窓口の衝突(後編)
「……そ、そそそ、そんな……。酷いことを、よくも簡単に……」
ハヤテの顔を見て、シーラはため息をついた。これだからガキは……。
「深くお伺いするつもりはありません。ですが、見たところあなたはこの冒険者の知人のようですね。ならば、きっぱり言わせて頂きます」
シーラは一度息を大きく吸った。そして、腹に力を込めて言葉を放った。
「あのような男、ああなって当然です」
火竜のような眼光が、この言葉に力を付与する。
「あの男は、結局何も変わろうとしない。ミスギスに来たのも、向こうのギルドが手放したから。確かに報酬は上がります。しかし、あの男は天引きされた金額が今までの手取りよりも高いからと言って、すんなりと契約に『同意』しました。相場も調べずに。そして、家族への具体的な治療に関しても、ずっと『お任せします』の一点張りでした。……あの男は満足してるんですよ。自分は家族を助けてる。それも自分の槍一本で。そう思い続けて、現状を何も変えようとしない。その気になれば、こんな契約一瞬で破棄出来るというのに——」
「それでもっ、レンは頑張って——」
「あの冒険者は文字が読めないんですよ? 前の町は知りませんが、ミスギスは無料で文字を教えている場所がたくさんある。あの冒険者が少し思い立てば、私たちは優良な教室をいくらでも紹介出来るというのに。彼は、頑張っているように見せてるんですよ。他人に対しても、自分に対しても……」
「それでも、それでも……」
「虫唾が走るんですよ。あんな、ただぼーっと生きて、何も向上しようとせずに生きてる人間を見ると。今までの日常が、今の商売が、ずっと続くものだと思っている。とりあえず、このままでいいと、思考停止している人間。気が付かずに搾取され、いくらでもある助け船をまったく視界に入れない。……今いる世界が、今生活出来ているこの空間が、いかに脆くて、頼りないものか知ろうともしない。そんな奴——」
コン。
シーラとハヤテの近くに、それぞれハーブティーの入ったコップが置かれた。
「こんな熱くなってしまっては、伝わるものも伝わりませんよ?」
この過熱した話を止めたのは、シーラの後輩、トーマスだった。頭が冷えたシーラは、自分が何をやったのか理解した。そして青ざめた。
「……もっ、申し訳ありませんでしたっ! お客様に——」
「こちらこそすみませんでした、ファランクスさん。俺……」
ハヤテは急ぎ気味に魔法陣を描いた。その魔術で内容を複製すると、そのままスタスタと窓口を後にした。
「……先輩、大丈夫ですか?」
気遣う声がシーラに届けられる。彼女は一度大きく深呼吸した。
「……久々に熱くなったわ」
「ほんと、先輩があんなに感情を露わにするの、初めて見ましたよ。まさか先輩があんなこと考えてたなんて……」
「トーマス、私があの時言ったこと、全部忘れなさい」
「え……?」
「繰り返すわ。全部忘れなさい」
目つきの悪い大きな目が、トーマスを睨みつける。頬が若干赤くなり、少し涙目にもなっていた。
察したトーマスは何も言わず、そっと自分の席へと戻った。
〇 〇
ボロボロで、寂しくなるほどみすぼらしいレンの家。ハヤテは拳を握りしめ、力まないようにその家の扉にノックした。
「はーい……、ああ、君かぁ。また来てくれたんだね。さあ、上がって」
気さくな笑みに優しい声。悪意なんか微塵も感じない。ハヤテはそのレンの顔をじっくりと眺めた。
「……どうしたんだい?」
「ちょっと、話があります」
中に迎えられたハヤテは、椅子に腰かけてレンと向かい合った。そして、先ほど魔術を用いて作成した契約内容の写しをレンに見せた。その時のハヤテの目は何か訴えかけるような圧力があったが、反対にレンはぽかんとしていた。
「……これは、文字かい? 悪いんだけど、俺は文字が読めなくてさぁ……。これに何が書いてあるのか、教えてくれないかい?」
「これはあなたの契約内容です。これ、酷いですよ。報酬から9割も天引きされているなんて、とんだ悪徳企業です。向こうは、あなたが言えば簡単に契約内容を変えられる、って言ってます。それに、文字も無料で教えてもらえるって言ってました。レンさん! 変えましょうよ! このまんまじゃただ搾取されるだけです。抜け出しましょうよ!」
この内容を知れば、まず、人は動くだろう。ギルドのトップは知らないが、少なくとも受付のファランクスさんはレンの動かない姿勢が嫌いだったのだから。動けば、一歩踏み出せば、絶対に協力してくれる。動くものを支えてくれる人はたくさんいるのだから。
この考えが甘かったことを、ハヤテはこの後知ることになる。
「うー……ん」
レンの食いつきは悪かった。しばらく間が開いたが、レンはいつも通り口を開いた。
「と言っても、俺は母さんのことで頭がいっぱいだからなぁ。契約内容とか、そういう難しいことは分かんないよ」
……は?
ハヤテはしばらく開いた口が塞がらなかった。何を言ってるんだ? レンの母親を助けるために、これから契約内容を見直そうっていうのに。
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