3:ネギハマー砦

「いやあ、大根田さんもご苦労様でしたなあ!」

 浜本家の縁側で、ビールで乾杯をしながら宝木家の主人、宝木健三たからぎけんぞうは甲高い声でそう言うと、手拭いで顔をぬぐった。洗ったとはいえ、ゴキブリの内臓を頭から被った感触が残っているのだという。

「いやはや、あんなでかいゴキブリに襲われるとか、もう色々とついていけませんわ! 一体どうなっちゃうんでしょうかね、これから」

「いやあ……なんとも……」

 大根田がそう答えると、宝木はスマホを取り出し、やっぱり電波がないと溜息をついた。

「大根田さんのところは、明日お仕事どうされるのですか?」

「社長は自由参加で、その――『掃除』をするとかなんとか」

「……その掃除って、あれですか、こう、色々と――」

 大根田は宝木の飲み込んだ言葉を察して、そうですそうですと頷く。

「会社の階段にいるのを、明日はどうにかするらしいです」

「あの虫よりもやばい奴なんでしょう? ったく、どうしたもんだか……警察はどうなんですか?」

「無線で連絡を散りあって、市内を巡回している――らしいですが、道があれで車が使えませんからねぇ……」

「いや、ほんとに参ったな……」

 宝木が浜本家の庭に目をやった。大根田も顔を拭い、庭に目をやる。


 塀を取り払われたので、やけに広く感じるそこで六個の大鍋が湯気を上げ、行列ができていた。近所の人達だけでなく、通りすがりの人達も大勢いるようだ。

 赤ん坊を抱いた主婦に、制服を着た高校生達。養護施設の職員らしき人達に、老人の集団。手拭いで顔を拭く中東系の人と、タオルを頭に巻いたまま何かを話し込んでいるアフリカ系アメリカ人の女性。その横で腕を組んで頷いている男性は、なまりから察するにイギリス人だろうか?

 皆が疲れ切った顔をしている。中にはずたずたになった服や、大怪我をしている人もいて、そういった人たちが来ると、麗子をはじめとした奥様がたが走り寄って、話を聞き、庭の草の上に寝かせている。


「あの短い草は、傷を治すんですね」

 大根田の言葉に、浜本家の主人、浜本宗次はまもとそうじが火のついていない煙草をくわえて、そうみたいですなあ、と会話に入ってくる。

「私も黒い奴に背中からばっさりやられて、あそこに寝かされましてね、まあ浅かったせいもあるんでしょうが、五分もしたら治ってましたよ。

 大根田さんの時は三時間くらいだったかな」

「ああ、私もやはり寝かされてたんですか。しかし、あれは一体――」

「お困りの、むぐむぐ、ようですね! ずるずる、んふぅ!」

 うどんをすすりながら佐希子さきこが会話に入ってくる。

 宝木が、誰? という顔をした。

 浜本が声を潜める。

「ほら、八木さんとこの娘さん……」

「ああ、部屋にこもりきりの……」

「すいません、そういうの地味にくるんで、やめてもらっていいですか……」

 がくりと凹む佐希子の肩を大根田は優しく叩いた。

「いや、佐希子ちゃんの事は、徐々に説明していくからさ……で、あの草の事なんだけど――」

「ああ、ええっと、あれはマナモノの一種で、カテゴリーは『精霊』ってことになってますね」


 精霊ぃ? と宝木が甲高い声を上げた。

「それは、あれかい? ゲームとかで――」

「そう考えちゃっていいです。もう少し細かく言いますと、精霊はマナ自体が人の意思とか感情に影響されて生物化したもの、じゃないかなあと考えていまして――」

 大根田たちは顔を見合わせて、首を捻りあっている。

「マナってのがよくわからないんだが――あの草は、人を治療したいという、その――意思とか思いみたいなものが大元になっていると?」

 宝木の言葉に、佐希子はビンゴです! と指を突き立て、七味をうどんに投入する。

「あれは元々、某病院の敷地に生えていたものでして、『そこを散歩すると気分がよくなる』なんて言われてたらしいですね。

 で、そこから何株か失敬してきて部屋で育ててたんですが、昼間のあれを契機にもさっ! と爆育ちしたんで、あそこに植えたらどばーっと育つ育つ!!」

 な、成程、と三人。

「ちなみにですね、浜本さんや大根田さんを襲った、あの黒い奴! あれ、あの草と同じカテゴリーに入ると思われるんですよね」

「あ、あれが、あの草と同じ!?」

 驚く浜本と大根田。宝木は、何だそれはどういうやつなんだ、と声を上げた。

「ああ、宝木さんも嫌ってほどこれから見ますよ。大きさは一メートルから二メートルくらいの人型で、攻撃的な真っ黒いのっぺらぼうです。

 私たちは『ヨモツシコメ』って呼んでますね。ちなみにあの草は『ノツチ』です。今のところ、確認されているのは『回復型』なんですが、『攻撃型』のノツチもいるでしょうからねえ」


 大根田が手を挙げる。

「佐希子ちゃん! さっき、その――『精霊』は人の意思や感情を基にしているとか言ってたけど、じゃあ、あの黒い――ええっと、ヨモツシコメか。あいつらは、どういう――」

 佐希子は顎に手をやった。

「おそらくは、『恐怖』です」

 恐怖、と宝木。

「……それって、この状況だと、その――」

 佐希子は頷くと、夜空を見上げた。

「そこら中でヨモツシコメが徘徊はいかいしてるんでしょうね。だから今からバリケードを作るんです。皆さんにも働いてもらう、とうちのママが申しておりました」

 浜本が、成程とうなずいた。

「ずっと庭に置いてあったトタンやら角材はそのためだったのか……」

 佐希子はうどんの残り汁を啜ると、大根田の隣に腰かけ、メモ帳とペンを取り出した。

「さて、大根田さん! 色々聞かせていただきましょうか!」


「――で、そこからは何も覚えてなくてですね……」

「ああ、そこから先はヤーさ――じゃなくて、五十嵐さんから聞きました。霧のあれは空に戻っていったらしいですね」

 いやあ、と宝木が空になったビール缶を大根田に掲げた。

「あなたってば、凄いですなあ!」

「いや、はは、どうも、その……」

 照れる大根田の横で、浜本がううんと唸った。

「俺に襲い掛かってきた――ヨモツなんとかは、腕がいっぱい生えてたな。そういうのは、どういう扱いなの?」

 佐希子はメモ帳にガシガシと何かを書きなぐると、浜本に食いつく。

「そういう微妙な違いのあるやつは亜種あしゅって私たちは呼んでますねぇ! ハマさん、腕の数は何本でした!? 体表の感じはやはり黒? 大根田さんの話だと髪型もあるらしいですが、そっちちちちち――」


 佐希子が突然震え始めた。


 口を開けて固まったままの浜本。二本目のビールを開けようとしていた宝木は指をプルタブから離した。大根田はかろうじて声を絞り出す。

「さ、佐希子ちゃん、その――だいじょ――」

 佐希子の黒目が一気に広がったかと思うと、ぐるっと回転して真っ白になる。口の端からよだれがつうっと垂れ、腕にざあっと鳥肌が立った。

「ちょ、た、大変だ! 佐希子ちゃんが! 発作! 何かの発作が!!」

 行列の人達がこちらを見て動揺し始める。

 だが、鍋をかき回している奥様達は平然としていた。

「あ、あの、八木さん! 佐希子ちゃんが――」

「ああ、大根田の旦那さん、佐希子ちゃんなら大丈夫ですよぉ」

 使い捨てのプラ容器と割り箸を持って家の奥から出てきた、浜本くれながそう言って笑った。

「大丈夫って、お前、これ――」

 浜本がおろおろしながら妻のくれなと佐希子に交互に目をやる。

「病気かなんかじゃないのか?」

「いえいえ、通信中なの。キャッチホンみたいに相手から突然かかってくるとこうなるんだってさ」

 そう言いながら、くれなはプラ容器と割り箸をふわっと放り投げた。

 一瞬にして消えたそれらは、鍋をかき回す奥様方の後ろに敷かれたレジャーシートの上に出現する。

「どう? うまいもんでしょ?」

「あ、お、おう……」

 呆けたような表情の浜本。大根田は浮かせた腰を再び下ろした。

「ほ、本当に大丈夫なんですよね――」

「あ、ああ、大丈夫ですよ~。いやあ、お見苦しい所をお見せしちゃったようで……」

 佐希子は頭を何度か振ると、眼鏡を外して顔をごしごしと擦った。くれなは、また奥に引っ込んでしまった。


「普段は時間を決めて通信してるんですけどねえ、何しろ当日ですからね! イベントが多くて大変ですよ~。ちなみに学校に行かなくなったのは、これが原因っすね。あの頃は能力が不安定で、勝手に通信しちゃうもんだから、まあ大変でしたよ!」

「は、はあ……」

「あ、浜本さん、さっきの続きですが、どうすか?」

「……え? あ、髪型とか? あ~……う~ん……真っ黒で、髪は無かったような気がするなあ。色は黒だな。光が当たると油みたいなつやがあった気がする」

 ほうほう、と佐希子はメモをすると、いいですねえと笑みを浮かべた。

「だいぶ情報が集まってきましたよ! 事態の本質は陽が昇ってから確認するとして――」

「陽が昇ってから?」

 大根田の質問に佐希子は、はい! と頷いた。

「ドローンを飛ばすんです! 大根田さんが戦ったやつが上空にいますんで、それに襲われない程度の高さで飛ばせば、『遠くの風景』が確認できるはずです!」

 大根田の背にぞくりと冷たいものが走る。



 それを知りたいような

 知りたくないような



「それでですね、後で写真付きのやつをプリントして配りますんで詳細はそちらで確認していただくとしまして、とりあえず大根田さんが遭遇したマナモノの名前を決めました!」

「は、はあ――え? 決めたって、佐希子ちゃんが?」

 佐希子は真っ暗な空を見上げた。

「私たち三人です。京都の能美のうみちゃんと、北海道のやなぎちゃん。向こうもとんでもないことになってるみたいで――ああ、ええっと脱線しましたね。

 大根田さんが会社の方で激闘を繰り広げたマナモノは、さっき言った通りカテゴリーは『精霊』です。

 階段のやつは『ヨモツシコメ』で、ホールの方は『ヨモツシコメ亜種』。個人的にはダブルヘッドとかデュアルヘッドと名付けたかったんですが、能美ちゃんに『きりがないからやめろ』って言われちゃって!

 ロマンがないっすよねえ!?」

「あ、は、はあ」

「それで、バチリちゃんがとどめを刺した、魚の頭のやつですね。それはカテゴリーとしては『魔渉物ましょうぶつ』です」

「ましょうぶつ?」

「はい! 無機物や形のないものがマナや精霊の影響で動き出したやつの総称です。その中の『付喪神つくもがみ』に相当するかと。喜んでください! 初観測! レアものですよ!」

「へ、へえ……」

「『付喪神』っていうのはですね、魔渉物の中でも、こう単純と言いますか、実体のあるものがマナの影響を受けたものでして、大根田さんが遭遇した奴――『生ごみを中心にした蛇体』――を私たちは『白うねり』と名付けました!」


 宝木が、それって妖怪にいなかったかと小声で言うと、佐希子はそれそれ! と食いつく。

「よくご存じで! ははあん、さては宝木の旦那さんは妖怪アニメで育った世代と見た! いやいや、隠すことはないですよ! もっと胸はっていきましょう!

 で、まあ付喪神共々、石燕せきえん先生の著作を参考にしてまして、柳ちゃんの話だと、彼女の住んでるところでは瀬戸物が集まって大暴れしているらしいです。ガチャガチャうるさいって嘆いていましたね。ちなみに名前は『瀬戸大将せとたいしょう』です!」


 大根田は笑みを浮かべた。

 命の危険を感じながら対峙した相手だけども、名前や種別を考えていくのは、コレクション的な楽しさが確かにあるし、名前が付いたことによって、どこかすっきりした感じもあるのだ。


「うちとか大根田さんちに大量にいた、あのデカゴキブリは?」

 宝木が忌々しそうにそう言うと、佐希子はオウと口を尖らせた。

「それは一番簡単な奴ですね。

変化生物へんかせいぶつ』です。マナの影響で変化した生き物ですよ。白うねりを倒したバチリちゃんとかもそうですね」


 変化生物。

 もしかして――俺もそうなのか?


 大根田はその疑問を飲み込んだ。

 それはこの場にいる全員に対する、あまり気持ちの良くない質問になりそうだったからだ。

「ええっと――そうだ! あの霧のやつは?」

 佐希子が、ああそれは、と首を捻った。

「すいません、今審議中です。あまりにも特殊なマナモノで、新しいカテゴリーを作らないといけないかもしれなくて……うーん、モヤモヤする! もっと情報が欲しい!」

 佐希子は、ビール! と宝木が開けそこなった缶に手を伸ばす。

 途端に、あんたはやめときなさい! と由比子がおたまを振り回して叫んだ。

「なんでよー、あたし二十一歳なんだけど~」

 え? そうだっけ、と顔を見合わせる大根田達。

「あんたこれからバリケード作るのよ!? 指示出す人が酔っ払ててどうするの!」

 ちえっと缶を離す佐希子。


 大根田は辺りを見回した。


 行列は百や二百じゃきかなくなっている。ここらの家は寝所として開放するらしい。となれば、かなりの人数が今夜ここにいることになる。


「……じゃあ、そろそろ始めたほうがいいかな? まずは、どうするんだい?」

 佐希子はにやっと笑う。

「おお、流石は大根田さん! 燃えてますねえ、色々と!」

 佐希子はメモ帳を破ると床に置き、ぐりっと丸を描き、真ん中に点を打った。

「今夜はまずこんな風にバリケードを作ってみようかと。真ん中の点が今いる場所、私たちの拠点、『ネギハマー砦』の中心部ですね!!」

 浜本が目を白黒させる。

「ね、ネギハマー? なんだそりゃ?」

 佐希子が胸を張る。


「大根田家、八木家、浜本家の三つを合わせてみました! 大根田のネ! 八木のギ! 浜本のハマー!」


「……なぜ伸ばした」

 と宝木が冷静にツッコんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る