2:違和感

 大根田達は駅前大通りを、人の流れに乗ってゆっくりと東に向かって進んでいた。

 本来ならば約一キロの短い距離で、正面にはそこそこ大きな居種宮駅が見えるのだが、少し先の道のど真ん中に崖があり、先が見えなくなっていた。

 足早に帰りたいのは、やまやまだが――大根田は逸る気持ちを抑える。


 どんな危険がそこらに転がっているか判らない。例えば正面に見える崖がこっちに崩れて来たら、今道路を歩いている我々は一瞬で終わりだ。

 だからと言って、車道以上にやばい歩道も歩けない。

 注意深く、慎重に車道を進むしかないのだ。


 大根田達の後ろにいた高校生の一団が、テストが伸びて良かったと呑気な会話をしている。

「なあ、いつまで学校休みだと思う?」

「もしかして、一週間とか?」

 やべぇ、天国! と笑い声が上がる。

 五十嵐が煙草を咥え、ライターで火を点けようとして止めた。

「なあ、大根田さ――いや、おっさんでいいよな?」

「はあ、結構ですよ」

「固いな。まあ、いいか……、なあ、これっていつ元に戻ると思う?」

「それは――」

 大根田は言葉に詰まる。

 例えば、停電や断水、携帯の不通程度なら数日、遅くても一週間以内にはと答えられる。だが、ここまで何もかもメチャクチャでは……。

「……もしかしたら、その――数か月……」

 五十嵐は煙草を箱に戻すと、ライターを懐に戻した。

「……おっさん、ごまかしはいらねえよ。俺ぁ、こういうのに詳しくないし学が無いんで勘で言うんだが、一年以上かかるんじゃねえか?」

「……可能性はあります。もし、その――」

 大根田は声を潜めた。

「他の県も同じ事になってるとしたら、もっとかかるかもしれません」

 五十嵐は空を見上げた。

「……他の県、か。東京までこうなってたら、どうなっちまうんだろうな」

「東京、ですか……」

 ゾッとする。

 簡単に言えば、日本は頭を潰された虫みたいなことになっているかもしれないのだ。

 ただひたすらにもがき、やがてゆっくりと死んでいく。

 堪らず大根田も空を見上げた。

「…………ん?」


 またも違和感。

 さっき崖を見た時よりも小さな、それでいて、かなり重大な事なんじゃないかという違和感。


 まさか――いや、そんな馬鹿な――しかし、だとすると、あの『崖にも説明がつく』んじゃないか?


「おっさん、どうやらこれ以上は進めなさそうだぜ」

 五十嵐の言葉に大根田は我に返った。

 いつの間にか、あの崖の手前に到着していた。崖の幅は大きく、両端の建物の内部にまで及んでいる。

 人の流れは左右二つに別れていた。

「横道に逸れるしかないみたいだな……おっさん、右か左か、どっちだ?」

「今元泉一丁目なら、右ですね……ただ――駅の下を通れるかどうか……」

 五十嵐はすぐ近くにいた親子連れに声をかけた。幼稚園児くらいの男の子を肩車した三十代くらいの男性だ。

「なあ、こっちの道を行ったら駅東に行けるかな?」

「ああー……どうでしょうね、ちょっと判らないです」

 父親の頭の後ろからじっと大根田達を見ていた幼稚園児が五十嵐を指差した。

「パパ、ヤクザ!」

 げっと言う顔をする父親。

 同じく硬直する大根田。


 少年よ、それを言っちゃうか。

 確かに、ちょっと高そうなスーツや、凄味のある顔、立ち振る舞いからそんな感じはしていたけども、あえて言わない考えないで通してきた大人の気遣い的な物を君は今、かる~く押し壊してしまったぞ……。


 五十嵐はにやりと笑う。

「やるな、坊主。半分当りだ。俺ぁ、先週ヤクザにならないかって勧誘されたんだぜ? 断ったけどな」

 うわー、こわーい、と顔をしかめる幼稚園児に、大笑いする五十嵐。


 大根田と父親はちらちらと顔を見合わせ――力なく笑い合った。



 人々はゆっくりと進んでいた。

 地割れや隆起、家や店の倒壊などで道は時として無くなり、気が付けば、どう見ても人の敷地の中を歩いていたりする。

 それでも人の流れは止まらない。

 細かく別れ、細くなったかと思えば、合流してくる人で太くなる。


 目をやれば、道の脇には様々な人達がいた。

 瓦礫がれきを脇にどかし続けている紫色のスーツの女性、頭にハンカチを乗せて座り込んでいる中学生くらいの少年達、流れに逆らい、大根田に肩をぶつけながら遠ざかっていく老人。

「暑い、ですね」

 大根田は顎に垂れてきた汗を拭うと、ふうと息をつく。

 五十嵐はそうだな、と息をつくと額の汗を拭った。肩車の親子と会う前と同じ、ぶっきらぼうな態度に、大根田は内心ほっとする。

 前方に、壁に向かって少し傾いた自販機が見えてきた。

「おっと――」

 五十嵐はポケットを探り、ややあって苦笑した。

「停電だったんだよな。自販機も動かねえか」

 大根田が、ん? と首を傾げる。

「待ってください……確か、震災以来、非常用の電源が入ってる自販機が増えてるとか、ネットで読んだような――」

 マジか! と五十嵐は自販機に飛びついた。

 が、すぐに、あららという顔になった。

「兄ちゃん、三十分遅かったねえ」

 自販機の横の日陰で涼んでいた老婆が、五十嵐を見上げて微笑んだ。

「売り切れちゃったんだよねえ。こんな事もあるんだねえ」

 成程、自販機は全て売り切れのランプが点いていた。

「へえ、全品売り切れなんて、私はじめて見ましたよ」

 汗まみれの大根田の言葉に、五十嵐は苦い顔をした。

「呑気だな、おっさん……そういや、そこの道を広い方へ行くとコンビニが無かったか?」

「ああ、シグマがあるんでしたっけ?」


 シグマことシングルマートの前は人だかりができていた。

「申し訳ありません! お釣りがありません! お釣りがありませんので、そこら辺をご理解ください! それと次回の入荷は未定です! 本部との連絡がつきませんし、この道では配送トラックは――」

 店員が声を張り上げ、ぎゅうぎゅうの店内から出て来た男が、パックからきゅうりのキムチを出してボリボリとかじりながら大根田達の前を歩いて行った。

「こりゃ、飲み物は全滅か」

 五十嵐の呟きに、大根田は参りましたねと手でひさしを作って空を見上げた。


 抜けるように青く、そして不安になる空。


「ともかく進みましょう。今元泉までいくくらいなら熱中症にならない……と思います」

「だといいんだがな……」


 大根田達は右手に三番町を見ながら一番町を東進していく。このまま進めば、そろそろ居種宮の中心を流れる田野川たのがわ、その向こうは駅である。

 田野川は普段は水量も少なく穏やかなのだが、最近の豪雨で氾濫はんらんしそうになるのを、大根田は何度か目にした。

 思いがけないほど近くにあった脅威きょうい


 今は大丈夫なのだろうか? いきなり水量が上がるなんてことは――

 しかし、地震で水量が上がるなんて聞いたことはない――

 いやいや、田野川は大昔、暴れ川だったと聞くし、水源の月光市げっこうしの方で何かあったら――


 大根田は頭を振って妄想を追い払う。

 崖を見てから、どうにもネガティブな考えが止まらないのだ。


 こういう時こそ平常心だ。でなければ、いずれ流れてくるであろうデマ等に翻弄ほんろうされてしまうに違いない。


 大根田は瓦礫の山から突き出していた鉄の棒を掴んだ。


 毎晩の鍛錬たんれんの時間を思い出せ。

 竹刀か木刀を握っていたいところだが、今はこれだな――


 長さは一メートルぐらい。細く重く、モップよりはしっくりくる。コンクリートの粉が付いているということは、目の前の倒壊したビルに使われていたのだろう。

「おっさん、それモップとは違うようだが、熱くできんのか?」

「あ、はい、できると思いま――いや、思う。うん、できるよ、ほら」

 思わず敬語を訂正した結果、妙になれなれしくなってしまい大根田は慌てた。

 鉄棒は一気に赤くなり、凄まじい熱量を出す。

 前を歩いていた女性が、驚いて熱い! と悲鳴を上げた。

「あ、あ~、すいません! 本当に申し訳ない!」

 鉄棒から熱を抜き、ペコペコと謝る大根田に、五十嵐は参ったなと苦笑した。

「おっさん、そんなに緊張しないでくれよ。俺ぁ、確かにヤクザに勧誘されたんだが、断ったんだよ。そのヤクザの組長が、まあ、ちょっとした知り合い――ガキの頃から知ってる近所の親父だったんだよ」

「は、はあ――え、で、でも、勧誘されたんですよね? ……その、それは何故――」

 五十嵐はうーんと唸った。

「実はその――少年刑務所に入っててな、つい一ヶ月前に出て来たんだよ。で、俺も馬鹿だから、それを履歴書に書いちまってな、面接に落ちまくってたら、おやっさんが声をかけてきてくれたんだが――」

 ああ、と大根田はに落ちた。

「だから、あの時フードコートにいたんですか。うちの会社の午後からの仕事に行くはずだったんですね?」

「そうなんだよ。まあ、実は夜の仕事なんだけどな。今日は暑いから、アパートにいるとクーラー代がかかっちゃうんでなあ」

 そうですか、と大根田は頷いた。

 夜間の仕事となれば、工場の夜勤か、それとも工事現場の交通整理か……。

「おっさんは派遣会社の偉い人なのかい?」

「いやー、営業です。新しい派遣先の登録は今ではウェブでもできるんですが、直接営業をかけると、即断じゃありませんが意外と皆登録してくれるんです」

 足で稼ぐって奴かと五十嵐は感心したように頷いている。


 刑務所か……。

 一体何の罪で入っていたのだろうか?


 大根田は喉まで出かかったその疑問をぐっと飲み込んだ。

 流れからいって聞いても差し支えは無いかもしれない。だが、あまりに周りに人が多すぎるし、何といっても五十嵐とは、今日が初対面なのだ。

「五十嵐さんの――その魔法は、どういう物なんですか?」

 五十嵐はしばらく無言だったが、やがてふっと笑い、ありがとよ、と小さく言った。


 少し大きめな交差点が見えてきた。

 ここを渡れば田野川に架かる橋があるはずだ。

 人の流れが途切れない所を見ると、橋は落ちていないようだ。

「俺の魔法? はあれだよ、こう体の機能がアップするやつじゃないかな。足の速さとか、腕の力とか……あの時――」

「あの時、といいますと、私が、あの真っ黒い奴の注意を引いている時ですか?」

「注意を引く、か……まあ、ともかくその時だ。

 俺ぁ、馬鹿だからな、手近にあった鉄棒をぶん投げるぐらいしか、あいつの注意をらす方法が思いつかなかったんだよ」

「いやあ、あれが大正解だったと思いますよ。私もお陰で命拾いしましたし」

「そうかい? もっと他に方法があったんじゃないかって思うんだが――まあ、ともかく鉄棒を持って走りだしたんだが、重いやらしなるやら、あと怖くてな、足がえそうになっちまって、それで――」

「動け、もっと動け、もっと速く、もっと強く……みたいな感じですか?」

「それだ。

 おっさんもそうだったのかい?」

 大根田は頷くと、いやあと頭を掻いた。

「結局あんまり動けなくて、皆さんに助けていただきましたね。お恥ずかしい」

「恥ずかしい事なんてあるかよ。大体一人で何とかできるような――」

 五十嵐は突如立ち止まると、言葉を止めた。

「……五十嵐さん?」

 五十嵐は目を凝らし大根田の斜め後ろを見ている。


 大根田も振り返った。

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