3:魚の骨
大根田の後ろにあったのは倒壊した飲食店だった。
その重なり合った瓦礫の上に猫の死骸が三体転がっていた。
茶虎の親子。
「ねこさんが死んでる……」
幼稚園児の声が後ろから聞こえ、大根田はいたたまれない気持ちになった。
猫達の死因は多分、地震じゃない。地震が原因なら瓦礫の上に転がってはいないだろう。しかも猫の血と思われる物が瓦礫の上や傾いた壁に飛び散っている。
こういう事をする奴がでてきてしまうのか……。
大根田は溜息をつくと、腕を組んだ。
見てしまった以上は埋葬してやりたいが、ここに埋めても良いものなのか? 田野川――はコンクリートで補強されているから駄目だし、近場の公園か寺の片隅にでも――
「……おい、おっさん……」
五十嵐の押し殺した声に振り返ると、彼をはじめ肩車の親子や、さっき熱いと悲鳴を上げた女性がじりじりと後ろに下がっていく。
「……いやあ、これ地震の所為じゃないみたいですね。どこかに埋め――」
「おっさん、そっから離れろ! なにかいるぞ!!」
ざざっと音がした。
はっとして飲食店から飛び
ずるずると瓦礫の透間を何かが動いている。
「あいつか? あの黒い奴か?」
五十嵐の問いに大根田は首をわずかに傾げた。
「い、いやあ――色が白っぽくありませんか? それに、なんだか形が――」
びゃぁっ! という鋭い声と共に、瓦礫の間から茶虎の子猫が飛びだした。
「あ! 猫さん! パパ! 猫さんが――」
子猫を追いかけるようにそれは現れた。
魚の頭、と大根田は反射的にそれを認識した。
ブリ、いやマグロか、ともかく大きなぶつ切りにされた頭がずるずると子猫の後を追いかけて瓦礫の下から出て来たのだ。
絶句する皆の前で、子猫が健気な声で威嚇する。
魚の頭の後ろには『続き』があった。
蛇のような細く長い胴体が現われたのだ。
生臭い臭いが辺りに立ちこめる。
「な、なんですか、これ……生き物――」
「パパ! 怖いよ! お化けだよ! 魚のお化け!」
動揺する肩車親子と周囲の人々の前で、それはきしきしと音を立てながら、細く長い胴体でとぐろを巻いた。
大根田は目を
胴体の表面に逆さまになった文字が書いてある。いや、正確に言えば『印刷されている』紙が貼りついている。
マグロ頭が蛇のように鎌首を持ち上げた。
大根田の頭に衝撃が走る。
こいつの身体は、いや皮膚は、ひらひらしたゴミの寄せ集めなんだ。
『大漁』や『産地直送』と印刷された紙、くしゃくしゃになったビニール、ボロ雑巾、そういった物が寄り集まって『中身』に巻きついているのだ。
マグロ頭が動くたびに、『中身』は皮膚のように巻きついているゴミを突き破って飛びだす。
「……骨だ……骨が集まっているんだ……」
濁った灰色の
大根田は臭さとおぞましさに更に後ずさる。
「な、なんなのこれ、もう、やだ――」
先程、大根田の熱気に悲鳴を上げた女性はそう呟くと、交差点の方にふらふらと歩きだす。
途端に瓦礫の中から白い何かが躍り出た。
尻尾!
危ない! と大根田が声を出す前に、女性は首筋に一撃を喰らいアスファルトに転がった。
抑えた首筋から血が滲みだす。
「い、いたたたた! 痛い痛いっ! マジで、ヤバ、いたっ、痛いよぉ!」
「くそっ、速ぇぞこいつ……」
五十嵐の緊張した声。
大根田にも今の尻尾の一撃は追えなかった。
しゃーっという声を上げ、子猫がさっと前に出て体を低くする。
大根田は、舌打ちをした。
「こ、こら! そんなに前に出たんじゃ――」
「猫さん、そっちに行っちゃダメ!」
幼稚園児の声。
子猫がぎくりと動きを止める。
「おいで! こっちおいで! ほらほら!」
いつの間にか父親の肩から降りていた幼稚園児は、しゃがんで必死に子猫を手招きしていた。子猫はびゃぁっと鳴くと、マグロ頭に目を据えたままじりじりと後退し始める。
大根田は一瞬その様に注意を奪われた。
偶然――いや、この状況でそう考えるのは逆に馬鹿げてる。
猫が人の言葉を解したのか、それともあの子が猫に言葉を届けたのか。
昨日までの空想が今日はどんどん現実になっていく。頭が追いつかないぞ、これは――
突如、マグロ頭は胴体をS字に動かし、倒れている女性の方へ滑るように動き始めた。
あっ、と現状を把握するよりも早く、反射的に大根田の足はまたも勝手に動いていた。
またやってしまった、という後悔。
動いてくれてよかったという喜び。
それらをない交ぜにしながら、大根田は赤熱化させた鉄棒を振り下ろした。
がしゃり、という薄氷を割ったような音。香ばしくも不快な臭い。ビニールの溶ける独特の異臭。
だが、鉄棒のめり込んだそいつの胴体は、ひるむことなくずるずると動き続ける。
ヤバい!
さっと首を竦めると、ふおんっと硬くて速い物が頭を掠める音がした。
マグロ頭は、骨が突き出た尻尾をガラガラヘビのように振って、大根田を
背中を伝うやけに冷たい汗に負けぬよう、大根田は鉄棒に力を籠めた。
「五十嵐さん! 女性の容体は!?」
すでに駆け寄っていた五十嵐は、こいつで抑えてろとハンカチを女性に手渡した。
「今の所は大丈夫だ。傷は多いが、浅ぇ! おい、誰か怪我を治せる奴はいねぇか!?」
「け、怪我を治せるって、一体――」
肩車父は大根田の持つ鉄棒が更に赤熱化したのを見て絶句した。
「す、すごい……おじさん、それ、魔法?」
子猫を抱きかかえた幼稚園児の言葉に、大根田は力強く頷いた。
「そうだよ! お父さん! お子さんと猫と一緒に、もう少し! もう少し離れていてください!」
肩車父はこくこくと頷くと、幼稚園児の肩に手をかけ周囲にいた人共々後退しようとした。
だが、それよりも早くマグロ頭が襲いかかってきた。
アスファルトに体を着け、じゃららららっと骨を打ち鳴らしながら左右にくねって進んでくる。
いわゆる蛇行である。
大根田はまたも舌打ちをすると、片膝を落として鉄棒を脇に構える。
大根田の一撃はアスファルトに火花を散らし、マグロ頭の胴体を抉り両断した。弾け飛んだ表皮が燃えあがり、砕けた骨と異臭が辺りに飛び散る。
だが、マグロ頭は止まらない。
短くなった胴から、骨をつきだし、ムカデのように更に速度を上げ、悲鳴を上げる幼稚園児に躍り掛かる。
「お前ら、ちょっと後ろに下がれ! おおらああぁぁあああっ!!!」
うわあっと肩車父は幼稚園児を抱きかかえ、尻餅をついた。
そこに五十嵐が壁を蹴った反動で飛び込んできた。
「
五十嵐が振り下ろした一抱えもある大きな瓦礫はマグロ頭を押し潰した。ぐしゃりという嫌な音と共に赤茶けた汁が飛び散る。
だが、まだ動く。
恐らく合計は百キロ以上の、五十嵐と瓦礫の重さを跳ね返すように、マグロ頭はぐしゃぐしゃの頭を瓦礫から振るわしながら飛びだそうとした。
「……やっちゃえ」
幼稚園児の小さな声が合図だった。
蒼白い光と、破裂音が起り、大根田と五十嵐は衝撃を受けてアスファルトに転がった。
顔に小さくて硬い物がぶつかる。
「うわっ――な、なんだこりゃ? 何が起きたんだ?」
五十嵐が尻餅をついた格好で目を瞬く。
大根田は、顔についた物が細かく砕けた魚の骨だと気が付いた。
「い、いやもう、何が何だか……ねえ、君、あの魚の化け物は――」
幼稚園児はバチバチと火花を散らす子猫を抱え上げた。
「この子がやっつけたよ。お母さんと、お兄ちゃんたちのかたきをうったんだ……」
悲しそうなその声に、大根田はただ呆然と頷いた。
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