第3話 大名児

 笑みの純度はともかく、初夜でさえ、奪われていく時以外には漏らす事を耐えた声を上げた。橡姫とちひめの喉元で、息を詰め、押し殺し、り潰されてきた鳶は鳴き狂い、蝉時雨のように浴びせ聞かせた。


 細流せせらぎは、滝川を落ち、水嵩を増して氾濫し、大海へと辿り着く間際、橡姫はかいを水底に突き立てる様に、志貴皇子の背中に爪を食い込ませて引っ掻いた。


 橡姫は、無我夢中の事とはいえ、志貴皇子に傷をつけた事を酷く恐縮していた。

 愛しい男の背に腕を巻き付けた事も、初めての事だった。橡姫は、志貴皇子に、そうして欲しいと請われても、指先から想いが噴出するのを警戒して、今日まで出来ない程、自分の心に蓋をしてきたのだ。


「私は貴女と別れないよ」


 志貴皇子は、自分の腕を枕にする橡姫が強張るのを感じた。しばらくは無言であったが、やがて絞り出す様に

「それは…いけません」

 と、か細い声が届く。


「何故? 私は、、貴方を預かったのだよ。諸人もろひとに返す必要がどこにある?」


「…でも、それでは、御正室様が…」


「私はね。掴む枝を間違えたくないんだ」


 真顔になった志貴皇子は、厳しい口調でそう言うと、これ以上、橡姫がいらない言葉を口走らぬよう、鳴いてもらう事にした。


 ❖◇❖◇❖


「わが父は、近江朝廷に命を捧げました。私も、それに従い近江朝廷に連なる貴方様ならと、仕えて参りました。しかし、娘は今、山吹の花精に魅入られております」


 諸人は、このまま家扶かふとして志貴皇子に仕え続ければ、橡姫が、恋の一つも知らず、子を持つ事もなく老婆になってしまう事を嘆いた。


『では、どうするか?』という事になるが、今後、どう足掻いても生活が困窮すれば、橡姫をむ無い場所で働かせるしかない。という事だった。

 ちなみに、已む無い場所というのは、不埒な場所へ身を堕とすという事ではなく、飛鳥朝廷の本山である藤原宮や、かつて壬申の乱で大海人皇子の陣にあり、今や重鎮となった者達の邸で、橡姫を下女として働かせるという事である。但し、下女として入った邸で、手がついてしまう可能性は、ゼロでは無い。


「そうか…しかし、私がそう思う様に、下手に官位のある者の娘を下女に雇うのは、抵抗があるだろう。娘御の働き口は、宮廷か、でなくば、紀の邸しかあるまい。だが、宮廷ならばともかく、紀に預けるのは、下女としてでも抵抗があろう? 我が邸で雇うには…すまぬが、それはそれで障りになる」


 橡姫を志貴皇子邸で雇う障りとは、諸人が近江朝廷軍の将の子で、志貴皇子が、葛城天皇の子である事である。近江朝廷に関わる人間が揃えば、火の無い所でも煙がたつ。諸人の子である橡姫まで雇ったとなれば、飛鳥朝廷の転覆を狙っていると探られても、致し方ない状況になるのだ。


 そこで、諸人は、志貴皇子に橡姫を預けたい。と申し出た。近江朝廷の落とし子に与えていれば、それが禊になるというものだった。


「妻に…などとは申しません。ただ一夜だけでも可愛がってやって下さいませ。貴方様から一度なりとも情を受けさえすれば、父への弁解がたつというものです」


 これは賭けであった。

 父として、娘を一夜妻にするつもりなど毛頭ない。

『女の幸せは、どれだけ立派な男に長く愛されるか』にかかっていた。妻にはなれなくても、志貴皇子の子供を孕む事はできる。志貴皇子はやもめで、嫡子もいない。親の欲目だけでなく、橡姫程の美女はいない。と、断言でき、これ程、心映え優しき乙女もおらず、志貴皇子の寵愛は永遠に続くと思った。


 この様な危ない橋を渡らなくとも、諸人は紀氏の者である。同族の若者の元にであれば、橡姫を妻として娶せる事は可能であったし、それが自然であった。しかし、飛鳥朝廷への恨みは忘れる事ができても、紀氏の者だけは、天地がひっくり返っても、怨念おんねんを蕩かす事は不可能だった。それだけは、いくら橡姫の為だとしても、承服しかねた。


(自己満足の世界に籠るなら、子供などつくるべきで無い事ぐらい解りそうなものだ)

 志貴皇子は、諸人に気づかれぬ様に、鼻で笑った。


「では、こうしよう。直ぐにというわけにはいかないが、其方が、従五位の位階に昇れる様、手を回そう。代わりに娘御を私に預ける。と、言うのはどうだ? 其方が地下人のままであるから、紀氏の長者に搾取されるのであろう。昇殿が許されれば、其方には季碌以外に、位禄と位田が給われる。それならば、搾取される心配もあるまい」


 諸人は、志貴皇子の提案に、唾をゴクリと飲み込んだ。自分が殿上人になるなど、欠片も考えた事も無かった。否、そうなって見返したいという思いはあったが、それは、飛鳥朝廷を近江朝廷にひっくり返してそうなりたい。という事だった。


 諸人の目は、爛爛らんらんと輝いた。


「では、娘をよろしくお願いいたします」


 志貴皇子は、諸人の覚悟を聞き、橡姫を雑舎に住まわせる事を決めた。


(一瞥もせぬ内から初夜を決めるとは…)


 そうする事が娘の為だと固く信じ込んでいる諸人が滑稽であった。諸人の自己満足に呆れながらも約定を固めたのは、志貴皇子にしてみれば、悪い取引では無かったからだ。四品を賜った後は、女を抱いておらず、そして、手を回す事は約束したが、いつまでにとも決めていなかった。


 

 約定の内容は、『諸人を殿上人にする事』。

 志貴皇子への見返りは『橡姫』。

 但し、所有を放棄する場合、橡姫を他所へ払い下げる事はせず、諸人に返す事。橡姫が孕んだ場合、その子供の戸籍は諸人に入れる。というものだった。


 橡姫の子供の戸籍について、諸人は不承不承という風であったが、諸人が貰う事になる俸給を考えれば、それも致し方無いという事で話が纏まり、その日を迎えた。


 初めて対面した橡姫は緊張していたが、これから男女の仲になる相手を目の前にしたのだから、それも当然だと思った。


(ほう…これは…)

 諸人から、『天女もかくや』と聞いていたが、その様な台詞は、どこの親や兄弟の口からも出る定型句であったので、さして期待はしていなかった。

 それまで、どの様な女性が好みであるかなど、考えた事も無かったが、橡姫の容姿や肢体を前にして、まさにこれである。と、思った。


 彼女は、つきに酒を注ぎながら、桃の花の様に可憐な笑みを浮かべていた。

 興味深く自分の話を聞く姿に、緊張がほぐれたのだと見て取り、諸人を舎から出し、父の背中を見送る橡姫を引き寄せた。

 志貴皇子は、当然、橡姫も納得ずくの事だと思っていた。

 驚愕の表情を浮かべた橡姫は、するりと鹿の様に逃げようとしたが、ここに至って取りやめる訳にもいかず、因果の一つも含めていない諸人を恨んだ。


 橡姫は、父の主人である志貴皇子を拒絶するのに、橡姫の側から志貴皇子の皮膚に触る事は出来なかった。

 物を投げるなどもってのほか。叩く、蹴る、引っ掻く、突き飛ばす、かじる、抵抗するあらゆる手段が禁じられていれば、逃げるより他は無かった。土間へ降り、戸口まで逃げたものの、そこまでだった。


 貫頭衣かんぬきいの後ろ襟を掴み、戸から橡姫を引き剥がそうと力を込めれば、それほど強く引っ張ったつもり無かったにも関わらず、引き千切ってしまった。

 ままよとばかりに剥いてしまうと、橡姫は、抵抗らしい抵抗もせず、成すがままであったので、観念したものだと思い、志貴皇子は、彼女の身体の見事さに没頭し、ろくに彼女の表情を見ていなかった。


 事を終えた後になってようやく、舎外から入り込む篝火に照らされた彼女の顔が見えたのだが、

(何故、もっと表情を読んでやらなかったのか?)

 と、悔やんだ。

 橡姫は、呆然自失という風に昏い瞳を虚空に向けていた。


 とてもじゃないが、自分の身支度などさせられず、逃げ出す様に舎を出ると、諸人が、ひざまずいていた。彼は、だらしない恰好の志貴皇子の袴やほうを正し、長紐を締めながら、

「約定、お違えなきよう、お願い申し上げます」

 と、念押しした。

 志貴皇子は、それについては直ちに「承った」と返答した。


 舎から邸宅へ戻る道すがら、橡姫に何も教えていなかった事を責めると、諸人は、とぼけた口調で、

「おや。そうでしたか? …お気に召さなかったのであれば、通う気にはなりますまい。娘は荒ら屋に帰しましょうか?」

 と、問い返された。

 そういう狙いであったのだ。


“修羅の宝珠”

 そんな言葉が、頭を過った。


 志貴皇子が、諸人の申し出を断り、これからも橡姫の元に通う旨を伝えると、諸人は、何の感情もなく「そうですか」と言った。


 ❖◇❖◇❖


“修羅の宝珠”


 それは、阿修羅王の娘・舎脂しゃしに相当する。

 舎脂を帝釈天に奪われた阿修羅王は、掌中の珠を凌辱された怒りから帝釈天に闘いを挑んだが、舎脂は帝釈天を愛していた。

かけがえの無いものを穢された阿修羅王は、憤懣ふんまん遣る方無く、舎脂自身が本当に望むものを見誤っていた。

実父と愛する夫との戦闘は、舎脂を苦しめ、千々に乱し、彼女自身が本当に珠であったなら、粉々に粉砕していた事だろう。



 志貴皇子が、初めてそれを持つ修羅を見たのは、異母姉の鸕野讚良うののさらら皇后だった。


 その頃の志貴皇子は、草壁くさかべ皇子の子供達の遊び相手をしていた。

 子供達の父の草壁皇子は、それが役目なのだから、当然であるにも関わらず、子供達と遊ぶ志貴皇子を優しく労い、志貴皇子は、穏やかで菩薩の様な彼を、真の兄の様に慕っていた。

 子供達の祖母の鸕野讚良皇后も、夫を支える激務の傍ら、時を見つけては草壁皇子の元を訪ね、吾子の身体を心配し、孫達を慈しんでいた。その姿は、“慈母”というに相応しかった。


 全てが変わったのは、大海人天皇が崩御してからだった。

 彼女は、皇太子である己の息子を天皇に即位させる為に、母から修羅に堕ち、甥の首を獲った。


 その昔、両親の希望に沿い、天皇として即位する事を吉野で誓った草壁皇子だったが、長じていくにつれ、その地位に就く事を重荷に感じ、いつの頃からか、自分にはその器量は無く、こんな事は、口が裂けても鸕野讚良皇后に言える事では無かったが、

大津おおつこそ、即位するに相応しいのではないか?)

と、考えるようになっていた。


大津皇子の謀反を密告したのは、志貴皇子の異母兄の川島かわしま皇子だった。大津皇子と川島皇子は親友であったが、川島皇子は、己の命を惜しみ、友を売った。

 しかし、彼は、釈迦に倣って蜘蛛の糸を垂らしてもいた。鸕野讚良皇后へ密告する前に、草壁皇子にもその旨を伝えていたのだ。


 直接、草壁皇子が大津皇子に知らせるわけにはいかなかったが、彼は、大津皇子の邸に居る筈の、大津皇子の侍女で恋人でもある石川大名児おほなこに歌を送った。


 ┌───────────────────────┐

 │大名児 彼方をちかた野辺に刈るかやつかあいだもわれ忘れめや│

 └───────────────────────┘


通釈すれば『あなたを少しも忘れない』というものである。しかし、草壁皇子は、己の名である“草”と、刀の“柄”を忍ばせて『草壁皇子を殺害を目論む刀』を止めて欲しい願いを込めた。


もし、皇后が、草壁皇子の願いを知っていたならば、この悲劇は起こらなかったかもしれない。


しかし、大津皇子は自邸で自害し、その事を知った後に浮かべた絶望の表情は、今でも志貴皇子の脳裏にへばりつき、草壁皇子が昏い目を永遠に閉じて、気の狂わんばかりに慟哭していた皇后の咆哮とともに、こそげ落ちる事は無い。


 ❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖



 後書


橡姫の現状を『山吹の花精に魅入られております』

としたのは、

『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき』

から、考えました。


時代は違いますが、“山吹=実が無い”って思考は、あったんじゃないかなぁ。と。

この後書を書くにあたり、筆者は、『なきぞ哀しき』って覚えてたんですが、間違えていた事が判明。

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