4:バリケード作戦

 佐希子は丸の外に、斜めの線を引いた。

「ここが居種宮線です。で、バリケードの周りに一定間隔でマナ灯を設置します。暗いと恐怖が加速しますからね!」

「マナ灯?」

「これよ、これ」

 くれなともう一人の主婦、間宮美佐江がリヤカーを引きながら、玄関付近から現れた。

 パイプの束と金属製のボックス、それにソーラーパネルらしきものが積んである。


 佐希子は縁側から飛びおりると、サンダルを履き、パイプを取り上げ組み立て始めた。

 高さは四メートルくらいで、一番上に風力発電のような羽、その下にはソーラーパネルがあり、更にその下に大きなLEDライトが付いている。佐希子が台座の部分のボックスにあるスイッチを入れ、風車につけられていたひもを引っ張ると、羽のストッパーが外れ、回転が始まった。


 LEDライトがまばゆい光を放ち始める。


 行列の人々から、おおっと歓声が上がった。

「こいつはマナを受けて回って発電するんですよ。一応予備でソーラーパネルが付いていまして、こちらの蓄電ボックスには特殊加工したゲル状のマナが――」

 大根田が、度々すいません! と手を挙げた。


「そもそも、その『マナ』というのは何ですか?」


「ああ、それまだ説明してなかったか…………」

 行列の人々、大根田達三人の視線の中、佐希子はコホンと軽い咳払いをする。

「えぇっと、行列の皆さんも一応聞いてください!」

 庭の端に座っている人、草むらに寝せられている人たちの視線も佐希子に集まった。

「あ、あ~……やべっ、緊張するなこれ……ええっとですね!

 本日起きました地震はただの地震じゃあございません! 多分、『私たちが今まで住んでいた世の中が変化した合図』みたいなものだったのだと思います」

 ざわざわと皆が顔を見合わせる。


 成程。

 おそらくそれは正しい。

 不可逆ふかぎゃく的な変化――きっとそれはいつも起こっている事なのだ。

 ただ、普段は気づかないほど些細なのだ。

 しかし今回のこれは、歴史の教科書に載るレベル――地震や疫病、戦争――なんかを遥かにしのぐレベルの変化が起きたのだ。


「私たちは、この変化を引き起こした、そして、私たちに今現在影響を与え続けている要素を『マナ』と呼んでいます」


 何言ってんだ、と馬鹿にしたような言葉が聞こえたが、それはとても小さかった。

 皆が、それぞれ何かを思っているような表情で佐希子を見ている。


「マナというのは目に見えない『力』だと考えています。

 例えばこのマナ灯です! 

 皆さん、今風が無いのは判りますよね? マナ灯は羽の部分になまりテープが貼ってあります。マナには流れがあるようで、それがこの羽にあたり回転しているのです!」


 何人かが指に唾を付け、確かに風がないなと空を見上げた。


「私たちは、これからこのマナと付き合っていかなければなりません。マナはメリットばかりではなくてデメリットもたくさんあります!

 例えば、あのマナモ――化け物どもです!

 私たちは、今から対抗するためにバリケードを作ります!

 ですから――」


「い、いやなこった!」


 草むらに寝せられていた痩せたサラリーマンが叫んだ。

「俺は、絶対にあれにはもう近寄らないぞ! 何があろうとだ! 俺は逃げる! 家に帰る!」

 さわさわと人々が互いの顔を盗み見る。


「炊き出しをもらって悪いけど――」

「家には娘が――」

「そういうのは警察に――」

「まったく政府や自衛隊は何してんだ!? そのための税金だろうが――」

 漠とした不安が、怒りと不平に変わっていく。


「ええっと、皆さん、こういう時だからこそ、みんなで手を取り合って――」

 佐希子の言葉はもう届かない。

 各々が勝手に自分の考えを話し、繋がらないスマホに怒りをぶつけ、果ては炊き出しのうどんにまで文句を言いだす輩も出てきた。


 しかし、それを誰が責められよう。 


 いきなり変わってしまったのだ。

 誰だって戸惑う。

 落ち着いている自分らが、異常なのだ。


「あ、あの、皆さ――」

 大根田が声をあげようとしたその時、上から声が降ってきた。


「だまらっしゃい」


 張りのある落ち着いた女性の声が響いた。

 続いて、一斉に上を向いた視線の先、浜本家の二階の屋根付近から、金刺繍きんししゅうの大きな座布団に深々と座った老婆がふわふわと降りてきた。

「……あ、千本木のおばあちゃんか」

 大根田の言葉に口を開けたままの宝木が頷いた。

「飛んでるよ」

「いや、浮いてるって言えよ」

 浜本がそうツッコんで、宝木がおお、と小さく唸った。


 千本木光江せんぼんぎみつえ。七十九歳。

 最新機種のスマホを使い、ワインとチーズをこよなく愛し、ロシア文学からライトノベルまでを乱読する彼女を、大根田は常々、好ましく思っていた。


 なんと言うか――自分を知っている、という感じがとてもいい。


 ああいう老後を送りたい。そう憧れていた彼女が、座布団に乗って空中から皆を見下ろしている。


「いい年をした大人たちが、怖いからって騒いでも仕方がないじゃろう。

 別に無理強いをしようというのではない。『手伝ってくれる人』を募集しようというだけだ。

 自分の能力が判っており、命を投げ出す覚悟のある者だけを募集する。

 私たちとバリケードを作ってほしい。

 斥候せっこうの報告によると、数体のヨモツシコメが居種宮駅付近で確認された。現在、要救助者をこちらに搬送中だ」

「そ、それは大変だ! ぼ、僕たちも向かった方が――」

 思わず叫んだ大根田の方を振り返りもせず、光江は落ち着け、と静かに言う。

「すでに六人向かわせて、五体のヨモツシコメを撃破したという報告を受けている。だから要救助者を搬送しているのだ。

 駅はバリケードを築き終わったそうだが、もしかしたら『うち漏らし』がいるかもしれない。そいつらは――」


「こっちに来るかも……ってな? よう、おっさん! どうやら元気なようだな?」


「あ! 五十嵐さん!」

 大根田は庭に飛び降りると、人込みから出てきた五十嵐の手を取って深々と頭を下げた。

「ありがとうございました! 助けていただき、ありがとうございました!!」

「いいって。それより、俺もバリケード班に入れてくれ」

 大根田が、それはありがたいと笑顔になった。

「五十嵐さんがいてくれたら百人力ですよ!」

「馬鹿言うなって、おっさんに比べりゃ俺なんざ屁みてぇなもんだろうが」

 最初に声を上げた痩せたサラリーマンが、けっと毒づいた。

「こんな状況で大した正義感だよ、まったく……」

 五十嵐がじろりとサラリーマンを見下ろす。


「正義感なんてあるわけねえだろ。俺は自分のアパート――まあ、すぐそこの希望荘ってボロ屋だが――そこを守りてぇだけだよ。

 ヤサがなけりぁ、雨がしのげねぇ」


 サラリーマンはふんと顔をそむける。

 光江がパンパンと手を打った。

「繰り返すが無理強いはしない。それと家に帰るのも選択肢の一つだが、何がうろついているかわからないというのを肝に銘じておいてくれ。

 開始は一時間後とする。

 能力が判っている者は申請してくれ。配置を決める」

 配膳をしていた井沢家の主婦、井沢唯いざわゆいが手を挙げた。

「武器が欲しい人は私のところに来てください。時間が許す限り、作りますんで」

「作るって――」

 大根田のつぶやきに五十嵐が答えた。

「あの人は奥様方の銃とかジャケットを作ったんだとさ。俺もこれを――」

 五十嵐は足を持ち上げて靴を指さした。

「全力でやっても底が抜けにくい靴だ。メリケンサックを作ってくれって言ったら、それは人間にしか効かないって言われたよ」

 五十嵐はそう言って、苦笑した。



「よし、じゃあ持ち上げますよ! いっせーの、せ!」

 大根田と五十嵐が力をこめ、鉄パイプとトタンを組み合わせたものを持ち上げた。

「いや、重いですね……あれ? 五十嵐さん能力使ってますよね? 僕はまだ疲労が抜けてないのかな……」

「いや! いざって時のために今は使わねぇ方がいいと思って、よ!」

 成程! と大根田は気合を入れる。

「そのまま! そのままこっちに持ってきて! そう、そのまま縦にして――」

 めくれ上がった道路に突き刺した鉄パイプの支柱の間に、宝木の号令のもと、持ち上げた物を立てかけると、井沢家の主人、井沢幸弘いざわゆきひろが接合部に右の人差し指を突き立てた。

 彼は鉄板で作った大きなカバーを顔の前に下ろすと、溶接棒を左手に持ち、指に力を入れる。たちまち指と金属の接点から火花が飛び始める。


「すげぇな……生身で溶接かよ……」

 五十嵐の称賛の声に、井沢父は首を捻った。

「いや! こりゃちょっとダメだな! 出力が弱すぎて全然だ!」

 井沢父は上で作業をする息子の待雄まちおに声をかける。

「そっちは!?」

「俺もダメ! ダマばっかりできて――これ、ワイヤーで結んだ方がいいんじゃないの!?」

「大根田さん! 溶接は期待しないでくれって言ってくれ! くっそ! もっと練習時間があればなぁ!!」

 判りました、と大根田は麗子にマナ電話を送る。


『麗子、溶接はダメみたい。どうする?』

『了解。やっぱり不格好なバリケードになるわね。新しい材料を転送するから、道路の人払いをして』

 大根田はすぐさま、現場にいる人間を退避させる。

『退避完了。転送どうぞ』

『了解。くれなちゃん、お願い』

『OK。全部で二十五台行くわよ』

 台? と大根田が首を傾げると同時に、道路にそれが転送されてきた。

 がしゃりがしゃりと物凄い音を立てながら積みあがっていく廃車達。


「うーわ、うちの車もあるよ……まだ十万キロ乗ってなかったなのになぁ」

 切なげな溜息をつく宝木。その横で浜本が、これをどうやって運ぶんだ? と大根田に聞いた。大根田はこめかみに指を当て、一、二度頷くと暗い駅の方を見る。

「この後くれなさんが来て、一台一台、微調整しながら転送して積み上げていくそうです。……ちょっと時間がかかりますね」


 大根田達はネギハマー砦中心から、直線で約三百メートル西の場所にいた。

 早速点けたマナ灯のおかげで、十メートル四方は明るいのだが、それ以上になると徐々に暗くなっていく。百メートル先の居種宮駅の辺りは、完全に暗闇だった。

 もし、うち漏らしがいたならば、あの闇からこちらを見て、機会をうかがっているかもしれない。

 大根田達の後ろには子供や老人、大怪我をしている人達がいる。だから、決してこの先には行かせてはならないのだ。


 しかし――耳を澄ましても何も聞こえない。


「ともかく、私達は指定された仕事をやっちゃいましょう!」

 おう! と全員が声を上げる。



 バリケードは佐希子が描いた円の通りに、『既存きぞんの家』を補強し、その間の道路を塞ぐという形で作成が始まった。

 最初にこの計画を聞いたとき、それは無理では、と大根田は思った。

 だが、バリケードに使われる家の住民は率先して窓や壁を鉄板で補強し始めた。聞けば、佐希子の『資金』でかなり前から了承を得ていたのだそうだ。

 世の中金っすよ、と佐希子は鼻高々だったが、その彼女からあるはずのマナ電話がなかなか来ない。


 大根田はワイヤーでパイプとトタンを結びながら皆に質問をした。

「あの、どなたか佐希子さんから電話来ました?」

 五十嵐が首を振る。

「いや。俺ぁ初心者だからうまくいってねぇのかと思ってたが――おっさん達はどうだい?」

 井沢親子、宝木と浜本もそろって首を振る。

「きてない。待雄は?」

「俺もですよ、大根田さん!」

「こっちもNOだ。女房がまたゴキブリを見かけたって言ってるなあ」

「同じくきてない。くれなとは通信できてるから、やり方は間違っていないと思うんだが……」

 佐希子は広範囲を『索敵さくてき』すると言っていた。

 マナ通信の応用らしいが、一体どうなっているのだろうか。


「しかし、大根田さんとか五十嵐君みたいに俺も何かできるといいんだがなあ……」

 宝木がそう言って、はっ! とゲームの飛び道具を打つようなポーズをとった。勿論手からは何も出ない。だが――

 ぎししっと何かが軋む音がした。

「おっ、今、その車が揺れなかったか?」

 五十嵐の言う通り、転送されてきた廃車の一つが少し揺れている。

 井沢父が溶接しながら頷いた。

「確かに見たぞ! 宝田さん! もう一回やってみなよ!」

 宝田はまた、はっ! と同じポーズをとる。

 積み重なった廃車が山ごとぎしぎしと動いた。

 おおっと皆が声を上げる。

「へえ……車を揺らす能力かって、なんじゃそりゃ!」

 宝木のセルフツッコミに皆が笑った。

「ま、練習すれば、もっと何かできるんだろうけど――浜本さんはどう?」

 宝木の質問に、浜本はそれがねえ、と煙草を取り出した。

「できるっちゃできるんだけど――」

 火を点けて、ゆっくりと深く吸い込むと、ふーっと紫煙を吐く。

「……は? うおおおおおおおっ!?」

 浜本の口から、大量の煙が吐き出され、それが宝木の体にまとわりついた。

「ちょ、けむっ! ごほっごほっ!」

「ま、こんな感じだな。ただの煙だから……嫌がらせには丁度いいかな」

 嫌がらせかよ、と宝木がツッコんだその時――


『皆さん、お待たせしました!』


 全員がびくりとこめかみに指を当てた。

『佐希子ちゃんかい? いったい今まで――』

『お叱りは後で! 今から皆さん全員にちょっとした物をダウンロードします! 新機能を試しますんで!!』

『なんだぁ!? お、おい、一体どういう――』

『ヤーさんは黙ってろって! はい、行きますよ!!』


 うわっと、思わず大根田は声を出した。 

 ぐっと頭の中に何かが入ってきた。脳をかき分けられているような感覚がひどく気持ち悪い。不快感に顔を歪めるも、続いて視界がおかしくなる。

 右端が少しだけ黒く変色し、風景が消えているのだ。

「お、おい八木の娘さん! なんだこりゃ? 俺は網膜剥離もうまくはくりになっちゃったぞ!」

『宝木のおっちゃん、落ち着いて! これは――ババーン! レーダーでーす!』


 レーダー?


 大根田の視界の右端に黒い丸が現れた。その中に、青い点と赤い点が明滅している。

 浜本が、ああと小さく声を出した。

「この青い点は俺たちか。とすると――赤いのはヨモツなんとか……」

『だから、ヨモツシコメですってば! 覚えましょうよ~、せっかく考えたんだから~』

『……一匹か。少なくてよかったぜ』 

 五十嵐の言葉に全員が目を瞬き、そして駅があるであろう闇の方に目をやった。

 レーダーでは、青い六個の点からみて、駅の方に少し行ったところに大きな赤い点が一つあるだけだった。

『……実はこのレーダー、今初めて使ってみた能力なんです。ついさっき、ちょっとノイズが入ったんですが、今は問題ないみたいですね……』

 井沢父が溶接の手を止め、じゃあ、俺と同じかと呟く。

「まだ精度が低いんだな? ってことは補足しきれてない奴がいるかも――」

『確かにその可能性はあります。ですが――レーダーをよく見てください。赤い点が大きくありませんか?』


 一瞬の沈黙。


 大根田がごくりと唾を飲む。

『は、初めてなんで、あれですけど、一応敵の大きさも反映してるはずなんです! わ、私から見ても、大根田さんたちの前方にいるのは、その――かなり巨大な、あれかな、と……』

 五十嵐が勘弁してくれよと小さく言った。


『あなた、私が行くまで動かないで』

 麗子からマナ電が入る。

『あ、ああ。大丈夫、無茶はしないよ』

『よろしい』

 麗子との通信が終わるや、くれなが角を曲がって到着した。

「お待たせしました。通信はもちろん聞いてました。駅はこっちの方向ですよね?」

 くれなが両手で駅の方をぼんやりと示す。

 井沢親子が、何度か頷き、宝木が間違いないよと力強く肯定した。

「朝、この道を通って道路を渡る。正面は駐車場だ。その横に道があって、そこを進むと自転車置き場が横にあって、そのまま進めば東口だよ」

「了解。転送開始!」 

 くれなが積み重なった車の山に手を叩きつける。一瞬にしてそれは消え、作りかけのバリケードの外に現れた。

 道路に段差があったか、それとも転送は少し上にされるものなのか、ともかく、がしゃりと大きな音がした。


 ずずん、と地響きのような音が闇の向こうから聞こえ、ぎしぎしめきめきと金属がこすれるような音が近づいてきた。

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