第18話
午後一時。最後のネタ合わせ。三人以外、誰もいない体育館裏。小さな声でセリフだけのやり取りを確認しあう。台本は全てそれぞれの頭の中に叩き込まれてある。セリフはスラスラと出てくる。誰一人表情を作らず、淡々と繰り返す。何度も。これがテレビのドラマならセリフが飛んでしまえばNGでやり直しだが、お笑いでやり直しはない。セリフが飛んでしまえば変な間が空き、空気が一瞬で変わってしまう。伸基がよく雄一に言っていた。
「野球で流れって言葉があるやん。それを説明する時、俺はいつもこういうんや。三人が集まって話をすると会話の流れが出来るやろ。そこにまた新しい二人が加わればそこでまた新しい会話の流れがそこから出来るやろ。野球の流れを読むのは難しいけど、会話の流れはそれなりに読めるやろ。流れを常に意識するんよ。ここでこう言ったら、こう返ってくる。それに対してこう返す。それを三つ、四つ先まで読んで喋るんよ。それが出来たら会話の流れはある程度支配できるもんやで」
あまり真面目なことを言わない伸基から学ぶものは多い。
体育館からドラムの音が聞こえてくる。午後のステージが始まったようだ。
「お前、一本だけやったらええぞ。今のうちにしゃがんで吸え。煙草」
「いや、ええわ」
「ええんか?俺が中学の時は、本番前はめっちゃ吸うてたぞ」
「大丈夫」
「まさか高校でも舞台に立つとはなあ」
モッキーが呟いた。
「俺もトリオでやるとは思ってもいなかったなあ」
伸基がモッキーに続いた。
「俺もまさか…ファファファファファー………ン」
「なんで回想シーンに入ってんねん」
両手をグーにして外側に開き、スローモーションで乙女のように駆け出す雄一。
「うふふ、摑まえれるもんなら摑まえてみなさいよー」
「あははは、こいつぅ。待てよぉ。おい、お前ものれ」
モッキーを促しながら伸基も両手を広げ小指を立てながらスローモーションで雄一を追いかける。その場でグルグル回る二人をモッキーはしばらく黙って見つめる。
「本木さん。お願いやからツッコんで」
「なるべく早めに」
「乙女チックな回想やなあ」
「ファファファファファーン…と言う訳なんですよ。刑事さん」
「誰が刑事さんや」
「この番組はお口の恋人」
雄一の声に伸基とモッキーが小声で叫ぶ。
「フェラチオ!」
「体にピース!」
「目つぶし!!」
「よし、いこ!」
「いくぞ!」
「よっしゃ!」
三人は颯爽と体育館の舞台裏へと向かった。
体育館の扉を開くと大音量でバンドの演奏とボーカルの歌声、そして一緒に盛り上がる生徒たちの歓声が三人を圧倒した。ものすごい盛り上がりである。
「えーと。うちの生徒はこんなに元気よかったっけ」
「うちの生徒と違う子も混ざっとるな。ええから、ええから。裏に控室みたいなとこがあるやろ。俺らはそっちに行くぞ」
「ヤバい。緊張してきた」
モッキーの搔き消されそうな声に雄一が即座に対応する。口パクで叫ぶフリをしながら耳に手を当てて聞こえないフリをする。
「いや、普通に聞こえてるし、口パクやから」
ボケてはいるが雄一の心臓は今にも口から飛び出してきそうなくらいドキドキしている。
(これが舞台に立つ前の気持ちか。すげえ、緊張する。逃げ出せるなら逃げ出したい。なんで俺はここにいる?これからこれだけの客を前に俺のネタを俺がやるのか?大丈夫か?ほんまに大丈夫なんか?)
そんな雄一の心境を察したのか。伸基がぼそりと呟く。
「さあ、ツーアウトランナー三塁」
伸基のセリフに反応し、雄一はその場でバッターが素振りをする仕草を見せる。
「大丈夫。覚えてる。あとはやるだけや」
「な、な、な、なにを、い、い、い、言ってるんや。き、き、き、君はあああああ。僕はあああ、緊張なんかしてないいいいいいい」
思い切り体中をカクカク震わせながら雄一が答える。そこにモッキーが勢いに乗った右手の甲を放ってきた。
「しっかりしてやあ!頼むで君ぃ!」
モッキーの一声に思わず雄一は驚く。モッキーのスイッチが入った。そのままモッキーはその場で自分の頬を何度も自分で張り倒し、変身した。
「アホになるぞ」
高速で頭の中をフル回転させながらアホになる。こんな世界は他に存在しない。
控室代わりのステージ横の体育用具室に入る。演奏中のバンドのステージを見ながら、生徒会の連中が盛り上がっている。次に演奏するのであろうバンドのメンバーらしき連中が楽器を弄りながら体をリズムよく揺らしている。
「『バスガス爆発』です」
「おーい、係の人。お笑いの人たち来たよ」
椅子に座ってギターを弾いていた人が生徒会に声をかける。
「あ、『バスガス爆発』さんですね。お待ちしてましたよ。三人揃ってますね。出番はこの次の次ですから。トリなんで期待してますよ!」
三人は無言のまま顎で頷く。無口モードに入る。
「お笑いの人って普段は喋らないってホンマなんやねえ」
ギターの人が声をかけてきた。
「お前ら、何年?三年ではないよな。俺、見たことないもん」
「二年です」
雄一が答える。
「へー、二年かあ。すごいな、お前ら」
「すごい?ですか?」
「俺らな、オリジナルでやってるんよ。作詞も作曲も自分らでやってるんよ。オリジナルの大変さはすげえ分るから。お前らもネタは自分らで考えてきたんやろ?」
「はい」
「十五分を三人だけでネタやるんやろ?」
「はい」
「やっぱすげえわ。お前ら。会場は俺らが暖めておくから。俺ら、『クラウディ』って名前やから。卒業したら東京で勝負するんや」
東京。花の都。
「マジですか?かっこいいですね。シャ乱Qみたいですね」
するとギターの人がその場で『上京物語』を弾き始めた。
「ラン、ララララランランランラン そんなメロディーを」
ギターの人の歌声が雄一の心に響いてくる。ギターとボーカルだけの「上京物語」。しかしどこまでも芸術的な演奏と歌声。
「So いつの日か東京で夢叶え 僕は君のことを迎えにゆく
So 離れない離さない今度こそ どこまでもついて来いと言えるだろう
心から」
思わず拍手する三人。めちゃくちゃ上手い。しかも生歌。これがライブと言うものか。
「お前らのトリオ名は?」
「『バスガス爆発』です!」
「ばすはす、ばすがつ。お前ら言いにくわ!名前変えろ!」
思わず顔が緩んでしまう三人。
「東京で待ってるで。後輩よ」
その時だった。
「お前ら!なに勝手なことしよんや!」
学年主任の山田が控室に血相を変えて怒鳴り込んできた。
「山田先生、どうされました?」
生徒会の一人が驚きながら対応する。
「西山!お前らの出場を俺は聞いてないぞ。お前らは出さん。ええか、こいつらを出したら許さんぞ」
「はあ?何言ってんすか?出さんも何も僕ら生徒会に許可貰ってますよ」
雄一が山田に言い返す。
「それが教師に対する口の利き方か!」
山田のビンタが雄一の顔面に飛ぶ。急な修羅場にその場にいる人間の視線が雄一と山田に集中する。
「これは校長命令でもある!お前、野球部の夏の大会の時、スタンドで舐めた態度とってたらしいな!野球の試合ではエール交換の時、立ちもせずに横向いとった奴が、舞台やるから自分は見てくださいって言うか!お前、自分がどれだけ矛盾しとるか分っとるか!」
その瞬間、伸基とモッキーが雄一の体をがっちりと止めた。止められなかったら雄一は山田を殴っていた。
「なんも知らん奴がえらそに言うな!ぼけえ!」
「新名に本木。そいつを止めんでええぞ。殴ってええぞ。殴った瞬間、お前はクビじゃ。警察も呼んでやる。俺は教師じゃ。教師と生徒を一緒にすなよ!アホがあ!」
雄一はものすごい形相で山田を睨み続けた。両手に力を入れるが、伸基とモッキーは頑なに手を離さない。
「ええか、生徒会。こいつら出したら全員責任取らせるからな。わしはいつでも会場におるからな。下手な動きしたらすぐに止める。分かったな。それから新名。お前は野球部やろ。野球部は生徒のリーダーとしての振る舞いをしろと校長は普段からおっしゃっているだろう。その辺をちゃんと考えて行動するようにしろ」
そう言って山田は控室を出ていった。
暫くの間、沈黙が続いた。
「落ち着け、雄一」
雄一の体をガッチリとガードしていた伸基が言った。
「んなこと言うて落ち着いてられるか!」
「これから舞台で演奏する先輩のことも考えろ。『クラウディ』さんのことも考えろ」
「…分った。大丈夫。俺、大丈夫やから」
「大丈夫やな。ほな離すぞ。お前も離してええぞ」
そう言って伸基がモッキーを促し、雄一から手を放す。そのやり取りを見ていた「クラウディ」のメンバーたち。
「おい、お前ら。ちょい詳しく話聞かせや」
「クラウディ」のボーカルの人が雄一に言ってきた。「クラウディ」のメンバーである四人の先輩たちに雄一は夏の大会で校長とケンカになった件を詳しく説明した。
「なんやそれ?それになんで野球部が生徒のリーダーなん。お前、そんなこと思ってる?」
「僕はそんなこと思ったことないです」
伸基が先輩に答える。
「あのバカ校長。自分が野球好きなだけやん。他の部活を舐めてるなあ」
「お前ら、悔しいよなあ。よし、任せとけ」
そう言って、「クラウディ」のメンバーが集まり、何か打ち合わせを始める。そして前のバンドの演奏が終わり、歓声を背に控室に戻ってくる。入れ替わりでステージに出ていこうとする「クラウディ」のメンバーたち。ギターの人がステージに出ていく前に雄一に言った。
「後輩たちよ。俺らのステージを最後まで見といてくれ」
そう言ってギターの人はステージに出ていった。
「せっかくやし、『クラウディ』さんのステージを最前列で見るか?」
「せやなあ。モッキーどうする?」
「残念やけどしゃーないわ。『クラウディ』さん見ていこう」
「舞台袖で見てもええやろ?生徒会」
舞台袖の黒いカーテンの下で「クラウディ」の演奏を見る。ここは特等席で、あと一歩前に出ればお客さんから顔が見えてしまう。視線を送ると、ギターの人がこちらに気付き、訳ありな笑みを投げかけてくる。客席の大歓声がドラムの一打で静かになる。ドラムの人が一心不乱にドラムを叩く。目の前で初めて見るドラム演奏。
「おい、両手両足が全く違うリズムで動いてるぞ」
「て言うか、スティックで十か所ぐらい叩いてる。なにあれ!両足!すげえ!」
低音に響くベース、空間を切り裂くギター。そしてそれらを従える圧倒的なボーカル。
(あ、大前が言ってた。この人の声はメロディに乗っている)
日本語をまるで洋楽のように歌うボーカル。この人たちはすごい。これが高校生の演奏なのか?雄一はそう思った。大観衆が一体になる。雄一はポケットから漫画部の女子に描いてもらった似顔絵を取り出し見つめた。伸基の野球もすごかったが、文科系の部活のすごさを痛感した。自分の好きなものを見つけ、それに打ち込んだ人間のなんとすごいことか。うちの学校の生徒だけで国が作れる、そのぐらいすごい奴、熱い奴らばかりだ。
四曲のオリジナルソングを歌い終わった「クラウディ」が大歓声に包まれる。そしてボーカルの人がマイクで話し始めた。
「今日はみんなありがとう!」
大歓声。
「俺たち、『クラウディ』は…来年、東京で勝負してきます!」
大歓声。
「CD買うぞ!」
「応援してる!」
「お前らなら売れる!」
たくさんの叫び声が聞こえる。
「ありがとう!自分らの音楽を続けていきます!みんな!これからもよろしく!そして、ここで残念なお知らせがあります。この後予定されていたお笑いの、なんやったっけ」
「バスガス爆発!」
誰かが叫んだ。
「そう!ばすばす、ばすばふ、おい!言いづらいは!名前変えろ!」
会場が笑いに包まれる。
「そいつらのライブは大人の事情で中止になりました」
「えー!」
会場の反応に雄一たちはお互いに顔を見合わせて驚いた。
「大人の事情ってなんやー!」
会場の空気が変わるのが分る。
「そいつらな、準備もちゃんとして、もう裏にスタンバイもしてるんよ。でもな、どうしよ?大人の圧力かかってるからなあ」
「ええんちゃう?ほな、放送事故にならんようにダメなところは俺が『ピー』って言うてやるわ」
ギターの人がマイクを手にしてそう言った。
「『ピー』入るんやな。ほな、大丈夫やろ。あのな、校長の竹内先生の逆鱗に触れたらしいそうです。なんか、お笑いのメンバーの一人が野球部の夏の大会に応援に行かされたらしいんです。今年の夏、野球部すごかったよね!」
「すごかった!」
「俺らも野球好きやし、バンドはもっと好きやしね。野球部の連中は甲子園惜しかったよな!あいつらもすごい!頭も坊主にして休みなしですげえ練習してるんわ分るよね」
「分る!」
「俺らも、今、たくさんのお客さんが俺らの演奏を見てくれてすげえ嬉しいです。昔からやってきたけどお客さんが一人だけの時もあったし、誰もいないって時もあった。俺たちの音楽が好きって人に聞いてもらえればって思ってやってきたし、これからもいろんな人に聴いてもらいたい。そんでな、そのお笑いの子がな、野球に興味ないのに無理やり球場に連れていかれて、相手のチームとのエール交換の時に座って横を向いてただけで校長に怒られたんやって」
「なにそれえ!」
「こんなん子供でも分かるやん。好きでないものを押し付けられてもそんなん無理やん。そんなん怒られるようなことでないやん?それが理由でライブ出場禁止だそうです」
「えー!」
「しかも!これは俺も聞いてたんやけど、山田先生のありがたいお言葉です。よく聞いてな。『校長先生も野球部は生徒のリーダーとして振舞いなさいとおっしゃっているだろう』だそうです。え?野球部って俺らのリーダーなん?」
「それはちゃうやろ!」
「校長バカじゃねの!」
「ひっでえ!」
その瞬間、ギターの人が言った。
「ピー」
「いや、今?」
会場は再び笑いに包まれ、そして異様な空気を作り出した。誰かが叫んだ。
「竹内やめろ!」
あっという間に体育館が「竹内やめろ」コールで埋め尽くされる。
「竹内!やめろ!竹内!やめろ!」
山田が怒鳴りながら生徒会に何か叫び、そしてこの騒ぎを収めようと客席の生徒たちを恫喝するが十代の熱い青春の叫びなど抑えることが出来ない。延々と続く「竹内やめろ」コール。生徒会の連中がステージに出ていき「クラウディ」を引っ込めようとする。
「俺らはネタを見せてもらった。すげえ、面白かった!あいつらすげえから!みんな一年後にこのステージで見せてもらい!みんなありがとう!『クラウディ』!撤収!」
汗だらけで戻ってくる「クラウディ」のメンバーたちに頭を下げる三人。
「俺ら、停学かあ?退学かあ?」
「ピー入れたから大丈夫やろ」
「あ、そやなあ」
「お前らは来年が出番や。あ、それから野球部の子。お前も二年やろ?頑張って甲子園行けよ」
「はい!行きます!今日はありがとうございました!」
伸基の声に雄一とモッキーは再び頭を下げた。
「ありがとうございました!」
三人はそう言って控室を後にした。
誰も何も言わず、黙って歩いた。体育館のあの異様な雰囲気など微塵も感じない廊下を歩く。文化祭も終わりに近づき、祭りが終わる時特有のしょんぼりとした雰囲気になる。明日からこの華やかな景色もいつもと変わらない日常の学校の景色に変わるのだろう。みんなが頑張って作った正門の大きなアーチも各教室で各部が全力で作り出した自分たちのとっておきも全部片付けられる。
どこかの小学生三人組の男の子が雄一に声を掛けてきた。
「兄ちゃん。こんなに楽しいのに、なんか落ち込んでんなあ」
「アホかあ。誰も落ち込んでないわ。お前ら、かき氷おごったるわ!」
「え!マジで!」
「ほな、俺、練習あるから」
伸基がそう言って走っていった。
「モッキーは練習ないん?」
子供たちにかき氷を買い与えながら雄一は尋ねた。
「え、今日は休みや」
「ほな、モッキーはイチゴ味」
「ほなって。俺は小学生か」
「俺んち、行こうか?」
「え、閉会式とかあるんちゃうん」
「もうええやろ。また山田にど突かれるだけやろ。めんどくさいだけやで」
「そやなあ。伸基のやつ、大丈夫かなあ」
「それは考えんとこう。どうせ後で来るやろ」
「やな。『プライムゴール』でもやろう」
「お前、『プライムゴール』好きやなあ」
「一、二、サントス!一、二、サントス!」
すれ違う一般生徒の会話が聞こえた。
「お前、さっき体育館おった?」
「いや、おらん。なんかあったん?」
「すごかったぞ。なんかのドラマみたいやった」
バスガス爆発の二年の文化祭が終わった。伸基は野球部の監督にめっちゃ怒られた。
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