第16話
練習の終わった野球部のグラウンドの片隅。夕暮れ時だが明るい。八月の夕方六時などまだまだくそ暑い。雄一とモッキーの二人で伸基を待っていると制服に着替えた伸基が六人の女生徒と三人の坊主頭の男子生徒と一緒に部室から出てきた。
「こいつらが暇人の西山と本木な」
「あ!野球部で四番を打ってる新名さんですか?すいません。サインください。バントのサインを」
雄一の言葉に伸基の後ろにいる女生徒の三人と男子生徒が頭を下げる。
「そんで、この子達が前に言ってた後輩の女子マネ三人。あと後輩の野球部員の子達な。それとあとの三人が同じ二年の女子マネの子な」
「よろしくお願いします!」
礼儀正しい坊主頭三人が丁寧に頭を下げる。
「こいつがいつも言うてるんやけど野球部のマネージャーはブスでヤリマンばかりってホンマなん?」
「余計なボケはええから。ほな始めるから。そこにみんな座って」
野球部の女子マネたちがキラキラとした目で自分たちを見ている。しかし女と男では笑いのツボもかなり違う。違う意味で雄一は伸基の後輩の男子部員たちを意識した。モッキーもその辺は分かっていた。
「ほな、いきまーす」
伸基の声で三人が揃って並ぶ。そのまま伸基が続けた。
「ショートコント。北風と太陽」
掴みの『バスガス爆発』の紹介はなしだ。
「おい、太陽よ。あそこに旅人がいるだろう」
「はい、いますねえ。北風さん」
「どちらがあの旅人のコートを早く脱がすことが出来るか勝負だ」
「いいですよ、北風さん」
「じゃあまず俺から。いくぞ!ふうーーーーーーー!」(旅人に息を吹きかける)
旅人「くさっ!」(北風を思い切り突き飛ばし咳き込む。)
「えぇ…」(太陽と目を一度合わせる。手の平に息を吹きかけて匂いをチェックする)
見ていた女子マネたちが一斉に笑う。後輩の部員たちも笑っている。しかし同学年の三人の女子マネだけは全く笑わずに冷めた目で見ていた。
(なんで笑わんのや。くそ!この女たちは俺の笑いが分かってない)
雄一は心の中で思った。そのまま五本のショートコントと五分ほどのコントを続けた。反応は全く同じだった。ネタでボケるたびに後輩たちは全員が笑っている。爆笑している。しかし同級生の女子マネだけは一度も笑わない。自分が自信を持って考え、演じている計算した笑いに全く反応されない。雄一は嫌な空気を感じた。コントを途中で止めてこの場を逃げ出したくなった。全く笑わない女子マネの視線にとても恐怖を感じた。恥ずかしい。笑え。俺は面白い。こいつらが笑いを分かってないだけだ。とっておきの「イジワル逸見さん」など後輩たちはめちゃくちゃ笑っている。
「何を作っているんでしょうか!」
(おにぎりを作るジェスチャー)
ピンポーン!
「おにぎり!」
ブブー!
「残念!不正解!映像続けます!何を作っているんでしょうか!」
(おにぎりを弁当に詰め、続けておかずを弁当に入れるジェスチャー)
ピンポーン!
「お弁当!」
ブブー!
「残念!もっと考えて!映像続けます!何を作っているんでしょうか!」
「おかしいなあ、ひっかけか?」
(そのまま弁当を持ち、家の鍵をかけ、電車に乗り込み吊革に掴まりながら揺れる。歩き出し片手でタイムカードを差し込むジェスチャー)
「なんや?これ全然分らん」
(釘を口に咥え、トンカチで釘を打ち込むジェスチャー)
ピンポーン!
「はい!本木さん!ここまで来たら分るでしょう!どうぞ!」
「家!」
ブブー!
「しゅうりょーーー!!ダメだなあ、本木さん。サービス問題なのになあ!という訳で正解は『預貯金』でした」
「分るかーーーーーーーーー!」
自分のジェスチャーが悪いのか?伸基もモッキーも台本通りに声も出てる。笑わない同級生の視線がとにかく鋭く、もう彼女たちの目を直視することが雄一には出来ない。自分はすべっているのか?顔から火が出そうになる。自分の存在に耐えられないほどの羞恥。それでもこの場から全てを放り投げて逃げ出すことも許されない。自分が今、どれほど晒し者になっているか。それでも台本通りにネタを普通に続ける伸基とモッキー。この二人は気付いているのか?
「新名さん。すごく面白かったです」
坊主頭の後輩たちや女子マネが尊敬の眼差しで『バスガス爆発』の三人に拍手を送ってくる。感想を聞いている伸基に背を向ける。
「先行ってるから」
雄一の心の中を見透かしたかのように伸基が不敵な笑みを見せる。
「ん?どうしたん?」
モッキーの呼びかけに返事もせずに雄一はその場から逃げ出すように走り去った。
「ええから、ほっとけ」
雄一の後を追いかけようとしたモッキーを伸基が止める。
雄一は何本もキャスターを吸い続けた。ものすごい恐怖を感じながら。先ほどの同級生の女子マネたちの冷めた視線がいつまでも心の中で雄一の心を嘲り笑う。初めて味わう感情。学校の中で意図的に笑いを取りに行ったことは今まで一度もない。クラスメイトで仲のいい大前の前でも自分の「ネタのアイデア」を話して意見を聞くことはあっても、自信を持って会心のボケを言ったことはなかった。伸基とモッキーの前では普通に言えていたことも。自分を知らない電車の中で会った、今後は会うことも無いであろう、ましてや油断している人を相手にするのとはわけが違う。改めて、平井や大西のすごさが分る。学校ですべることは「西山は面白くない」と言うレッテルを張られることを意味する。入学式での「ボケ」は勇気を振り絞った、一世一代のことだった。何とでも後から言い訳が出来るように保険をかけていた。いろんな思いが頭の中を駆け巡った。
「どうや。すべった感想は」
伸基がモッキーと二人で雄一の部屋に入ってきて開口一番に言った。
「俺…、おもろないんかなあ」
「なんでそんなに落ち込んでん。すごいウケてたやん」
モッキーが不思議そうに問いかける。
「同級生の三人。全然笑ってなかった。伸基の後輩たちもどうせ愛想笑いやろ」
「そこ?確かに同級生の女たちは笑ろてなかったなあ。それでも伸基の後輩たちは素で笑ろてたで」
「確かに。あの三人はクスリとも笑わんかったなあ。雄一はそこで重たい空気を感じた。そうやろ?やりながらめっちゃ恥ずかしかったんちゃう?」
「…怖かった。恥ずかしかった。空気が明らかに重たかった…」
「これが笑いの空気や。覚えとけ」
伸基の言葉に雄一は何も言い返せない。
「たった数人の前でやって笑ってもらえんでギブアップか?それとも笑わない奴が悪いんか?お前のネタを理解できない客のレベルが低いんか?」
「もうええ!やめえ!そんなこと思ってへん!」
「いいや、お前は思ってる。そんなん言い訳でしかないぞ。これはお前が面白いとか面白くないとかそういう話ではないぞ」
「どういう意味?」
「今日のネタな、あれ、全員爆笑してたぞ」
「だから三人、笑ってなかったやん」
「あの三人な。やる前にあらかじめ俺が全部ネタをバラしてたから。ボケも落ちも。最初にネタを聞かせた時はめっちゃ笑ってたわ。そんでな、俺は頼むから実際にやる時に絶対に笑わんといてくれとお願いしといた」
伸基の種明かしに雄一は心が奪われる。
「お前がこれからもお笑いをやっていくなら。今日の空気を知っておいて欲しかったんじゃ。すべってもええんや。すべらない芸人なんて一握りや。誰一人として笑わない空気の中でも最後までやりきるのがプロ。打率十割の選手がおるか?打率十割がダウンタウンやろが。お前が目標にしてるのはそういう人なんやぞ。狙った笑いが取れなくても自分に自信を持て。お前はおもろい。これから文化祭で何百人の客の前でやる奴がたった三人の冷たい視線で心が折れるようじゃお前には無理や。なあ、モッキー」
「あの時のことか」
モッキーが懐かしそうに言った。
「お前ら…」
「モッキー、こいつに教えたって。俺たちの初舞台の時のことを」
「俺らな、中学の初舞台の時にな、やってる最中に誰か知らんけど一人に『おもんないぞ!金返せ!』ってヤジられたんよ。あの一言はキツかったなあ。一瞬で空気変わったもんなあ」
モッキーの言葉に伸基が懐かしそうに答えた。
「あの一言なあ。当時はめっちゃ頭に来たし、見つけ出してど突き回したろうって思ったなあ。けどあの一言から学んだことも事実や。笑いは空気に左右される。確実に。どんな空気でもとにかくやる。すべってもそれを笑いに変える。お笑い評論家には誰でもなれる」
お笑い評論家には誰でもなれる。
この言葉に雄一は心を打たれた。今のままでは自分はお笑い評論家だ。どんな空気でもやりきることの難しさ。大事さ。
「ネタはウケてたんやな?」
雄一は少し恥ずかしそうに伸基に尋ねた。
「文化祭はこれでいく。自信を持て」
「アホになればええんや。アホに」
伸基とモッキーの言葉が何よりも雄一に自信を持たせた。
二人がいつものように帰る時、モッキーがこっそりと雄一に言ってきた。
「あいつなあ、夏の大会の決勝で全打席三振したやん。それから町で知らんおっさんとかから『お前のせいで甲子園行けんかったや!下手くそが!』って言われとんねん。野球のこととか何も分かってないおっさんがあいつにほざくんや。評論家には誰でもなれるって、あいつの本音やと思うで」
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