第20話
ロン毛を丸坊主にして、お笑いと同じぐらい大事に取り組んできた伸基の野球。高校最後の夏。雄一はモッキーと一緒に去年と同じように誰もいないレフトスタンドの地べたに座り込んで観戦した。グラウンドでは試合前ノックが行われている。
「近くで見たいけど、竹内が鬱陶しいしなあ」
「まあ、ええんちゃう。ヤジも聞こえんし」
「甲子園ってなんなんやろな」
「そらあ、野球やってる奴にとっては憧れの舞台なんやろ。伸基も昔から甲子園、甲子園言うてたし」
「いや、それは分かるんやけど。周りの大人とか、関係ない奴とかがなんでどさくさに紛れて甲子園、甲子園言うんかなって」
「まあ、野球好きのおっさんとか多いしなあ。日本中が騒ぐしなあ。国民的行事みたいなもんちゃうかなあ。野球の強いとこ行くために違う県にまで行く選手もおるみたいやし」
「そうなん?そこまですんのか」
「甲子園の常連校とかな。そら、自分に自信のある奴とかは甲子園に行けるチームに行くんやろなあ。すごい世界やわ」
「それはすごいなあ。それは俺でも分る。でも関係ないおっさんがそんなに甲子園、甲子園言うんやったら野球部と一緒にキツイ練習もやったらええやん。それなら分るわ。そんなんせんでクーラーの効いた涼しい部屋でテレビで試合と結果しか見んで、去年は伸基の奴、町のおっさんに文句言われたんやろ。そんなんただのアホやん」
「それはそうやなあ」
「ほんでそういう奴が評論家みたいに語るんやろ。負けて泣くんやろ。『感動した』『感動をありがとう』って言うんやろ。『感動』ってなんなん?なんやろなあ」
「えらい毒を吐くなあ」
「だって竹内がまんまそうやん。あいつ、野球経験ないらしいで。絶対激しいオナニーばっかしよったで、あいつ」
「オナニーは認めてやれよ。そこは平等やろ」
「ええこと言うた」
「どうやろなあ。見て応援するんはええと思うけど、泣くんはよう分らんなあ。俺も当事者ちゃうし。まあ、暴言吐くんはあかんなあ。三年間努力したんはあいつらやし、山下君やったっけ?ベンチにも入れんでスタンドで応援してる子もおるし。山下君のことなんか誰も見てないやろうし。俺も伸基に聞くまではそのこと自体も知らんかったし」
「山下君、頑張ったのになあ。そんなんベンチぐらい入れてあげたらええのに」
「まあ、ベンチ入れる選手の数も決まっとるからな。しゃあないわ。俺なら耐えられんかもしれんなあ」
「俺も無理やでそんなん。甲子園行ってもスタンドやろ?めっちゃキツイやん。そんなん」
「体育会系の強いとこなら競技は違ってもみんなそうなんちゃう。厳しい世界やなあ」
山下君はどんな気持ちでチームを応援しているんだろう。それは山下君にしか分からない。頑張ってやり続けた山下君にしか許されない気持ちもあるんだろう。安易な想像は雄一には出来ない。ただ、事実としてスタンドのみんなは誰一人として山下君を応援することはない。校長の竹内でさえも。それだけだ。それはとても残酷なことだ。部活をやっていない雄一でさえもそれは分かる。
「報われない努力もあるし、努力のない成功もない。それが現実ちゃう」
グラウンドを見つめながらモッキーがさらりととんでもないことを言った。
「今週の第一位!本木さん、名言『報われない努力もある、努力のない成功もない』十八時間三十六分五十二秒!」
「お父さんのためのワイドショー講座か!」
そんなことをしている間に両チームの先発メンバーが発表される。
「四番、ファースト、新名」
湧き上がる歓声。負ければ引退。こんな状況で伸基はプレーするのか。普段通りにやれるのか。人前でやることの恐ろしさを教えられた雄一は球場の異様な盛り上がりにそんなことを思った。
試合前の挨拶。両チームが整列して帽子を取って礼をする。雄一はメモ帳を取り出しながら言った。
「ここで『ちょっと待ったコール』が入ったらおもろない?」
「ここでねるとん?おもろい」
「三人ぐらい『ちょっと待った!』って出てきて、『僕はど真ん中に遅いボールしか投げません!お願いします!』『僕は全部のボールを空振りします!よろしくお願いします!』『僕はファミスタでリリーフしか使いません!フェラチオからお願いします!』って」
「この状況で?しかもどさくさに三人目フェラチオからって」
「ほんで、ごめんなさいやねん」
「それええなあ」
「ねるとん丸坊主団や。これは坊主にしか出来ないネタやな」
メモ帳に「野球挨拶ねるとん」と雄一は書き込む。試合が始まる。
伸基の夏。前評判も高く、学校でも「今年は歴代でもかなり強い。甲子園狙える」と言われていた野球部の最初の試合。ぬるい気持ちで雄一は試合を見ていた。
「あー、くそ暑いなあ」
河本も三振をたくさん取り、相手チームを0に抑えているが伸基のチームも点が入らない。圧倒的にヒットも打って、ランナーも出すが点が全く入らない。0-0のまま試合は六回の裏、先頭バッターの伸基が打席に立つ。今日三回目のバッターボックス。一打席目、ライト前ヒット。二打席目、フォアボール。スタンドから大歓声がバッターボックスの伸基に送られる。
「かっせ!かっせ!新名!かっせ!かっせ!新名!」
初球を振りぬく。
カキーン。
「あ」
雄一が思わず声を出した時には打球はセンターバックスクリーンに吸い込まれた。
大歓声の中、早いスピードでダイヤモンドを一周する伸基。
「あいつ、ホンマに打ちよった。すごい!めっちゃすごい!」
興奮しながら喜ぶモッキー。
「見た?見た?見た?伸基すげえ!なんやあれ!漫画みたいやん!すげえ!すげえ!すげえ!」
グラウンドの伸基はガッツポーズも見せない。ホームベースを踏んで次のバッターの上げた右手に応えるように右手をタッチする伸基。そしてそのままベンチの中に消えていく。
「…なんか淡々としとるな」
「そう?あいつらしいけどなあ」
小学校からの付き合いのモッキーがグラウンドを見ながら答えた。
「普通こういう時はホームで花束とかもらって、スタンドに手を振ってお辞儀したりせんの?」
「ないない。まだ一点差やし。気持ちも張り詰めとんちゃう」
「今日のヒーローインタビュー用意しとかなあかんなあ」
後続が倒れ、守備に就く伸基にスタンドからまたも大歓声が。
「新名!新名!新名!」
それに何の反応もせずに一塁の守りに就く伸基。河本が投球練習をしている間、内野手にゴロを転がし、送球を受ける伸基。最初から見ていたら、ワンバンの送球や地面すれすれのバウンドしているんじゃないかという送球も全て伸基はしっかりとベースに足を付けたまま捕っている。
「俺、野球のことはファミスタぐらいしか分らんけど、何て言うか、なんやろ?あいつは『バスガス爆発』のメンバーなん…やなあ」
「そやで。俺らの相方はすごい奴なんや」
「すごいわ…」
「あんな、あいつのネタで『達川選手』あるやん。あれ最初やるかどうか、あいつめっちゃ迷ったんよ。なんでか分る?」
モッキーが雄一に問いかけた。
「なんで?あれ、おもろいやん」
「あいつな、達川選手のこと、めっちゃ尊敬してんや。一番好きなプロ野球選手が達川さんやねん。野球がすごい上手くて、ユーモアもあって、デッドボールちゃうのに手に当たったってアピールとかする人なんよ。あいつのヒーローなんよ。達川さんは。そんな人をネタにしてええんかってな。当時はものすご悩んでたわ。まあ、結局ネタにしたけど、心の中では常に謝ってるって言うてたで」
「そこまで考えるかあ。確かに笑いは紙一重なところもあるけど」
「お前、自分を侮辱されたらどう思う?」
「ムカつく」
「それで成り立つ笑いもあるからなあ」
「そやなあ」
七回の表。相手チームの攻撃。先頭バッターが三塁打を放つ。
ノーアウト三塁。今度は相手チームのスタンドが盛り上がる。
「ここはスクイズや!」
雄一は数少ない知ってる野球用語を使う。
相手チームは本当にスクイズをしてきたがバントした打球は高くキャッチャーの頭上に上がりキャッチャーが捕る。ワンアウト。
「次もスクイズや!」
雄一が叫ぶ。
しかし、バッターはバントの構えもせずにフォアボール。
「ここでスクイズやろ!」
またもフォアボール。ワンアウト満塁。雄一にも分る。絶体絶命の大ピンチ。
「うわあ。これ、俺やったら絶対俺んとこに飛んでくるなって思うわあ」
「俺も絶対思うわ」
「なんで初戦でこんなストマックが痛くなる試合なんや」
「ストマックってなんやねん?まあ、一発勝負やから。勝負事は何があるか分らんから」
固唾を飲んで試合を見守る二人。伸基の夏はこれからやろ、そう思いながら。
野球のことなどほとんど知らない雄一も真剣に試合を見つめる。
バッターが河本の球を打つ。ボテボテのサードゴロ。
「あ」
まさかのトンネル。ショートの選手がボールを捕るがどこにも投げられない。同点。さらにまたもワンアウト満塁のピンチが続く。続くバッターもサードゴロ。しかし、今度は打球を弾いてしまう。打球を拾ってサードベースを踏むサードの選手。その間に逆転のランナーがホームベースを踏む。サードの選手が続けてエラーをして逆転されてしまう。雄一もモッキーも声が出ない。続くバッターを河本が連続三振に切って取りようやく七回表が終わる。
「まさか負けるわけないやろ」
「まだ攻撃は三回残ってる。まだ分らん」
七回裏。八番から始まる攻撃。相手チームはピッチャーを交代する。簡単にツーアウトになるが、そこからヒット、盗塁、デッドボール、フォアボール。ツーアウト満塁で四番の伸基に打席が回る。最高の場面で最高のバッターが打席に立つ。スタンドからはものすごい歓声。たくさんの人の期待を背に伸基が打席に立つ。
(かましたれ!)
雄一は心からそう思った。
初球を見送ってストライク。二球目を打つがバックネットに飛び込むファール。ツーストライク。筋書きのないドラマ。十数秒後には結果が必ずある。ファミスタなら簡単にリセットボタンを押してやり直せる。しかし、これは現実の高校野球。打っても打てなくてもやり直しはない。バッターボックスから出て、ベンチを見て、二度素振りをしてからバッターボックスに入る伸基。
「俺は甲子園でホームランを打つ男やぞ」
出会った時の伸基の言葉が雄一の頭をよぎる。
「あ!」
結果はものすごくあっけないものだった。ピッチャーが振り向いて二塁へ牽制球を投げて二塁ランナーがアウトになった。審判のアウトのゼスチャーに二塁ランナーが何か言っている。伸基は全力で走ってベンチに戻り、全力で一塁の守備位置へ走っていった。
「あのランナー、さっきエラーした子や」
モッキーがグラウンドを見つめながら言った。
「え?そうなん」
「名前知らんから多分下級生の子やろ。もう逃げ出したいやろなあ」
「こんなん一生忘れられんやろ。悪夢やん」
「キツイやろなあ。でも、まだ分らん。まだ終わってないからな」
「サードの子のためにも逆転したれよ」
八回裏。先頭バッターで伸基が打席に入る。一点差で負けている場面のツーアウト満塁で自分の力の及ばないところで勝負が終わってしまった伸基。初球を打ち返す。痛烈な打球がピッチャーのグラブを弾いてピッチャーの後ろにボールが転がる。伸基が全力で一塁へ走り一塁ベースにヘッドスライディングをする。審判がセーフのジェスチャーをする。ホームランを打って淡々とダイヤモンドを一周した伸基が内野安打で、両手でガッツポーズをし、ベース上で吠える。反撃の狼煙だ。しかし、そのまま伸基のチームは点を取れず、1-2で敗れてしまった。
「嘘やん…」
マウンド上で両膝をつき、天を見上げながらガッツポーズをする相手チームのピッチャー。そしてそこに駆け寄る選手たち。まるで優勝したかのような喜びよう。
「野球は怖いな。強いチームが勝つわけではないんや」
「みんな、期待しとったからなあ。サードの子、かわいそうやなあ」
「そやなあ。だってスコアボード見てみ。うちの学校はヒット九本で相手は三本や。河本君はエラーなかったら完封やん。でもそれ言い出したらキリがないしなあ」
「伸基の奴、泣いてるんかなあ」
「どうやろ。あいつは泣かんやろなあ」
雄一とモッキーはこっそりと生徒たちの応援席に戻った。女生徒がたくさん泣いていて、大人の人もたくさん泣いていた。山下君も泣いていた。ロン毛を坊主頭にして、三年間、『バスガス爆発』と同じぐらい力を注いでいた伸基の夏が一日で終わった。現実の高校野球はテレビで見ていたものとは全く違うものだった。高校生の部活の一つである野球部。そこには陽の当たる者とそうでない者、異常な期待をかけられる者、一生忘れられないような思いをする者、いろんな特別がたくさんあるのだろう。それは自分には分からない、雄一はそう思った。
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