4:墜落

「どうも助けていただきありがとうございました」

「いやあ、こちらこそお子さんに助けていただきまして、本当にありがとうございました」

 肩車父は、いや、そんなこちらこそ、と名刺を取り出した。


もくナビ! 編集部 増田章ますだあきら』と記されている。


「ああ、『木ナビ』さんですか! 私、野崎派遣会社で営業を担当しております大根田と申します」

 大根田の名刺を受取った増田も、ああ、そういえば! と声をあげた。

「先月――会いましたね、我々!」

「……スタッフ募集のやつでしたよね? いやあ、こんな薄汚れた格好で申し訳ありません」

 木ナビは株式会社カワザンコミュニケーションの一編集部で、栃木県で行われるイベントやお店の紹介等をウェブや冊子で行っている。

 いやはやとお互いに頭を下げる二人の横で、五十嵐が幼稚園児――増田育人ますだいくとと子猫の腹をでていた。


 五十嵐は大根田と相談の上、道路の端のコンクリートがめくれた所に猫達を埋葬した。

 育人に抱かれた子猫は、じっとその様子を見守り、五十嵐が墓石がわりに円筒に近い瓦礫を置いた時、甲高く長く鳴いたのだった。


「なあ、お前、こいつとその――喋れたりするのか? 猫の言葉が判るのか?」

 五十嵐の顔が少し赤くなった。

 真面目に口にする言葉じゃない。だけども、さっきまでの事はそう考えないと理解できないのだ。

「ちょっと違うかな。僕は――ええっと、この子と――」

 育人は頭を捻って、額をぺしぺしと叩いた。

「ここで、お話をする? じゃなくって、しゃべらないでお話をする――ううん、むずかしいなあ」

「……猫の心と話すような感じか? こう、テレパシーみたいな?」

「てれぱしーってなに?」

「……超能力?」

「ちょう――のうりょく?」


 五十嵐と育人は揃って首を捻って、それから笑い出した。

「なんとなく判ったよ。お前はこの猫と『繋がれる』んだな?」

 育人は、それ! と声を上げる。

「僕もこの子もお互いにわかるんだ。ね?」

 子猫はびゃぁと鳴くと育人の足に頭を擦りつけた。

 大根田と増田が会話に入ってくる。

「うちの息子にも、大根田さんや、そちらの人みたいな力が……」

「そのようですね。でも、その――」

 大根田は増田の顔をじっと見る。

「もしかしたら――いや、多分、増田さんも何かしらの魔法が使えるのではないかと……」

 私もですか? と増田は驚いた。


 首を怪我した女性は、自力で動けるようだった。

「すいません、ハンカチの方は洗って返しますので――」

「いや、別にいいよ。あんたにやるから」

 ぶっきらぼうに言うと五十嵐はすたすたと歩き出す。

 女性は困ったような顔をすると、大根田に駆け寄ってきて名刺を差し出した。

「あの、私の連絡先です――あ、でも携帯が止まっちゃってますね」


 名刺には『ライフ居種宮  清瀬孝子きよせたかこ』とあった。


「ああ、保険外交員の方でしたか。私は――」

 大根田の差し出した名刺を見て、ああ、と清瀬は頷いた。

「野崎さんの所の人ですか。いつもお世話になっています」

 いえいえ、こちらこそと互いに頭を下げる二人。そこで大根田は清瀬の首の傷が消えているのに気が付いた。

「あれ!? それ傷が――」

 清瀬はさっと首を手で隠した。

「それでは、大根田さん、あとであの人のハンカチをクリーニング――は無理そうなので洗ってお返しに上がりますので、今日はこれで失礼いたします」

 そう言うと、清瀬は交差点を南に走って行ってしまった。

 大根田は、そうか、と今更ながら気づいた。


 魔法が使えるのを隠したい人もいるのか……。



 育人は子猫を抱きかかえて、三人の前を歩きだした。

「あ、ほら! 勝手に行かないで、パパ達と一緒じゃなきゃ駄目だよ!」

 育人は振り返って、増田に唇をつき出した。

「でも車、ぜんぜん走ってないよ!」

 増田は育人に追いつくと、ほら、と肩車をするためひざを地面につけ頭を下げた。

「地震で地面に穴がぼこぉって開いてるかもしれないからダメだよ。ほら、猫さんも一緒でいいから」

 育人は腕の中にいた子猫に、パパの上に乗る? と聞いた。

 大根田は眼鏡のずれを直しながら、ごくりと唾を飲む。

 子猫は耳をぴくりと動かし、さっと増田の左肩に飛び乗った。


「ほ、本当に、育人君は動物と意思の疎通ができるんですね……」

 大根田の言葉に、育人を肩車した増田が、みたいですね、と頬を引きらせて笑った。

「親としては嬉しいような、怖いような……まあ、動物が好きな子だからなんとなく納得はできてるんですけどね」

 育人は手を伸ばして子猫を撫でている。子猫は増田の肩の上で器用に伸びをし、喉を鳴らし始めた。

「……あのね、パパ。ボク、この子の名前をかんがえたんだよ」

 遠慮がちな育人の言葉に増田が、ううんと困ったような顔をする。


 ああ、と大根田も困ったような顔になった。


 普通の子どもだったら、あの子猫は絶対にうちに連れて帰りたいと言うだろう。

 そして理由を聞けば、まあ、五割、いや四割ぐらいの親は飼う事を許可するんじゃなかろうか?

 しかし、今は時期が悪すぎる。

 大地震、いや未曽有みぞうの災害が起きた当日なのだ。自分達のこれからの生活があやふやになってしまった状態で、ペットを新たに飼い始めるというのは……。


「増田さんよぉ、俺ぁその猫を家に連れていくのに賛成だぜ」

 五十嵐はそう言うと、交差点の真ん中で大きく捲れあがったアスファルトの上にふわりと飛び乗った。

 まるで羽のような動きだ、と大根田は驚き、うらやましくなる。

「あんたはまだ見てねえと思うが、さっきの魚よりもヤバい奴がそこらをウロウロしてんだよ。これから先――」

 五十嵐が空を見上げた。

 空がやや茜色になってきていた。

 スマホで確認すると、そろそろ17時。

「暗くなったら、どうなるか見当もつかねえ。もっとやばい奴もうろつくかもしれねえ」

 増田は、息を呑んで大根田を見た。

「そ、そんなのがいるんですか? い、一体、何がどうなっちゃてるんですか?」

 大根田は首を振って溜息をついた。

「何も判りません。確実なのは、化け物がいるって事です。しかもかなり凶暴な奴が……」

 増田は、ああーっと消え入るような声を出した後、段々と笑顔になった。

「……じゃあ、しょうがないな! よし! 連れて帰ろう!!」

「ホント!? パパ、この子家に連れてっていいの!?」

「いいけど、育人もちゃんと世話――じゃなくて、その子にちゃんとトイレの場所とか教えててくれよ」

 うん! と嬉しそうな育人。


 大根田は、ちょっとホッとしながら、増田に良いんですか、と聞いた。

「なんと言いますか……我々、息子さんに加担して脅すような感じになってしまったんじゃ……」

 増田は、いやそれがですねえと子猫の腹を撫でた。

「実は前から木ナビのマスコットが欲しかったんですよ。この子にそれをやってもらおうかなと考えまして……」

「ああー……マスコットの写真をウェブにアップしたいって言ってましたよね」

「そうですそうです。飼ってる猫ならシャッターチャンスだらけですからね。

 あ、育人、名前は何にしたんだい?」

「バチリだよ!」

 はい? と大根田と五十嵐の声がハモる。

 増田は、ほうと口を丸くした。

「電気をバチバチだすからバチリ?」

「そう!」

 オッケー! とお互いに親指を立てる増田親子に、大根田と五十嵐は顔を見合わせた。



「……こんな風になるんですね……」

 大根田は下を覗き、しみじみとそう言った。

 人の流れに乗って四人と一匹は田野川に架かっている引切橋ひききりばしに差し掛かっていた。


 川は水量が少なくなっていた。


 普段の三分の一、いや五分の一程度だろうか。大きなこいが背びれを見せて、少しだけ深い場所に群れている。端の方は早くも川底の泥が渇き始め灰色になっている。

「上流の方で何かあったんでしょうか?」

 増田の疑問に大根田は首を捻った。

「ど、どうでしょうか? 雨で水量を調節する事はあると思うんですが、地震からこんな短時間でこんな風になるというのは……それにここは田野川の源流だけじゃなくて幾つかの小さな川が合流してきてるんですよね。それが一斉に水量を短時間で少なくするというのは……」

 五十嵐が腕を組んで上流をにらんだ。

「もしかしたら、ちょっと先で何かが崩れて川を塞いだのかもしれないな……」


 橋の上はひびが入っているだけで比較的歩きやすい。その所為か人がたむろしていた。端には自動車が一台止まっていて、エンジンがかかっている。

 なんとなく覗いてみると、サラリーマンと思しき若者が椅子を倒し、顔にタオルをかけて眠っている。

 災害時は避難する際には、緊急車両が通りやすくするために、車の鍵を挿したままにするのが推奨されている。

 果たして、この若者はこの車の持ち主なのだろうか、それとも――

「ここ、いきなり落っこちたりしないですよね……」

 増田の不安そうな声が、大根田の妄想を断ち切った。

「どうだかな……あれだけの地震の後だし、化け物がうじゃうじゃいるんだ。何が起きてもおかしくはねえんじゃねえかな」

 五十嵐が思いの外大きな声で言う。

 欄干らんかんにもたれていた何人かが顔を見合わせ、歩きはじめた。

「パパー、バチリがお腹がすいたって」

 育人の腕の中に移動したバチリは、ひすひすと鼻を鳴らし小さな声で鳴いている。

「おっと――スーパーかコンビニによっていくか……ああ、うちは食料大丈夫かな」

 増田の言葉に、そういえばと大根田も今更ながらに思う。

 この状況じゃあ、近所の食糧は全滅かもしれない。

 となれば、自分も増田と一緒に買い物に行った方が良いのか――


「うわっ!?」

 ばちっと鋭い音がする。

 見れば育人が顔をしかめ、その腕の中でバチリが毛を逆立て、空を見上げている。  

 大根田の視線も上がる。

 つられて五十嵐や周囲の視線も空に向いた。


「ヘリだ!」


 誰かがそう叫んだ。

 黒、もしくは紺色のヘリが上空を飛んでいた。

「あれは……自衛隊の奴か?」

 五十嵐の言葉に大根田は頷く。

「多分そうです。民間の物じゃない――んん? なんか――」

 大根田は目を擦った。


 色々あって疲れている所為だろうか、ヘリが白くかすんで見える。


「なんか、あれ、変じゃないですか?」

 増田の小さな声。

 びやぁっ! とバチリの威嚇いかくの声。

「え? 何がいるのバチリ?」

 育人の不安そうな声に、五十嵐が、おいおいと声をあげた。

「あれ、墜ちて来てねえか? 煙が出てねえか?」

「で、ですよね!? 霞んで見えますよね? うわっ良かったぁ、目が悪くなったのかと思ったー……」

 ホッとする大根田の肩を五十嵐がばんと叩いた。

「ばっか、おっさん! あれ墜落するぞ! うわ、マジだマジだマジだ!」

 ゆっくりと機体を回転させながら、ヘリは落下していく。


 プロペラ、いやローターが止まってる?


 うわーっという悲鳴が周りから上がる。

 ヘリは真っ白い煙をまとわりつかせ、居種宮駅舎の向こう側、今から大根田達が向かう東側に消えた。

 呆然とする一同。

 数秒後、意外にも小さな破壊音が聞こえ、黒煙が駅舎の向こうから立ち昇った。

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