第10話

「嬢ちゃん、傘どうしたんだい」

 野球帽のおじさんだった。久しぶりのその顔に、ほっとしたのも束の間気まずさが体内に流れた。

「いや、忘れた」

「忘れたのか」

 野球帽のおじさんは自分の頭の上に開いている傘をやや無理やりに俺に託した。

「おじさん、悪いね」

 俺がそう言うと野球帽のおじさんは、はっはと笑っていった。

「年寄りは濡れてなんぼさ」

「いやぁ、体壊さないでよ」

「それより嬢ちゃん、なんで顔を見せないんだい。みんな心配してんだぞ」

 ごめん、と頭を下げて謝ると、いや謝ることはないけどと顔を上げるように言った。

「どうだね、例の男は」

 きっと丸田のことを言っているんだろう。

「仲良くしてるよ、ただ・・・・・・」

「ただ?」

「好きってなんだろうね、おじさん」

 おじさんは照れたように笑うと、懐かしそうにこう言った。

「そんなのな、みんなわかってねえんだ。ただ、失ってからはじめてその大切さに気付くものだ。まぁ、嬢ちゃんはまだ若いんだから大切なものだと思ったらほんとうに大切にするんだな」

 さあ、おじさんはそろそろ帰るからな。といって翻った後ろ姿はほんとうにかっこよかった。

「大切なもの、か」

 傘を握りしめて帰り道を丹念に歩いた。胸がすっきりとして雨の音でさえ心地よかった。かけがえのない大切なものが手に取るようにわかるようだった。


 

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