5:幻覚

 隣室から聞こえた銃声と共に、大根田の背に冷たい物が走った。

 何かが足元から、凄まじい勢いで這い上がってくる――そして、それが、それらが、体に入り込んでくる! 皮膚に当てた歯ブラシの毛束が、そのまま皮膚に潜り込んでくるような奇妙で不快な感触。


「な、なんだこりゃぁ!?」

 佐希子が涙目で叫び、間宮と麗子は背中合わせになって銃を構えた。

『全員、しゃがんで!』

『私達の足元に来てください!』

「こ、攻撃! 能力による攻撃だ! 多分脳に直接――」

 佐希子の言葉が終わらないうちに、大根田の目の前が荒れ果てた薄暗い居間から、晴天の砂漠へと変化した。


 これは――


 じりじりと靴裏をあぶる熱気まで感じる砂の感触。地平線の彼方まで続く、引き込まれそうな青い空――

「空に引き込まれるな! 砂にもだ!」

 大根田の声に佐希子と間宮がびくりと体を震わせる。

「あっぶね……あたし、腰のあたりまで砂に……」

「私もです。地平線の彼方まで顔が引き延ばされていく感触でした」

 麗子がため息をつく。

「やれやれ、幻覚攻撃って漫画でよく見るから、食らったらどうなるのかなって空想していたけど、案外子供だましね」

「まあ、僕ら五十代だからね」

「夢を見るには年を取りすぎた――か!」

 か! に合わせて麗子は発砲を開始する。

 女性の悲鳴が上がり、ガラスの砕ける音と生暖かい風が吹きつけてきた。同時に砂漠が掻き消え、元の居間になる。


「おい! そんなちんけな技じゃなくてアレをやれよ、ボケがっ!!」

 窓の外に男が立っていた。

 年齢は高校生ぐらいか。前髪に白いメッシュが入っている。 

「な、何者!?」

 そう言った後、これ言ってみたかったと小声で付け足す佐希子の頭を麗子が軽く小突く。間宮がさっと大根田の後ろ、皆の中心に移動する。

「あぁん? 今から死ぬあんたらにぃ、んなこと教えて俺に何かメリットがあんの?」

 白メッシュはそう言うと、横にうずくまって震えている女性を蹴りつけた。肩を蹴られた女性はうめき、すいませんすいませんと謝り続ける。

「で、でも、あれは、その、酷い事だから――」

「やんねぇなら、お前を殺しても良いって教祖に言われてんだけど?」


 教祖? ――宗教――組織――まずい、陽動か!? 五十嵐さんを助けに――


 走り出そうとした瞬間、大根田の目の前で爆発が起きた。轟音が耳を打ち、視界が灰色の煙に覆われる。

「……な、なんだぁ!? 俺の『爆発』が効かねぇの!!?」

 焦ったような白メッシュを横目に、麗子が大根田の頭を叩いた。

「軽率に動かない!」

「ご、ごめん! 間宮さん助かりました!」

 間宮は大根田の後ろに移動した時点で、全員を入れた結界を展開していたのだ。

 くらえっという白メッシュの声と共に、再び爆発が大根田達の目の前で起きる。

『見えた?』

 麗子のマナ電話に大根田は頷いた。

『小さな物――多分パチンコ玉みたいな鉄球を投げてるね』

「お、お前、物体に爆破属性を付与できるのか!? すっげぇな、おい!!!」

 佐希子の称賛の声に、白メッシュは顔を歪めた。

「なんだ、お前? もしかして頭おかしいのか?」

「う、うるせぇ! 人を殺しまくるお前の方が頭おかしいだろーが!!!」


「外の人達――君がやったのかい?」


 大根田の声は低く冷たい。

 ああ、切れてるな、と麗子は口の内側を噛む。

 あたしも相当ムカついてるけど、ここは止めるべきか――いや、しかし――

『どうする? 中の五十嵐さんもきっと襲われてるわよね』

『僕がこいつの相手をするから、君達は五十嵐さんの救助に行ってくれ』

『了解。ただし、あたし一人で行く。間宮と佐希子ちゃんは、結界を解いて台所に避難した後、もう一度結界を展開して』

 佐希子は、それはと言いかけて頭を掻く。

『いや、別れるのは――で、でも、そ、それしかない!? それしかないの!!!?』

 白メッシュは、けっと唾を吐いた。

「バリアーみたいのが張れんのかよ! 卑怯もんが! 正々堂々と来やがれ!」

 大根田はゆっくりと懐から小太刀を抜く。


 どうするか?

 色々と聞きたいことがあるから、とりあえずは無力化だろうが――


 白メッシュは口の端を上げた。

「お? お? おぉ? なに? おっさん、マジで俺とやる気なの? バッカだなぁ、あんたみたいなくたびれたおっさんが慣れねぇ刃物持っただけで、俺のスーパー能力と戦えるって思ってんの? ふへ! ふへへへへへへ!! 外のヤクザみたくグチャグチャにふっとばしちゃうよ?」

『結界、三秒後に解きます。私と佐希子ちゃんは台所へ。大根田さんはあのバカ、麗子は隣へ。OKですか?』

 間宮の『あのバカ』呼ばわりに大根田は深々と頷く。


 そう――この子は『バカ』なのだ。

 それだけに、加減を知らない。慎重に相手をしなければ。


 突然、あっ! と女性が声をあげた。

「きょ、教祖様――でも、その――」

 佐希子がこめかみに指を当てる。

「マナによる通信を探知! 至近距離! あの女性から太いマナの流れが――まずい! 幻覚が――」

『結界開放キャンセル。大根田夫妻、もっと近くに!』

 白メッシュは再び女性に蹴りを入れた。

「いいから、早くやれや!!」

 女性がこちらを見て、顔を歪めた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 五十嵐は男にマナガンを向ける。

「なんだてめぇは!?」

 中年の男だった。肉厚の顔に小さな目をしており、頭頂部は剥げていた。僧衣のような白くゆったりとした服に隠れているが、贅肉がたっぷりと着いた首から察するに太っているのだろう。

 男は泡儀の前に何かを落とした。

 小さな石――いや、彫像のような物――

 携帯とかにぶら下げる『根付』か?

「問うのなら、まずは自分の名を名乗るのだ」

 男の声は妙に甲高い。

 五十嵐はマナガンを発砲する。

 男のかざした手の前で、銃弾は突如速度を落とし床に落下する。


 間宮さんと同じ結界って奴か!?

 くそっ――


「問答無用か」 

 男はもう片方の手を横に払った。

 途端に、赤く小さな光の玉が無数に男の周りに出現する。


「燃えろ」


 男の声と共に光球が五十嵐に殺到した。

 五十嵐は咄嗟に腕を交差させ、床を蹴り上げながら後ろに跳んだ。

 隣の部屋から爆発音が聞こえた。


 おっさんたちも襲われてるのか!?

 くそっ、どうする――


 五十嵐は足元の瓦礫を蹴り飛ばす。光球は瓦礫に当たると、膨れ上がって花びらのような形の炎になって消えた。


 火!?


 瓦礫をすり抜けた光球が五十嵐に到達する。

 衝撃もなく、ただ纏わりつくように火が五十嵐の腕に絡みついた。

 たまらず五十嵐はスーツを脱ぎ捨てる。

「ほう――戦い慣れているのか。厄介な連中がやはりいたか」

 男は額の中心に指を当てた。

「この男の頭の中を使え」


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 何かが物凄い速さで、足から頭まで抜けていく感触。

 途端に、大根田の視界が歪み始めた。

 倒れた机やソファ、血に汚れた絨毯とえぐれた壁は姿を消し、薄暗い和室が浮かび上がってくる。掌の下に感じる畳の感触は、現実としか思えない。

『また幻覚――』

『和室!? すっげぇ!!! 究極のバーチャル体験だこりゃ! た、多分、マナ通信の応用だとは思うけど、さっきの幻覚よりも出力が段違い――いや、アクセスの仕方が根本から違うのかな!?』

 佐希子の言葉が脳を素通りしていく。

 肩に触れている麗子の体の感触は確かにある。周囲にいる仲間の気配もちゃんとある。だが、和室には『いつの間にか立っている自分』以外誰もいない。

 ふらふらと足が前に進みだす。

 大根田は動揺し、ついで足の指を動かした。

『靴の中で指を動かす感触』。

 移動している感覚も幻覚、つまり佐希子ちゃんが言ったように、無理やり歩いている映像を見せられているようなものか!

 精神を集中しろ。

 自分の中に入り込んでいる何かを捕まえて外に放り出せないか――


 和室の向こうは開け放たれた縁側で、小さな庭にブロック塀があり、その向こうに見える空は真っ黒だった。その切れ目から黄金色の光が漏れている。

 夕立一歩手前の空。ぬるい空気がどろどろと頬をなで、足が勝手に廊下を軋ませながら進み続ける。

 不意に、稲光が閃いた。

 視線がさっと右を向く。

 ごろごろと低く重い音。

 ちゃぶ台とテレビ――居間――真っ黒く染まった畳。血に染まった畳。

 倒れている二人。

 初老の男性と、女性の死体。

『こ、これ、誰の――』

『……俺だ』

 佐希子の問いに、五十嵐の静かな答えが返ってきた。


 まさか――これは五十嵐さんが刑務所に入ることになった事件――――


 ぎしりっと音がした。

 ゆっくりと体が振り返る。


「兄ちゃん――」

 少年が立っていた。再び稲光が閃き血まみれの顔を照らす。その手には、柄まで血にどっぷりと浸ったような大きな包丁が握られている。


 五十嵐さんがやったんじゃない、のか!?


「兄ちゃん、やっちゃったよ――」

 五十嵐さんの、弟?

『武志……』

「……兄ちゃん、ばいばい」

 少年は自分の首の横に包丁を当てると、一気に引いた。

 三度稲光。

 吹き出した血が縁側に広がり、乾いた土にパタパタと落ちる。ほとんど同時に夕立が始まる。風と雨が吹き込み、血だまりは吹き散らされ、畳に染みていく。縁側に倒れた血まみれの少年の白い顔は、雨で奇麗になっていく。それはとても安らかに見えた。

 五十嵐は膝から崩れ落ちる――


 ぐにゃりと風景が歪み、部屋が元に戻っていく。

 どこからか、すすり泣く声が聞こえ、大根田はそれが五十嵐のものだと思った。だが、それは窓の外、幻覚を仕掛けたと思われる女性が発しているものだった。

「おい! 何勝手にやめてんだよ!?」

 白メッシュの蹴りが腹に入り、女性は泣きながら転げ、吐いた。

『結界を解いて』

 大根田がそう通信を送る前に、間宮は結界を解いていた。

 麗子は組長室の扉に跳びつき、白メッシュがこちらを振り返る前に大根田は、姿勢を低くしながら窓に辿り着いていた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 膝から崩れ落ちた五十嵐は、呆けたように天井を見つめた。


 武志――


 それでも五十嵐はマナガンを男に向けた。

 だが、指が震え、力が入らない。

「大した精神力だ。どうだ、私の下に来ないか。今ならば――」

 五十嵐は吠えた。

 涙と鼻水を流した子供のような表情は、一瞬後に憤怒の狼になった。

 五十嵐は引き金を引き、弾切れになるまで打ち尽くすと、再び床を蹴った。

 同時に、麗子が室内に飛び込んでくる。

 男は素早かった。

 一歩踏み出すと、結界を展開させ弾丸を全て弾くと、そのまま五十嵐の突撃も弾き飛ばした。返す刀で泡儀に手を翳す。

「竜二! きっと俺を殺して――」


 泡儀は消えた。


 壁に腕を縫い付けていた短刀はそのままに、一瞬で消え失せたのだ。

 麗子が発砲する。

鬱陶うっとうしいな」

 男は僧衣をひるがえすと、目の前に楕円だえんを描いてみせた。

 空間が楕円の形に歪み、麗子はそこに自分の姿が映ったのを見た。咄嗟に五十嵐の前で立膝をつき、腕を交差させ身を縮める。

 麗子の周囲で床がささくれ立ち、腕や腹に鈍い衝撃が走った。


 こいつ、銃弾をはじき返してきた――


 麗子が腕を戻すと男は消えていた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「て、てめぇ――」

 白メッシュは大根田に向かって右手を振る。小さな鉄球――パチンコ玉が五個飛んできた。

 大根田はボロボロになっていた絨毯をめくりあげた。パチンコ玉は絨毯に絡められ、爆発を起こした。窓枠と絨毯が吹き飛び、吐いていた女性も吹き飛ばされベランダの壁に叩きつけられる。

 白メッシュは咄嗟とっさに両手でカバーしたが、やはり吹き飛ばされベランダの手摺に叩きつけられた。

 げあっとうめき声をあげる白メッシュの首元に大根田の小太刀が押し当てられる。

「うぐっ――この――」

 白メッシュは両手をポケットに入れようとした。

 小太刀がさらに強く押し当てられる。

「けっ! き、切る勇気なんざ、ねえだろうが!」

 小太刀が赤熱化し始めた。

「――!? あぢぢぢぢぢぢぢっ――」

「動くな。そして喋るな」

「て、てめぇ――」

「……君は外にいる人たちを殺した。間違いないね?」

 白メッシュは脂汗を流しながら薄笑いを浮かべた。

「そ、そうですけど、なにか? まさか、ヤクザを殺したのが許せないとか言わないだろうな、おっさんよお!」

「君は――高校生かな?」

「はあ? 学校とかもう関係ねえし。つまんねーから、ずっと行ってなか――」

「親御さんはどうしてるんだ? 友達は? 君の目的は――」

 白メッシュはうるせぇっと両手をポケットに突っ込んだ。

 小太刀がぐっと喉に押し当てられ肉が焼ける臭いが辺りに立ち込め、白メッシュは悲鳴を上げながらポケットから両手を抜こうとした。

「親とか、みんな殺したっつーの!!! てめぇも――」


 仕方ない、首を切って――

 くそっ、そんなことできるわけ――


 大根田の躊躇ちゅうちょを見切ったかのように、白メッシュは勝ち誇った顔で両手をポケットから抜いた。そこには大量のパチンコ玉が握られていた。

「おらあ! 死ね――」

 白メッシュの両手がバスバスバスと鈍い音を立てながら穴だらけになっていく。

 吹き飛んだパチンコ玉がベランダから外に飛び出し次々と爆発するのが、残骸と化した両手の向こうに見えた。

 白メッシュは悲鳴を上げると、女性の吐しゃ物の上を転がり悶える。

 間宮がマナガンを構え、結界を展開させながらベランダに近づいてきた。

「いでえええええええええええええええええっ!! てめぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 歯をむき出した白メッシュの右耳が吹き飛び、更なる悲鳴が上がる。

 間宮は躊躇なく、白メッシュの体に銃弾を撃ち込んでいく。

 太ももに銃弾を撃ち込まれ泣き叫ぶ白メッシュの横で、真っ青な顔の女性は壁にもたれかかって目を瞑っていた。

 大根田は間宮を手で制した。

「その辺で……これから君を連れ帰って、尋問する」

 大根田の言葉に、白メッシュは涙とゲロでドロドロになった顔を歪めて歯をむき出した。

「へ、へへへへひっひひひひ! ば、ばーか! お前らに俺を好きにできっかよ! こ、この傷が治ったら、いでででっ! ぶ、ぶっ殺してやっからよ、楽しみに、ま、待っとけよ、こらぁ!!!」


「時間切れだ」


 男の声がすると、大根田の目の前で白メッシュは掻き消えた。

 はっとしてベランダの向こうを見ると、真っ白い僧衣を着た男が空中に浮いていた。

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