第21話

「今日は野球部の連中と泊りがけで集まるんよ。やから今日は早めに切り上げるから」

 数時間前には球場でものすごい試合をしていた伸基が雄一の部屋でジュースを飲みながら言った。

「なんちゅうかなあ。すごかった」

 キャスターを吸いながら雄一が率直に言った。それしか言葉が思いつかなかった。

「まあ、お疲れさんやな。もう髪も伸ばせるし、キツイ練習もやらんでええしな」

 モッキーがいつものニコニコした笑顔で言う。

「まあなあ。雄一、一本くれるか?」

 伸基はそう言いながら右手の人差し指と中指で挟むジェスチャーをした。

「あ、そうやな。煙草も解禁か。吸え吸え。三年分吸ってまえ」

 そう言って雄一はキャスターを差し出し伸基が咥えたキャスターに火を差し出した。煙を思い切り吸い込み、一気に吐き出す伸基。

「ふーーーーーーー。やっぱりシャバの空気はうまいのう」

 精一杯明るく振舞おうとする伸基。

 なんとなくいつもと空気が違う。雄一もモッキーも軽々しく何か言おうとしても口に出来ない。そんな空気を察してか伸基が話し始めた。

「なんかな、今でも実感がないんや。最後、ベンチで試合が終わるん見ててもな、感情が出てこんかったわ。高校野球って負けたら泣くんかなって考えたこともあったんやけど。試合終わった後、俺、開口一番に何て言うたか分る?『マネージャー、ポカリどこ?』って言うてたわ。なんやろなあ、ホンマ。毎日、洗濯したユニフォームをバッグに入れて、それを担いでチャリンコに乗って学校行って。もう、明日からバッグも担がんし、髪も伸ばせるし、部室にダッシュで行くこともない」

 煙草を吸い終わった伸基に二本目のキャスターを差し出す雄一。伸基はそのまま二本目を吸い始める。

「なんやろなあ。ただ、いろんな人が期待してくれてたのは分かる。それに俺は応えられなかった。それは申し訳ないなあとは思う」

「そうなん」

「野球の道具ってすごい高いねん。俺のグローブ、ミズノプロな、三万するんや。スパイクやろ。硬式のボールって一個千円以上するんやで。プロテインも毎日飲むし。親とかOBの人とか後援会の人とかが寄付金出してくれて野球が出来るんよ。俺らが甲子園行ってたら、また寄付金もぎょうさん集まってたやろなあ。そしたら下の奴らもええ環境で野球が出来たはずなんよな」

 三本目のキャスターを咥える伸基。

「今日、ツーアウト満塁で俺に回ってきたやん」

「うん、見てた。牽制でサードの子がアウトになったとこやろ」

「あの回、ピッチャー変わったやん。石倉な。正直、舐めとった。二番手やろって。前の回にホームラン打ってたし。前に俺、県のその辺のピッチャーなら捉える自信はあるって言うたやん。石倉はその辺ではなかったわ。あの打席な。俺、初めてバットを短く持ったんや。初球は真っ直ぐだけ狙ってた。そしたら抜いたボールが来た。だから振れなんだ。そして二球目。来た球を打とうと思って振ったら前に飛ばんかった。その時に初めて気付いた。こいつはその辺のピーではないと。とにかく短く持って当てていこうってな。結果は牽制でアウトになってチェンジになったけど、俺は完全に追い込まれてた。牽制でアウトになってなくても俺は打ててなかったと思う」

「でも、次の回に打ったやん」

「あれはただの結果や。石倉かあ。すごい奴がおったもんや」

 四本目の煙草。

「とりあえず野球はこれで終わりや。上を見る野球は完全に諦めがついた。次は公務員でホームラン打つわ」

「その前にまだ『バスガス爆発』の四番の仕事があるぞ」

 雄一の言葉に伸基が煙草の煙を吐き出しながら言った。

「そやなあ」

 いつものような笑いに包まれた雄一の部屋の三人には今日はなれない。

「ほな、今日はもう行くな」

 そう言って伸基が立ち上がった。

「新作のビデオ入ったけど持って帰る?」

「ん、また今度でええわ」

 気のない返事。部屋を出ていく時に伸基が言った。

「最後な、エラーしたサードの後輩おったやろ。そいつがな、『すいませんでした。すいませんでした』ってボロボロ泣いてんのや。それを見てたらな、『ええから、気にすな』って逆に励ましててな。泣くとかいう感情よりもそいつを励ますことしか考えられんかったわ。以上や」

 部屋を出ていく伸基。

「あれ、伸基君。もう帰るんか」

 雄一の母親が伸基に声を掛ける。

「今日は野球部のメンバーで集まるんで」

「惜しかったなあ。元気出しいよ。伸基君かっこよかったで。おばちゃん、伸基君のファンになったわ」

「ありがとうございます」

「もうええから。余計なこと言うな」

「あんたは黙っとき!おかあはんは伸基君と話しよんや!」

「伸基、もうほっといてええから」

 部屋でモッキーと二人きりになる。

「まあ、明日になったらいつもの伸基に戻っとるやろ」

「明日もしょぼくれとったら俺がガツンと言うたるわ。…スペイン語で」

「スペイン語って」

「モッキーの大会はいつなん?」

「総体な。今月末や」

「伸基と見に行くからボケろよ」

「ボケるかあ!俺も最後なんやから。マジで気合入っとんやから」

「ハードルかあ」

「俺のすね見てみ」

 そう言ってモッキーがズボンのすそを上げる。すねが青くなっている。

「なにそれ?」

「抜き足が思い切りハードルにぶつかってまうんよ。泣きそうなぐらい痛いんやで」

「抜き足?あれって飛ぶんちゃうん?」

「飛ぶってより跨ぐんや。出来るだけ低く、すれすれで跨ぐん。一、二、三、跨ぐ。一、二、三、跨ぐ。まあ、飛ぶっちゃ飛ぶけど、前に飛ぶ感じ」

「そういや大前のサッカーももうすぐやなあ。それも見に行かな」

「あいつ、キャプテンやろ。イッサーも出るんかなあ」

「イサイサイッサー、あーいー」



 翌日の昼休み、いつものように三人は集まった。

「あんまりテンションあげんな。二日酔いで頭がめっちゃ痛い」

「昨日は野球部のメンバーで集まったんやろ。酒飲んだん?」

「あつおんちにみんなで泊まって、花火して、酒飲んで、煙草吸って、あとは覚えてない。あ、山下君を胴上げしたわ」

「徹夜?」

「ちょっとだけ寝た」

「ほんなん今日は学校さぼったらええのに」

「そんなん監督にどつかれるわ」

 弁当を食べ終わった伸基がセブンスターをポケットから取り出し吸い始める。

「ブンタか」

「セッタじゃ」

「いや、ブンタやろ?」

「いやいや、セッタやって」

「セブンスターはブンタやろ?」

「いや、セッタやっちゅうに。俺はずっとこれやから」

「モッキー、どっちが正しい?」

「俺、吸ったことないし。分らん」

「ほな、モッキーは若葉にしとけ」

「いや、俺まだ現役やし。大会前やし」

「お、お前、大会いつ?」

「今月末」

「ボケろよ」

 雄一と全く同じセリフを言う伸基。

「いや、ガチやから。ボケとかないから」

「お、前フリ始まったで」

 伸基のセリフに雄一が乗る。

「モッキーはガチやから。そんな、本番の総体でボケるなんて絶対せんから。間違っても背面飛びとかベリーロールとか絶対せんから」

 押すな押すなのダチョウ倶楽部。

「間違っても欽ちゃん走りなんか絶対せんから」

「そんなんせんから」

「分かった分かった。信じてるからモッキー」

「そう言えば文化祭の申し込みはもうしたんか?」

「おう、もう申し込んでるで。生徒会の奴らにもきっちり言うたから」

「去年みたいな邪魔は入らんやろな」

「去年の竹内辞めろコールがあったから、逆に山田も無茶は言うてこんやろ。大丈夫やって」

「まあ、もう夏休みやしな。俺も練習もないし。大学行くわけでもないし。遊びますかいのう」

「一緒に絶対勝てるパチ屋行こうで」

「おう、それそれ。五百円で一万円勝てるんやろ?」

「熱血ジュードー部って羽根ものでな。球拾たらほとんどⅤに入んねん。百円で当たるで。二年間、全く釘も変わってないから」

「坊主頭でもばれんのか?」

「大丈夫。制服でもなんも言われんし。でも四千発で打ち止めで二回までやで。抜きすぎたら釘が変えられるかもしれんから」

「その台に客は殺到せんの?」

「いや、客おらんから。あの店で客見たことないわ」

「遊ぶには金がいるからなあ。バイトするより全然ええなあ」

「バイトなんかアホらしくてやってられんわ。金なんて他にもいろんな稼ぎ方があるで」

「他に何があるん?」

「中古のファミコンショップあるやん。この辺でチャリで行けるとこで六軒あるんやけどな。中古ソフトの買取表に買取値段が書いてあるんや。でな、それ持って店を回ったら、他の店の買取価格より安くソフトを売ってる店が絶対あるんや。それで同じソフトをあるだけ買って、高く買ってくれる店に全部売るんよ。二千円で買い取ってくれるソフトを九百八十円とかで売ってるなんてざらやで。一万、二万なんてすぐに手に入るから」

「マジか!」

「マジやで。でも買い取ってもらう時に必ず親の同意書がいるんやけどな。うちのおかあはん、いつでも書いてくれるから」

「それはおいしいな」

「でも、たまにアホな店員がおってな。おんなじソフトを大量に売りに行ったら万引きしたんと疑ってきて『警察から電話いくかもしれんぞ』とかほざくねん。まあ、俺も『別にかまへんで』って言うけどな」

「お前、大富豪やなあ」

「うち、小遣い月に千円やで。そりゃ必死になるって。ファミコンソフトのやり方は中学の時からやってるから。家にある漫画もエロビデオも全部自分の金で買ったもん」

「裏ビデオなんか売ってるんか?」

「ああ、あれ。あれは小学校の時の友達から買ってる」

「素敵な友達やなあ。俺も友達になりたいわあ」

「そいつすごいで。俺、オナニーをそいつから教えてもらったもん。小二の時に。そいつんちでちんぽ出して目の前で実演してくれたもん」

「マジで」

「小二って。早すぎるやろ」

「でな、当時はビクビクってなってすごい気持ちよくなるんやけどな、精子が出えへんのや。それはそれで便利やったけど、小四くらいでイッたら精子が出るって聞いてな。俺、めっちゃ考え込んだんよ。『精子が出ないってことはビクビクって気持ちよくなってから、さらに擦ったらその先にさらに快感があってそこで精子が出るんや!』って結論に達してな。イッた後も無理やり擦ってたん。痛いだけやった」

「オナ部、深いなあ」

「そらあ、痛いだけやろ」

「いやいやいや。当時は真剣に悩んだで。だって精子が出んもん。机に座ってシコシコして、ビクビクってなって、そのまま宿題してたわ」

「ほんで精子はいつから出るようになったん?」

「中一から」

「微妙やな」

「まあ、精子問題解決でバンザイやけど、精子出るようになって逆に不便を感じたわ」

「精子問題ってなんや」

「逆に不便って」

「お前らのデビューはいつ?」

「俺は小五」

「ほな、伸基は俺の後輩やな」

「後輩ってどんな縦社会や」

「モッキーは?」

「え、俺?忘れた」

「嘘つけ!」

「えー、大体中学入ってからやったと思う」

「お前は後輩を通り越して若葉マークやな」

「俺は免許取り立てのドライバーか」

「いや、まだ仮免やな。俺はゴールド」

「無事故無違反か」

「いや、一回事故ったな」

「どんな事故?」

「オナニーしてたらおかあはんが部屋に入ってきた」

「それは一発免許取り消しやろ」

「え、その時どうしたん?」

「おかあはんが部屋に入ってきた瞬間に思い切り体丸めて『いた!痛い!痛い!』ってお腹おさえてた」

「下半身丸出しで」

「うん。俺も若かったなあ」

 キャスターを吸いながら雄一が遠い目をする。

「人に歴史ありやな」

「時は童貞十五年。その時、歴史が動いた」

「童貞十五年って。今は平成やぞ」

「十五歳の時やから」

「ほんだら今は童貞十八年か」

「お前らも一緒やろ!」

「それは秘密です」

 伸基が言う。

「あ、こいつは小学校の時からずっと彼女おったで」

 モッキーがそう言った瞬間、伸基の拳がモッキーの腹に入った。

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