【2】
逆光で顔を見分けるのに数秒の時間を要した。
「…さん。お客さん!終点ですよ、起きてくださいよ!」
バスの心地よい揺れと、暖房の効いた車内、おまけに午前の日射しのせいで、俺はここ最近の寝不足もあいまって、深く眠りこけていたことに気づく。困り果てたように俺の体を乱暴に揺すっていた運転手は、やっと目を開けた俺を見ると大袈裟に溜め息を吐いた。
「もう他のお客さんは降りちゃったよ!時間が押してんだからとっとと降りてくれないと次のお客さん乗せられないでしょ!」
まだ寝ぼけ眼の俺を見かねた運転手に、腕を掴まれて強引に立ち上がらせられた。
小さな町ながらも昔にはなかったターミナルらしい所に降ろされて、俺は一瞬自分がどこに向かっているのか判らなくなった。さっきまで俺を乗せていたバスは、バス停に並んでいた数人の客を乗せ、元来た道を走っていった。俺以外にそのバスターミナルに取り残されているのは二、三人で、いずれも田舎の方に向かうバスを待っている人たちだった。
『ようこそ鳴海町へ』という看板が目に入った。無駄にでかくて、観光する場所なんて山ぐらいしかないこの町には必要ないだろう、と子供ながらに思っていた看板だった。俺はハッとしてその看板に近づいた。よく見ると字は薄っすらと滲んでいて、所々がへこんでいる。今となっては古いデザインのそれに、俺は親近感を覚えた。改めて周辺を見回しても、大分変わったもののやはりあの頃の面影は確かに残っている。
「…帰ってきたんだ」
俺は白い息を吐きながら呟いた。
「え、廃止になったんですか?」
その老人は、いきなり声を上げた俺を、耳を押さえながら煩そうに見据えた。
「『佐久間ランド行き』のことだろう?確か十年も前にその路線は廃止になったよ」
それだけ言うと、老人は寒そうに肩を縮めて手に持っていたスポーツ新聞に目を戻した。
俺はその場に立ち竦んでしまった。確かに考えれば判ることだ。今日、俺の目的地である『佐久間ランド』は十年前、俺が東京に移り住んだ直後に廃園になると決まっていた。だから駅からその場所に行くバスが廃止になってもおかしくはない。更に山奥の町外れにあったので、ただでさえ過疎化が進んでいるこの地域にはそのバスの必要性がなかったのだろう。
気づくと今まで隣にいた老人は、十数分遅れでやってきたバスに乗り込んでいた。そのバスは、辺りに段々畑しか見当たらない見通しのよい道路を進んで、急な坂に差し掛かり消えていった。そのうち俺の視聴覚は、小さくなるエンジン音と、冬なのに秋晴れのような青い空と、懐かしいこの風景で埋め尽くされていった。
俺は今朝、彼女の
「拓也が死んだんだ」
始発電車が疎らに動き出した時間帯、まあだ暗い空にはちらほら星が霞んで見えていた。朝よりは静かな夕方みたいだった。最寄り駅から徒歩十五分のところにある咲紀のアパートまで、俺は冷え切った体を温めるため全力で疾走した。約八分で到着した俺は、切らした息のままインターホンを立て続けに三回鳴らした。
最初、こんな時間帯に押しかけた俺を見た咲きは、怒りをあらわにして口を開きかけたが、それを遮るようにしてそのことを告げた。今まで咲紀に拓也のことを話したことはない。彼女だけでなく、この地に越してきてからは誰にも言ったことはなかった。俺はアイツのことを自分の中にだけ閉じ込めておいたのだ。
「…で、あんたはそのタイムカプセルだっけ?を探しに行くためにわざわざバイトを休んで、なおかつこんな朝っぱらから私に伝えに来たんだ?」
一通り話し終えた俺に、咲紀は眠そうにあくびをしながら答えた。
「…そうだ」
しみじみとゆっくり頷いた俺に、咲紀は殆ど寝ている様子で俺の肩を大袈裟にバシバシと叩いた。
「わかった、わかった。じゃ見つけた頃に迎えに行ってあげるから気をつけて行ってらっしゃい」
幾度目かのあくびをしながらそれだけ言うと、咲紀は腰掛けていたベッドに突っ伏してしまった。
「……。」
その後俺は、咲紀の部屋に鍵を掛けてポストの中に落としておいた。駅に向かう俺の足取りは遅い。夕方よりも暗く夜よりは明るい空に、一層濃い白い靄が口から出て広がっていった。
続く
Tender 宇宙音 @tsurusawa22
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