そう言って福地さんは寝間着からジャージに着替え始めた。福地さんはこの事務所に住んでいるのだろう。いや、福地さんの住んでいるところを事務所にしているのだろう。
「西山君はピンやろ?何か芸名とか使わないの?」
キューピーさんが雄一に聞いてきた。
「はい。ずっとトリオでやってきましたんで。今後も誰かと組んでやれればと考えていますので名前は仮で西山でやっていこうと思っています」
「じゃあ、『とりあえず西山』でいいんちゃう?」
「とりあえず西山ですか?」
「とりあえす西山ええやん。それでいこう」
山本さんが言った。ホームズ二日目にて芸名を付けられてしまった。
「お前ら公園いくぞ」
バスケットボールを持った福地さんの声にみんながついて行った。
公園は事務所のすぐ近くにあった。バスケットボールのゴールが一つだけ設置されてある。新宿の平日の昼間の公園。そんなに人はいない。何個かあるベンチの空いているベンチを見つけ、福地さんは座った。福地さんの左右に山本さんとキューピーさんが座った。
「よし。『社会の窓』の、えーと、名前なんやったっけ?」
「遠藤です!」
「真中です!」
「どっちがボケ?」
「僕です!」
真中が言った。
「じゃあ、遠藤ととりあえず『とりあえず西山』、真中と昆布が今からコンビな。今から即興で面白いことをやれ。漫才でもフリートークでもなんでもええぞ」
「え、打ち合わせの時間もなしですか?」
遠藤が言った。
「打ち合わせの時間?何それ?ライブで客に考えるからちょっと待ってって言うの?」
「いえ…」
「俺が遠藤ととりあえず西山をとりあえず見るから。山本とキューピー、そっちで真中と昆布の方見て。さあ、はよやれよ。遠慮せんでええから」
雄一の頭に『バスガス爆発』時代の『ラグビー部漫才』が瞬間的に思い浮かんだ。遠藤はツッコミだろう。乗って来いよ、そう思いながら雄一は言った。
「ラグビー部漫才」
ボールを持ったつもりでその場で駆け足を始める雄一。意味が分からずてんぱったまま雄一を見ている遠藤。
「いやいやいや。ラグビーなんですから、ちゃんと走ってくれないと困りますよ。はい、パス」
そう言って遠藤にパスを出す仕草をする雄一。遠藤が雄一のやろうとしていることをようやく理解する。パスを受けて駆け足を始める遠藤。
「そうですねえ。試合中なのを忘れていました。もう春ですねえ」
パス。
「もう、長袖着るか半袖着るか判断に迷いますよねえ。中間はないんですかねえ。中間は」
パス。そして駆け足しながら急に後ろの方に下がっていく雄一。
「中間ですかあ?それなら長袖を腕まくりすればいいんじゃないですかって君!遅れてる!かなり遅れてるよ!」
「待ってー!早いー!」
そう言ってまた遠藤の横に駆け足のまま移動する雄一。
「やっと追いついたあー。自分早いなあ」
「早くないよ。長袖の話ですよね。腕まくりすればいいんじゃないですか?」
パス。パスが暴投になったジェスチャーをする雄一。
「ちゃんと投げてやー。すいませーん。ボール取ってもらっていいですかー?」
近くのベンチに座っているサラリーマンに向かって叫ぶ雄一。声に気が付いたサラリーマンは意味が分からずにすぐに読んでいた新聞に視線を戻した。
「ありがとう!いー薬です!」
ボールを受け取るジェスチャーをしながら雄一は自信を持って言った。このネタは鉄板だろう。しかし福地さんは表情を変えずに二人を見ていた。しかも遠藤は何もツッコまない。てんぱったままだ。
「試合再開。腕まくりもいいんですが、僕、校則で腕まくり禁止されてるんです」
パス。
「腕まくり禁止って。君の学校どんだけ校則厳しいですか」
パス。
「厳しいですよねえ。うちの校則。煙草、パチンコ、一発停学。オナニーと宿題忘れは一発退学」
パス。
「それは厳しいですねえ。オナニーと宿題忘れで一発退学って。どれだけ厳しいんですか」
パス。
「オナニーはバレないと思いますよね。その考えが甘いんです。筋肉痛でバレるんですう!」
ボールをトライするゼスチャーをしながら雄一が締める。全部、『バスガス爆発』に伸基とやっていたネタだ。
「終わり?全然おもんなかった」
福地さんが表情を変えずに言った。
「まず、遠藤。全然ボケが拾えてない。なんで暴投のところで何もツッコまないの。ツッコむとこ百個くらいあったぞ。お前、ツッコミやろ。全然ダメやん。それからとりあえず西山。今のネタやろ。まあ、遠藤が『春ですねえ』って話を振ったから内容は即興かもしれないけど、大きいボケは全部ネタやろ?」
「はい。高校の時のネタです」
「大正製薬とオナニーで筋肉痛もネタやろ?」
「はい!」
「全然おもんないわ。まあ、ええわ。今日が初日みたいなもんやし。大体分かった」
福地さんの言葉が終わると同時に山本さんたちのグループも戻ってきた。
「そっちはどうやった?」
「いつもとあんまり変わりはないですねえ。昆布ダンスばっかりでした」
「真中はボケた?」
「ボケてないですね。一度も」
「まあ、最初やし。ええんちゃうかな。そしたら事務所戻るぞ」
福地さんがそう言って全員が福地さんの後に続いた。しばらく歩いた後に雄一は言った。
「それで福地さん、なんでバスケットボールなんですか?」
「あ!忘れてた」
福地さんが素で、しまったという表情をした。
「それネタやろ!自分、どんだけ面倒くさいの!」
山本さんが福地さんにツッコミみんなが笑った。
「俺と山本とキューピーはちょっとコンビニ寄って帰るから先に事務所戻っといて」
そう言って福地さんは鍵を雄一に向かって投げた。そのまま三人は歩き出していってしまった。残された新人の四人は事務所に戻った。
事務所の扉の前で雄一は思った。
(ここで普通に部屋の中で待っていても面白くない)
しかしその思いとは裏腹にそれを言葉に出来ない。そのまま部屋の中に入る四人。
事務所の中で昆布は一人だけ離れて煙草を吸っていた。雄一も黙って座り込んでいた。すると『社会の窓』の二人が話しかけてきた。
「今日はごめんな。とりあえず西山君」
「何でですか?」
「公園で福地さんに即興でやれって言われて、こいつともバラにされて頭が真っ白になってしもて。俺、全然ボケが拾えんかったやろ?」
「いや、大丈夫です」
最小限の言葉で返事だけする雄一。昨日出会ったばかりの人間とすぐに親しく話せるような性格ではない。それでも『社会の窓』の二人はどんどん話しかけてきた。
「昨日の僕らのネタどうでした?」
「僕はいいと思いました」
雄一の言葉に喜ぶ『社会の窓』の二人。
「『ぶち壊しカラオケ』な」
真中が嬉しそうに言った。
「やろ?面白かったやろ?」
「はい、面白かったです。お二人はいつからやってるんですか?」
「中学二年の時から高校三年間もずっと二人でやってた。そして二人で青森から上京してきた」
「文化祭とかすごいウケてたし、学校でも敵なしやったなあ。とりあえず西山君は?」
「僕は高校からです。トリオでした」
「え?なんで今一人なん?」
「二人とも普通に就職しました」
「とりあえず、敬語やめよう。タメで話そうよ。年も一緒やろ?公園でやったやつ。あれ、ネタなん?」
「はい」
「え、何々?どんなネタ」
「今日帰ったらじっくりと教えてやるわ。俺は面白いと思った。福地さんはぼろくそ言ってたけど」
雄一がキャスターを吸い始める。
真中君はハイライトを、遠藤君はフロンティアを取り出した。
「で、出た~。労働者の煙草、ハイライト~」
「そうそう。労働者の煙草、ハイライト~。俺、金ないから一本でかなり吸った気になれるこれが好きなんや」
「こいつ、ハイライト吸ってるくせにコーヒーが飲めんのやで。いっつもハイライトとオレンジジュース。どんな組み合わせや」
「ええやん。俺はこの組み合わせが好きなんや。てか、俺ハイライトで自分はなんでフロンティア?一ミリって」
「そりゃあ、長生きしたいからやん」
「じゃあ、禁煙せえよ。てか、ハイライトとフロンティアのコンビって」
会話を聞いているだけで『社会の窓』はしっかりと喋れている。
福地さんたちが事務所に入ってきた。
「お疲れ様です」
煙草を消し、立ち上がる新人四人。
「なんで普通なん?」
福地さんが言った。
「お出迎えにボケなし?まあええわ」
「今日はうちの団員、誰も事務所に来ないですね」
「バイトが終わったら何組か来るんちゃう?まあええわ」
帰り際、雄一はキューピーさんに声を掛けられた。
「とりあえず西山君、この後時間空いてる?」
「はい」
「じゃあ、一緒にご飯行こう」
「はい」
夕方の新宿を二人で歩く。
「もう少し歩いたらホームズ行きつけの定食屋があるから。とりあえず西山君はバイト何してるの?」
「解体工事の手伝いのバイトをしてます」
「へー、そうなんだあ。僕は居酒屋。知り合いの紹介でずっとそこ。個人店だから融通も利くし、時給もかなりいいんだよ」
「失礼ですが、キューピーさんはおいくつなんですか?」
勇気を出して雄一は聞いた。
「ん?僕には気を使わなくていいよ。年は二十三。福地さんは三十一かな。山本さんはその二個下。あ、ここね。この店」
新宿には似合わない古い佇まいの定食屋が。定食屋「はせがわ」。キューピーさんが引き戸を開けて店に入る。
「いらっしゃい、あらキューピーちゃん!久しぶりやわあ!」
「ご無沙汰です。すいません」
「ええからええから。あれやって」
「キューピーでえす」
そう言ってキューピーさんは斜めに傾きながら、腕組みし、右手の人差し指を左頬にあてた。
「あはははは。ホンマに面白いなあ。『キューピーでえす』。あははははは」
「この人がこの店の女将さんね。女将さん、この子が新人の子ね。顔覚えてあげて」
「ホンマに?名前なんて言うの?」
「とりあえず西山です」
「また面白い名前やねえ。覚えとくね。いつものでいいね?」
「はい、お願いします」
そう言って女将さんは厨房へ消えていった。適当に席に座り店の中を見てみる。たくさんのサイン色紙が店内に飾られている。
「煙草吸うんでしょ?吸っていいよ」
キューピーさんに言われ雄一はキャスターを取り出し、火を点ける。
「ここのお店の色紙すごいやろ。これ、全部ホームズの芸人のサインなんだよ。現役のは、あそこに『レントゲン』、『阿修羅』があそこ、『チューリップ』があそこやろ。黒沢やインド人や大月のもあるよ。後はみんな辞めた芸人のサインだね」
「キューピーさんのサインもあるんですか?」
「うん、あそこ」
キューピーさんがレジを指さす。レジのすぐ横の目立つところ。
「福地さんと山本さんはサイン書かないからないんだよね」
「そうなんですか」
「それより聞いたよ。福地さんから。オナニーで筋肉痛と大正製薬。君、面白いよね」
「いや、全然です」
「福地さんは基本的に本人の前では絶対に褒めないからね。笑わないし。昨日も言ってたよ。『竜二、百人に聞きました』。あれ、どう思うって。福地さんは山本さんと僕にしか本音は言わないね。僕もどこまで本音なんだろって思う時もあるしね。あと、留守電。昨日、新人が帰った後すぐに新人の家全部に電話したんだって。昆布さん、遠藤君、真中君、みんな普通のメッセージだったんだって。そしたら君の留守電やろ。あいつはアホかって。これは福地さんの最高の誉め言葉だと思うよ」
留守電メッセージを聞かれたのか。雄一は少し恥ずかしくなったが、同時にすごく嬉しくなった。
雄一の留守電メッセージ。流行しているアサヒスーパードライのCM。クイーンの「アイ・ワズ・ボーン・トウ・ラブ」が流れるCM。
「今、手が離せません。(そこからクイーンの「アイ・ワズ・ボーン・トウ・ラブ」がいきなり流れ出す)アナメーイジン♪フィーリン♪コーミンスルウー♪アーイ・ワズ・ボーン・トウ・ラーブ♪ウィズエーブシングビー♪オマイハー♪格別のアホさ!品質!ピー」
思わず照れながら雄一は言った。
「あれ聞いてくれたんですか?」
「すごいよね。本当すごい。昨日ね、昆布さんだけ団員にウケてたよね?何故か分る?」
「正直、全く分からないです」
「昨日の自己紹介とネタを見ててね。君は何て言うか、人見知りするタイプ?」
「はい」
「あーやっぱり。学校でもあんまり目立つ方ではなかったんじゃないの?」
「はい」
「自信もあると思うし、それなりに面白いのかもしれないけれど、かなり『テレ』が入ってたよ。それを隠そうとしてるのがすごく空気で分かった」
キューピーさんの言葉に心を見透かされた。思わず雄一は言った。
「やっぱり変な空気を出してましたか?」
「うん、すぐ分かったよ。昆布さんはね、やっぱり芸歴が長い分かなあ、初対面のたくさんの人の前でも自然にやれてたからね。面白い面白くない以前に自分の空気でどこでもやれる強さがあるよね。福地さんもそれで即戦力でと考えたんだと思うよ」
そしてキューピーさんがテーブルに肘をつき手の平に顔を乗せた。
「『竜二、百人に聞きました』もね、まずあの場で映画の『竜二』を知ってる人がいなかったらとか考えた?」
「考えてなかったです」
「だろうね。かなりマニアックなネタだよね。『竜二』と『クイズ百人に聞きました』の両方を知ってる人にしか分からない。昔からそんなスタイル?」
「いえ、高校時代はトリオでやってまして。どんなボケもしっかりと拾ってくれてましたし。僕が暴走しそうな時も止めてくれましたし、舞台でも…、お客さんの顔がしっかりと見えるぐらい冷静になれましたし…。なんて言いますか…、相方がいると『テレ』とか人見知りとかも感じたことがなかったです。相方がそばにいた時は。人前でボケる怖さは知ってます。学校でもクラスの中ではボケれませんでした。なんて言いますか、言葉にするのは難しいんですが、相方といるとそういうのがなくなるのを舞台で感じたんです」
「いい相方とやってたんだね。でも今はピンだ。同じような相方を見つけるのはかなりしんどいと思うよ。笑いの方向性ってとても繊細だからね。長くやってきたコンビが合わなくなって別れることもあるからね。正直、今の団員の方向性と言うか、なんかバラバラな感じなんだよね。芸人として、人前でやる演技力や重い空気でもやれる力はあるんだけど。『キューピーでえす』も僕の持ちネタとして定着してるんだけど、君は正直どう思った?」
「最初は意味が分からなかったです」
「本音で言っていいよ」
「あんまり面白いとは思わなかったです」
「だよね。僕もずっとピンでやってきてさあ、最初の掴み、ブリッジ。すごく悩んでたんだよ。その時、福地さんにこれをやれって言われて。そこからライブで定着していって。いつも毎回その後にセリフを付けてるんだよね」
「セリフですか?」
「そう。『キューピーでえす』の後に、『今日はドレッシングです』とか『今日は減塩です』とか」
「それ、面白いです」
「今日は『三分間』ですとかね」
思わず笑ってしまう雄一。
「それいいですね。『三分間』って」
「それでもお客さんには伝わらない場合が多いんだよね。『今日はコーワゴールドです』の時は自信あったんだけどさ。もう完全にノリだけで笑ってるお客さんも多いしね」
「コーワゴールド」の部分で雄一は笑った。
話の途中で女将さんがものすごい定食を運んでくる。おかずが何種類もてんこ盛りになっている。
「おまたせー。いつもの『はせがわスペシャル~』」
女将さんがドラえもんぽく言った。
「うちの厨房には四次元ポケットあるから」
「女将さん、そのセリフ、二万三回くらい聞いてますから」
「あらそーお?あははははは」
「まあ、食べよう。この店はホームズの団員は割引もしてくれるし、出世払いも許可してくれるんやで。まあ、みんな金はちゃんと払うけれどね」
「はい」
「まあ、福地さんと山本さん。あの二人は本物だからね。あの二人についていけば間違いないと思うよ。人見知りの部分は他の団員と時間をかけてずっと一緒にやっていると治ると思うし」
キューピーさんがマヨネーズをハンバーグにかけながらそう言った。
アホになりきれない。簡単なようでとても難しい。しかしもう自分は一人。やっていくしかない。
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