シーラは羽を伸ばしたい

 ……疲れた。


 一日の勤務を終え、自宅への道を進むシーラ。いつも疲れてはいるが、今日は一段と疲れた。まさか、私があそこまで心の内を晒してしまうなんて……。


 力が入らない腕を持ち上げ、家へと入るドアを開ける。家に体のすべてが入ったことを確認し、扉をそっと閉める。その瞬間、シーラの緊張が一気に解けた。


 ズンッ、と頭から二本の角が生え、背中からバサッ、と大きな翼が生える。そして、太い尻尾が飛び出す。

 鋭く赤い角は火柱を彷彿とさせ、大きな翼は燃え盛る業火を思わせる。そして、尻尾の鱗は赤熱した鉄のように見える。


 シーラはぼーっとしながら玄関にある鏡を見た。


「……久しぶりね。こうなるのも」


 彼女はまったく気にする様子もなく、自分のベッドへ亡霊のように進み、そこに倒れこんだ。


「やっぱり邪魔くさいわ……」


 ベッドで寝転がろうにも、翼と尻尾があるとゴロゴロ動きにくい。角があると、動き回る時に物を壊したりひっかけたりして面倒臭い。かとって、今はこれらをしまい込むような元気はない。


 仕方ないな……。


 シーラはむくっと起き上がり、頭をかきむしりながら本棚へと向かった。なんか軽めの本はないか? そう思ってんだか思ってないんだかよく分からない手つきで本を適当に選び、その後一直線にベッドにダイブした。


 ベッドで横になりながらの読書も悪くない。シーラは黙々とページを進める。ジャンルは問わず、様々な知識を頭に蓄えていく。その過程になんとも言えない楽しさを感じ、つい夜遅くまで読書をしてしまうのが悪い癖でもある。それは、次の日に絶対にトーマスに見抜かれ、軽く説教されるほどに。もっとも、トーマスがいくら言ってもシーラはすべて聞き流しているわけだが。


 読書によって少しずつシーラの頭が覚醒してきた。そのおかげか、今日の出来事を冷静に見ることが出来た。


 あの少年は、あの冒険者の何を分かってるというのだろうか。


 あの冒険者が初めてギルドに来た時、ポートフォリオを見たシーラは驚愕した。目の前に、自分の実の親を殺した男がいる。


 しかし、シーラにはあまり母親の記憶はない。母親が殺された時、彼女はまだ幼い、……そもそもまだ、『彼女』とも言えない時だった。


 それよりも彼女の記憶にあるのは、ずっと自分を護ってくれていた兄の存在だった。気弱で、実際弱いが、とても優しかった兄。妙に繊細だった青龍。


 とはいえ、自分が生きてこられたのは育ての父さんのおかげ。だからこうして自分は人間として生きている。それに、たぶん竜として生きるよりも人間として生きたほうが楽だろう。こうやって、命の危険を感じることなく、毎日本を読んで過ごすことが出来るのだから。


 だから、シーラは別に母親を殺されたことについて恨んでいるわけではない。だが、“あのような男”によって家族がバラバラになったことが、なんとも納得いかなかった。


 私の兄さんは、本当に私を助けてくれていた。常に私のことを考えてくれていた。私のためならどんなことでもした。私は兄が大好きだった。


 ……あの男は、母を助けたいんじゃない。母を助けることを言い訳に、それ以外のことから逃げている。本当に助けたいなら、もっとやるべきことがあるはずだ。少なくとも兄さんは、時には人間の言葉を覚えて街に潜伏したことだってあったし、私が食べる食料のためにとんだ無茶をすることだってあった。それに、兄さんが人間の言葉を覚えてくれたおかげで、私も人間の言葉が分かるのだから。


 あの男に、母さんを助ける、なんて言わせない。まるで、私の兄さんを侮辱されたような気がして。


「会いたいな、兄さん……」


 シーラはベッドに顔をうずめた。




 ……そうだ、私はやるべきことがあった。シーラはむくっと起き上がり、机へと向かった。


 そもそも、兄さんは私なんかとっくに死んでいると思っているだろう。今私がすべきことは別にある。兄さんとの思い出に浸っている時間はない。


 シーラは机の引き出しを開け、そこからスクラップブックを取り出した。そこに集められた記事は、あの時の爆発。ある日突然ミスギスを襲った災害。一番目立った閃光に関する記事が多いが、中にはその前に発生した光弾の雨について取り上げた記事もちらほら出されている。

 今できることは地道に情報を集めること。そして、あの大賢人への対抗策を模索すること。


 あの光弾は、間違いなく大賢人のもの。残念ながら父さんが殺されたときの記事は残っていない。もし残っていれば、もっと比較が出来るというのに。


 シーラはノートを開き、黙々と文字列を記し始めた。新たな攻撃手段の構築から、新しく触れた分野の整理。完全に自分の世界へと入り、知識の泉へと浸っていった。

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