第27話

 九十五年春 東京。


 雄一は阿佐ヶ谷の家賃四万五千円のアパートを借りた。六畳のワンルーム。貯金はあっという間に半分以上なくなった。東京に来て、最初に駅名で驚いた。

 高田馬場、お茶の水、千駄ヶ谷。なんやその駅名。そして電車。

「代々木と新宿、近っ!」

 まずは仕事を見つけないといけない。それと同時に、

「お笑いの事務所にはどうやって入るんや?てかどこにあるんや?」

 アルバイトはすぐに見つかった。いろんな建物を解体する工事現場の手伝い。時給九百五十円。しかも日払い。現場に直接集合する。時には二十四時間以上拘束されることもあったが仕事が終わった後に三万円以上の現金を手渡されると疲れも吹き飛んだ。そして地元のパチンコホールで稼げる店も見つけた。釘がいい確率の収束しやすい一般電役を狙って打った。一日粘ればそれなりの金になった。時には五倍以上のハマりを食らったりもしたが確率を信じて打ち続けた。ハマる時もあれば信じられない連チャンもする。ギャンブル性の高いCRは絶対に打たない。

 そして本屋で「ゴールドラッシュ」や「じゃまーる」を見ながら芸人を募集しているところを探した。「相方募集」と言うものもあった。雄一はその中で一つの広告を見た。

「お笑い芸人を目指している人募集。デビュー出来ます。お笑い劇団『ホームズ』」

 掲載してある電話番号に電話を掛けてみた。ドキドキする。コールが鳴ってすぐに相手が電話に出る。

「はい、ホームズです」

「もしもし、広告を見たんですけど」

「広告?あ、芸人希望の方ですね。お名前と年齢を教えてもらえますか?」

「名前は西山…」

「あ、ちょっと待ってください。メモをとりますんで。はいどうぞ」

「西山雄一です。十八歳です」

「にしやまゆういちさんですね。ピンですか?コンビとかですか?」

「ピンです」

「今、仕事はされてますか?」

「フリーターです」

「芸歴とかあります?どこかでやっていたとか」

「高校でトリオやってました。ボケです」

「声で分かりますが一応確認しておきますが男性ですよね?」

「はい」

「事務所の住所載ってますよね?今日の夜八時に来れます?」

「はい。大丈夫です」

「それじゃあお待ちしてます」

 電話を切って住所を確認する。新宿のマンションの七階。雄一は約束の時間よりも早く着くように家を出た。新宿は迷う。

 新宿駅から地図を頼りに歩く。かなり歩く。それでも人はたくさんいる。遠い。ドンドン歩く。駅からかなり歩く。目的の住所にたどり着く。マンションの名前を確認する。事務所と言うから広いオフィスを想像していたが、マンションの名前を確認して驚く。普通の人が住むようなマンションだ。何度もマンションの名前を確認し、郵便受けの名前を見てみる。

「お笑い劇団ホームズ」

 ここで合っている。雄一は約束の時間を待って八時少し前に七階の部屋へと訪れた。チャイムを鳴らしドアが開くのを待つ。ドアが開く。

「お電話した西山です」

「あ、西山君ね。待ってたよ。部屋に上がって」

 靴を脱いで部屋に上がる。玄関からすぐに狭い部屋が。そこに十人以上の人が。女もいる。

「俺、山本ね。よろしく。ここで副代表をしてるから。そしてこの人が代表の福地さん」

 一人だけソファーに座って無表情で雄一の顔を見てきた。そして何も言わずに視線を元に戻す。他の人間は全員地べたに座り込んでいる。隣の奴と話をしている者、黙って雄一を見ている者。

「山本さん、新人さんですか?」

「そう、あとピンが一人とコンビが一組来るから。あ、こいつはキューピーな」

「キューピーでえす。よろしくねー。君は?」

 キューピーと名乗る男が満面の笑みで言った。二重瞼で太い眉毛、そしてアンディ・ガルシアのような男前で個性的な顔だ。

「西山雄一です。よろしくお願いします」

「西山君ね」

「キューピーもピンでやってるけどおもろいよ。後のメンバーは他の新人が揃ってから紹介するから。適当に座って待ってて」

 そう言って山本さんは部屋のチャイムに反応してドアに向かう。新人は八時ちょうどには全員が揃った。

「これで全員?そしたら新人、順番に自己紹介と持ちネタを一つやって」

 ソファーに座ったまま黙り込んでいた福地さんが初めて口を開いた。山本さんがすぐに仕切る。

「じゃあ、最初に西山君から」

 山本さんの言葉に反応して、雄一が立ち上がり全員の前に立つ。部屋にいる人間全員が黙り込んで注目する。重たい空気。ここで笑いを取るのはまあ無理だろう、とにかくやりきろう、そう思って雄一は口を開いた。

「近場から来ました、西山雄一です。十八歳です。本気と書いて西山と読みません。ネタやります。『竜二、百人に聞きました』えー、全国の竜二さん百人に聞きました。正解はひとつ。野菜が(ボタンを右手で早押しするゼスチャーと同時に)うるせえー!」

 誰も笑わない。しかも明らかに自分に違和感を覚える。

「ありがとうございました」

 そう言って雄一は座っていた場所に戻りしゃがみこんだ。次に遠藤と中山と言う二人組、「社会の窓」が自己紹介とネタをやる。雄一と同い年。同じく誰も笑わない。二人の表情がかなり焦っているのが分る。おそらく強烈な洗礼を初めて感じているのだろう。そして最後にピンの人が。

「どうも、昆布です。二十八歳です。仕送りで食ってます。昆布の舞をやります」

 そう言って昆布は体を縦にくねくねさせた。

「縦揺れ~」

 座っていた人間が初めて笑った。雄一には何が面白いのか全く分からなかった。

「横揺れ~」

 そう言って昆布は横に揺れ始めた。

 笑う他の団員達。なんで?雄一はとても不思議に思った。金でも配ってるのか?本気でそう思った。

「ありがとうございました」

 そう言って得意げに自分の場所に座り込む昆布。

「以上で新人の自己紹介終わりな。時間もないから新人さんにうちの団員を簡単に紹介しとくね。まずキューピー」

「キューピーでえす。よろしくねー」

 手を上げて笑顔で言うキューピー。

「それからレントゲン」

「ほーい」

 二人組が手を上げる。

「次、阿修羅」

「はーい」

 三人組が手を上げる。

「次、チューリップ」

「よろしくー」

 女二人組が手を上げる。

「次、黒沢」

「はい」

「インド人」

「はい」

「大月」

「はい」

「この三人もピンな。それからうちの代表、福地さんね」

「福地な。最後の奴、昆布?ええんちゃう?次のライブに出してやるわ。後は論外やな」

 ソファーに座ったまま体勢も表情も全く変えずに福地さんが言った。

「昆布、よかったな。次のライブに出してもらえるって」

 山本さんが昆布に声を掛ける。

「ライブですか?ありがとうございます!」

「新人でライブ出してもらえるって珍しいな」

「昆布、面白かったもんなあ」

 いろんな声が聞こえてきた。

「新人にうちのやり方教えてあげて」

 福地さんの言葉に山本さんが応えて説明が始まる。

「うちの活動は基本週二回。ここが事務所だからここに集まって練習します。近くに公園もあるのでそこでもやります。参加は自由です。それぞれバイトもあると思いますので、参加は各々に任せます。逆に時間のある人はいつでも事務所に来てもらってもいいです。福地さんがいろいろとご指導してくれます。ライブ活動は不定期ですが大体二か月から三か月に一度はやります。それぞれのネタや漫才、グループコントやフリートークもやります。簡易なライブは頻繁にやってます。それからうちは月謝を払ってもらってます。一人月に二万円です。毎月月末までに僕のところに持って来てください。月謝の払えない人は辞めてもらいます。あと、ライブ前はチケットも売ってもらいます。ノルマの枚数をライブ前に決めますので売れ残りは買い取りでお願いします。以上です。質問のある方?」

 誰も手を上げなかった。月謝が月に二万?事務所なのに金払うの?何も言わなかったが雄一は心の中でそう思った。そしてそこで福地さんが言った。

「お前ら、芸人になりたくてうちに来たんやろ。そしたら『ガキ使』見てるよな」

「おい、お前ら。福地さんが聞いてるんやから返事ぐらいせえよ」

 山本さんの言葉に新人は雄一も含め全員が返事をした。

「はい!見てます!」

「フリートークも見てるよな」

「はい!」

「あれ、その場で考えてると思うか?」

 その言葉に返事に詰まる新人。言っていることの意味が分からない。

「あのフリートークに台本があるとしたらお前らどう思う?」

「台本あるんですか!?」

 昆布が叫んだ。雄一も全く同じことを考えた。信じられないし、考えられない。

「俺が言いたいのは、あらかじめネタを仕込んどいて、あたかもその場で思いついたように喋るのも技術のひとつってことや。分るな」

「はい!」

 雄一の文化祭でのフリートーク。あらかじめ仕込んでおいたネタ。それと全く同じことを言っている。伸基が言っていたことと同じこと。

「お前ら、ドンドン面白くなれよ。面白くなったら『ボキャブラ』の予選に出してやるから。ていうか、他の団員。お前らも『ボキャブラ』の予選ぐらい通過せえよ」

「すいません。頑張ります」

 先輩である団員達が言った。

「キューピーならいけると思うんやけどなあ。なんでお前は予選に出んのや」

 キューピーさんがにやけながら軽く頭を下げた。福地さんはタモリさんと知り合いなのか?『ボキャブラ』に予選があるのか?

「そしたらこれから前のライブのビデオ流して。一つずつ反省会していくから」

 ホームズのライブビデオが大きなテレビで映し出される。正直、面白くない。笑えるところが一つもない。しかしライブでの客はネタのたびに笑っている。女の笑い声しか聞こえない。それどころか登場しただけで声援が飛んでいる。福地さんがネタの一つ一つに的確な考えを言っていく。ズバズバと切っていく。そして最後に登場した福地さんと山本さんが二人でフリートークをしている映像が流れ始めた。雄一は笑った。めちゃくちゃ面白い。この二人はコンビなのか?ダウンタウンの笑いによく似た笑い。これがテレビで流されたらすごいことになるのでは。それぐらい面白い。これが台本のあるフリートークなのか。福地さんのボケの発想がすごい。そして山本さんのツッコミがとにかくキレてる。この二人はとにかくすごい。

 いろんなことに衝撃を受けた夜だった。帰り際、雄一は福地さんに呼び止められた。

「『竜二、百人に聞きました』。あれはいつ考えた?」

「高校三年の時です」

「そうか…」

 それ以上の言葉を期待したが、福地さんはそれ以上何も言わなかった。

「ホームズでやっていこう」

 雄一は夜の新宿を歩きながら自分に何度も言い聞かせた。

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