3つ目

[今回の持論]

【学歴社会が人を縛り付ける論】


今回の持論は賛否両論がとても分かれるだろう。

…しかし、書かない訳ではないのだが。

今回の論はかなり堕落していると自分でも思う。

まあ、語っていこうと思う。


何故こんな論を出すのか。それは最近のタレント等を見ていて、

70%位が出来ており、そこから5~6年は温まっていた論が、ついに『論』

と言える程、形を成してきたからである。


最近は『おバカタレント』なる存在が多いと思う。

Youtuberも『発狂系』というジャンル(激狭)が出来てきている…らしい。

発狂だけでウケる人物は少ないが、そういうネタはとても浸透しているように思える。

…学歴が低くてもやっていける程、芸能界以外の世界は甘くない。

勿論、芸能界でも多大なストレスにより自殺したり、SNS等で叩かれたり等はあり、

『甘い』かというと、それは違うのだが。別の方向性でキツい世界なのだ…


また、『高学歴』等の肩書きで、クイズ番組等でも活躍されている方も多い。

そういうウリのポイントが無ければ、やっていけないのだろう。

私はそういった世界の住人では無いため、とても詳しい詳細は不明だ。



話を戻す。学歴について。

芸能界等では重視はされない事もあるこの学歴。

私たち一般人からしてみれば、とてもじゃないが、『重視されない』など、言えない。

重視されて然るべきモノだ。

大半の企業は〈何年制の大学を卒業〉など、募集要項に記載されている。

進学しないという選択は、今はそこまで採られない。

故に、職人等の技が消え、農家の人材が足りないといった、問題の多面化がある。


なら何故人を縛り付けるのか。ここまで書けば、分かってくるモノだと思う。

学歴が中途半端では、良い企業には入社できない。

本気で何かを目指しても、その目指した何かでの成果がなかった場合、

赤の他人にとっては『何もなかった』と否定されるような時間無駄な時間となってしまう。

…そのせいか、やはりそういう類いの選択をする人は少なくなる。


勿論、成長できたと言える時間なら良いのだが、『時は金なり』『光陰矢の如し』なのだ。

よほどの覚悟が必要だ。

人生において、そういった覚悟は何回かはあるだろう。しかし、それは進路の選択である。

若い世代が必ず経験する、最初の人生を決めるような選択なのだ…

高校や、大学も文系や理系といった差はあれど、普通科を選ぶ人は多いと思われる。

特に、高校なんて大半がそうだろう。中3でそういう選択ができるのは少数だ。

逆に言えば、その選択ができる者はそれだけ勇敢であるとも言えよう。


しかし、縛られているのだ。学歴に。

この学歴社会がまるごと変貌するということはこの先、ほぼ確実に無いと言える。

低学歴と呼べる人々にとっては、非常に厳しい社会だ。

大幅な変化は無くても、小規模な変化なら。

そう思うしかないのだろうか。

このような卑屈な考えが出ないような社会になるのなら、

それは人類の一つの差別を乗り越えられる、とても大きな一歩ともなる。


未来に幸あれ。

徒然なるままに—今日を綴ろう。

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