4:鬼人化

「……くそっ、竜二か……なんでこんな所にきやがったんだ……」


 暗く狭い部屋の隅、ひっくり返った机とソファーの間に老人が壁に背をもたれて座っていた。

「おやっさん!」

「こっちにくるんじゃねえ!」

 凄まじい勢いでソファが蹴り飛ばされ、壁に当たって跳ね返る。

 大根田は息を呑んだ。

 紋付き袴を着た老人は、両腕を壁に縫い付けられていた。しかし、その両腕は老人の胴よりも太く青黒く膨らんでいた。同じく歪んで巨大な青黒い手には、湾曲した鍵爪が伸びている。

「お、おやっさん、これは――」

「……竜二、質問してんのはこっちだ。何しにきやが――」

「おやっさんを助けるためですよ!」

 五十嵐は叫びながら間宮の後ろから飛び出す。咄嗟に大根田はその肩を掴んだ。

 五十嵐が血走った目で大根田を振り返った。

「離せっ!!!」

「落ち着いてください、五十嵐さん!!」

 老人――泡儀の荒い呼吸音だけが室内に響く。

「ふ、ふふ……竜二、その人の言う通りだ。落ち着け。で、俺を助けに来たって?」

「はい! アマツって奴が――いや、説明は省きますが、色々あっておやっさんの声が届いたんすよ」

「……ほう、声? 俺が助けてくれって鳴き声を上げたってことか? そんな覚えはねえぞ……」


 五十嵐がはっと身を固くする。


 泡儀は汗ばんだ顔でにやりと笑った。

「俺はそんな事を一度も考えてねぇ……こんななりで今更助かろうなんて思っちゃいねぇ」

「ぐっ……で、でも、おやっさん――」

「うるせえっ!! いいからさっさと、ここから出ていけ!! 連中はまだ――あん? そりゃ銃か?」

 泡儀の視線に間宮は構えていた銃を掲げて見せた。

「モデルガンを改造したものですが、威力は十分です」

「そりゃいい……しかし、あんたは女か……まあ、いいか。

 おい、誰でもいい。その銃でさっさと俺を殺してくれ」

 五十嵐が絶句する。

 泡儀は大根田に苦しそうに笑いかける。

「あんた、どうだ? 引き金を引く勇気は――なんだそりゃ」

 大根田も赤熱化した小太刀を掲げて見せた。

「……泡儀さん、今は誰でも色んな事ができるようになってるんです。だから、五十嵐さんは、あなたの危機を知ってここに来たんです」

 泡儀は息を吐くと、壁に頭をごんと打ち付けた。

「……まったく……俺は死にかけて夢でも見てるのか? それとも、まだ幻覚を見て――」


 佐希子がひょこッと顔を出すと、泡儀と距離を取ってしゃがみ込んだ。

「ちょ、ちょっと待った! 詳細を希望っ!!!」

 五十嵐が、おいっと怒声を上げる。だが、佐希子は半歩膝立ちでずいっと前に進んだ。泡儀がびくりと体を震わした。

「な、なんなんだ、お前は!? おい、竜二、そのガキを近づかせるな!」

「『まだ幻覚』とは、どういう意味? ここは襲撃されたんですよね!? そいつらは――」

「いい加減にしろ!」

 五十嵐が佐希子の頭を叩こうとするのを大根田は止めた。

「だから! 落ち着いてください!!」

 大根田の低い怒声に、五十嵐は顔を歪める。

 泡儀は汗を垂らしながら目を細めた。

「そんな事を聞いて、どうしようってんだ……」

 佐希子も汗を流しながら、更に半歩近づく。

「じゅ、重要な事なんです! こんなことをやった連中は、きっと間違いなく、他の人達に、その――害をなすはず……だから――」

 壁に縫い付けられた巨大な腕がぎくりと震え、両の掌が飢えた野獣の口のように開閉し始める。

「うおおおっ、ち、近づくな! 『こいつら』は勝手に動くんだ! 殺されるぞ!」

 佐希子は腕を凝視しながらも、話し続ける。

「な、成程! その腕が勝手に色々とするんすね!? きょ、興味深い! つまりあなたはご自分の意志で全身の鬼人化を防いでいるかもしれないわけだ! で、でも、いきなりその腕が変形したわけじゃ、あ、ありませんよね?

 連中に何をされたんです!? こ、ここで何があったんですか? 外のバリケードで死んでいる人達は誰がやったんですか? 連中はどのくらいの人数で、どういう能力を持ってて――」

 佐希子は更に一歩、そして跳ねるように泡儀の顔に触れんばかりに近づいた。

「教えてください! あたし達には情報が必要なんです!!」

「そんなもの知ってどうす――」

「生きるためです!!!」

 泡儀の手の動きがぴたりと止まった。



「……連中が、や、やってきたのは――くそっ、今は夜か? そうか……なら、今朝だ。

 昨日の夜中に、どこかの炊き出しを連中が襲ったらしいんだが、うちの組の若いのが偶々そこにいて――まあ、色々あって大怪我をして帰って来た」

 泡儀を遠巻きにして、大根田達三人は立膝でしゃがんでいた。麗子と間宮は外の警戒にあたっている。

「じゃ、じゃあ、連中はその人をつけてここにきたと?」

 佐希子の問いに、泡儀は多分な、と頷いた。

「んじゃさんじゃさ! 連中は何人で、どういう能力を使う奴がいたか判る?」

 五十嵐が佐希子に、こらっと声を荒げる。

「敬語を使え!」

「だから、落ち着け、竜二……襲ってきたのは――三人って聞いたな。実際見たわけじゃないんだが……能力は――多分、幻覚と爆発みたいなもの――あとは電気かな」

「で、電気!? 痺れたってこと? あと、幻覚?」

 泡儀は呻くと、体をもぞもぞと動かした。

 ばきりと骨の折れたような音がすると、額の両端がひくひくと痙攣し出す。

 佐希子は一瞬体を固くするも、気丈にも質問を続ける。

「泡儀さん! 聞こえてる!? 意識をしっかり持って! ほら! ジジィ!!」

 五十嵐が、おいっと思わず声をあげたが、泡儀はくはっと吹き出した。

「くははっ! まったく! 口の悪いお嬢ちゃんだ…………電気は――ここにいたのに、いきなり壁が光って、全身が痺れたんだ。その後、風景がいきなり砂漠になりやがった……」

「そ、それ、他の人達にも見えて――」

 泡儀は大儀そうに息を吐いた。

「まあ、そうみたいだな。皆、痺れて悶えた後見えなくなっちまったが、砂漠が見えるっていう声が聞こえ――――そ、そろそろ殺してくれんか、なあ……」

 泡儀の体は更に変形が進んでいた。肩が膨らみ、服を破って鱗のような皮膚を見せていた。投げ出された足も太くなっているようで、爪先からは伸びた足の爪が足袋を破って外に露出している。

 五十嵐は間宮に渡された小銃のマナガンを泡儀に向け、ややあって下に向ける。

 泡儀が舌打ちをした。

「ちっ……意気地がねぇなぁ! 刑務所に入った時のお前はどこに行っちまったんだ?」

「……んなこと言われても、俺ぁ、まだ、おやっさんに何も――」

 泡儀が顔を歪める。

「……その調子だと、おめぇ……あの事は皆に言ってないんだろ」

 五十嵐が情けない顔で、ゆっくりと頷いた。

「……すんません……その……中々タイミングが難しくて」

 泡儀は呆れた顔をした後、ふっと優しい顔になったように大根田は見えた。

「なんなら俺が今――」

「い、いや、おやっさん! 自分で言います! その――タイミングを見計らって……」

「ったく……乙女か、お前は」

 佐希子が会話に割り込んだ。

「でででで! ど~して鬼人化――つまり、そんな風になっちゃったんですか?」

「あぁ? あぁ、これか…………れ、連中はこの家に――クーラーボックスを放り込んだんだ。どっか、そこらに転がってるだろ……」

 大根田は、はっとする。

 そういえば台所に――

「そこに『何か』が入っていた……」

 佐希子が呟きながら、すっと立ち上がる。

「それは――マナモノですか!?」

「マナモ――なんだそりゃ? ……まあ、真っ黒いドロッとした奴だよ。こう――目も口もないなまずみてぇな奴だ。クーラーボックスから飛び出して。俺の口から中に潜り込みやがった……」

 佐希子は跳ねるように部屋を飛び出した。

 物をひっくり返す音が響き、あった! と叫び声が上がる。

「……面白い奴だな」

 泡儀の言葉に五十嵐が苦笑いする。

「抑えが効かねえのが玉にきずですけど、良い奴ですよ」

「そうか……」

「いやあ、なにやら残留物がありますよ! 興味深いなぁ! これ、持って帰って調べてみましょう! 勿論いいっすよね!?」

 泡儀は頷く。

「もう俺には必要が無いからな」

 佐希子が口をゆっくりと閉じる。

「さあ、知ってる事は全部話したぞ。

 誰が俺を殺してくれるんだ?」

「いや、おや――」

 みしみしという音と共に、泡儀の顔が歪み始める。

「早くやれ! 俺は人間のうちに死にてぇんだ!」


「……すまねぇ、みんな外に出ててくれねぇか」


 五十嵐のかすれた声に、大根田は目を瞑り、判りましたと頷き外に出た。佐希子はそれに続き歩き出すが、扉の前で振り返って泡儀にお辞儀をした。

「……大変参考になりました。あなたから頂いた情報は、絶対に有効に使わせていただきます」

「……お嬢ちゃん、名前は?」

 はっとして五十嵐が振り返ると、佐希子の全身を強張らせ、ややあって大粒の涙を流し始めた。

「八木――佐希子です! し、失礼します!!」

「八木さん、達者でな」

 五十嵐の目の前で佐希子は音を立てて扉を閉じた。

 部屋がしんと静まり返る。

「……おやっさん――」


「迷うな」


 鋭い声に五十嵐は反射的に振り返った。

 泡儀は中腰になると、今まさに角が生え始めた顔を前に突き出した。


「一思いにいけっ!!!」

「う――――――うおおおおおおおおおおっ!!!!!」

 五十嵐は両手でしっかりとマナガンを構えると、叫びながら前に飛び出し、引き金を絞った。

 手の中でマナガンが跳ね上がり、そして――


 爆破属性のマナ結晶によって発射された弾丸4発は空中で止まっていた。


「申し訳ないが、『それ』は貴重な戦力なのだ」

 男が泡儀の横に立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る