第11話
口から息を吐き出し、鍵穴に鍵を差してドアを開けた。靴を脱ぎ捨てて、紙袋を床に落とした。彼氏にの顔と丸田の顔が交互に揺れる。自分の中で気づきたくない心情があった。わかり切りたくなかった。
パソコンを開く気にはなれなかった。突っ立っていた時に目の端に、親のスマートフォンを見つけた。俺は時々親にスマートフォンをかりて電話をかけるときがあった。スマホを拾い彼氏の電話番号を見つける。心臓の鼓動に合わせて着信音が鳴る。諦めて切ろうとした時、応答が来た。
「もしもし、どうしたの」
甘くて優しい声だ。
「いや、元気かなと思って」
「そうか、忙しいからごめんね」
電話を切ったとき、虚しさが耳を通り抜けた。
仕事で忙しいという理由でなかなかやり取りもできない日々にさみしさを感じていたのは事実だ。ほんとうに愛されているのかも信用しきれていない。
ようやくパソコンを開く気になって、充電ケーブルをつないでノートパソコンを開いた。
パソコン自体は就労移行センターで使っていたから、なんとなく使い方はわかったけれど、慣れるのに時間がかかった。いろいろ触っていたとき、画面下のタスクバーに一件の通知を見つけた。
初めてだったので一見なにのソフトなんかわからなかったが、これでメッセージのやり取りができることがわかるまでそれほど手間はかからなかった。さみしさしか残ってなかったこころにわずかな黒い期待をもっていたことに俺は気づいていたのかもしれない。かもしれなったが、俺という人間はさみしさに弱い人間だった。
内容を見るとわからないことがあったら教えろという内容だったが、特に質問はなかったので二人の会話は当たり障りのないものだった。だが丸田はなにかと俺と話そうとしてきた。そうして話していく時点で、俺の心は浮かびあがっていた。
会話をしていると会った言う間に夜更けが来た。パソコンを閉じて、目をつむる。瞼の裏に浮かんだのは恋人ではなかった。
朝が来て例の牛丼屋に行くのが日課になっていた。いつもと同じ席に座り、あいつが定食をテーブルの上に乗せるときに笑いあうのが楽しみになっていた。俺はその気持ちにふたをしてあえて見ないふりをしていた。友達のまま終わるつもりでいた。今思えば、自分かってだったのかもしれない。だが俺は感情をコントロールすることは不可能だった.。
夜に公園で酒を飲むのも当然のようになっていた。それが必要不可欠になっていた。
「お前あんまり夜遅く出歩くなよ」
「お前が言うなよ」
「心配してんだよこっちは」
煙を吹いて、眉をしかめて煙草を押しつぶした。
「そりゃありがとよ」
俺はそのなんとも形容しがたい匂いをうらやましく睨んだ。一度も誘われたことはない。
空気を口に含んで吐き出してみたが腹の中に冷気が通るだけだった。
就労移行センターに入ってのおはようございますは、重たいものだった。皆は明るく返事をする。受け取ったピンクのファイルはずっしりと砂の入った袋に感じる。今日は訓練はしない。読書に決め込もう。まだ頭の中で二人の男がが交差している。自分は最低な人gんなんじゃないかと思えてきた。
例の手島さんが話しかけてきた。
「これからアマゾン川に行こうと思ったんだけど、何をもっていけばいいでかね」
手島さんの発想は素晴らしい。俺は笑ってこう返した。
「クロコダイルがいる可能性があるから、赤ワインでもどうですか」
いいですねと、笑いながら手島さんはトイレに向かった。少しげんきになった俺はいよいよ読書に耽った。
本の中の主人公は、兄に嫁と二人きりで一泊して試してほしいという、苦渋の願いをかなえなければいけなかった。嵐の中で兄嫁は無邪気に笑っている。主人公は兄について触れた。この時の女の涙を俺はもらった。ただその一方で愛されているこの女をうらやましく思った。気持ちは丸田に傾いている。寂しさを受けとめてくれる、人だった。
週末の昼、牛丼屋は休みならしい。二人で会う約束をした。いち早くついた俺は何かを期待しながら、自宅の最寄り駅のまえで顔を通行人やその自転車に向けていた。
「よぉ」との声に肩を弾ませて、振り向くとそこには洒落た兄さんがいた。丸田はにやりと笑って、行くぞと背中を向けた。その背中を追いかけて、その背中にぶつかったときは、目の前にプラネタリウムがあった。
「ああ、プラネタリウムか、いくらだっけ」
俺が財布を出そうとすると、丸田はいち早くチケットを二枚出してその一枚をおれにわたした。
「え、いいのか?」
「最初のデートで女に払わせたくねぇよ」
これはデートなのかという事実は追及しないことにした。
プラネタリウムは天井は大きなドーム型になっており、一階には昭和初期の歴史物が展示されている。開映時間までは余裕があったので、見て学ぶことにした。
入口から少し歩くと、左手に大きな木製の船があった。その奥に行くとハニワや刀が並べられている。ちょうどこのくらいの時代背景の小説を読んでいたので興味津々に、メモを取りながら、職員の説明を聞いた。そのたびに丸田がおもしろおかしく職員にちょっかいをかけるので思わず笑ってしまう
そうこうしているうちにあっという間に開映時間がきて二人は入り口で列に並んだ。チケットに印を押してもらい、中へと入っていく。薄暗い中、俺と丸田はわずかな緊張感を帯びて席に座った。
ドームで見る宇宙はとても偉大で、ちいぽけな自分が吸い込まれそうで怖かったが、そこに高い美術性を感じた。時折、丸田と目が合うことがあった。胸がくすぐったくなった。
家に帰ってきて、満足感と後悔の混じった倦怠感が鞄と共に落ちた。このあたりからもう自分の気持ちがあいつに傾いているのに気づいていたことに気が付いた。もう蹴りをつけないといけないのかもしれない。とはいえ、まだそこまでに至っていないのであるから、踏み込まないでそのままでいよう。なんとも自分勝手な女だ皮肉なことに。
恋人からの着信は今日もない。某SNSからのメッセージもない。風呂に入って、濡れた髪をそのままにタオルを首に巻いてベランダに出た。香るはずのない煙草の匂いを脳裏に嗅ぎながら息を吸った。綺麗な満月だった。
思い出すのは愛しいあの人で、今目の前に見えているのはあいつだ。ぼうっと考えているうちに愛してるの意味が分からなくなってしまった。愛と恋は一見簡単なようで実は複雑なものかもしれない。頬に垂れてくる透明なしずくをのみこんで、しばらくその気持ちに浸っていた。
部屋に戻り、しばらく使わなかったコンポから流れる悲しい歌詞とテレビから流れるバラエティ番組の騒音にさえいっさい反応しなかった。数分後にようやく気力が出てきてパソコンを開くと、やっぱりあいつから通知が届いていた。今日の服が気合が入りすぎだとか、あの星が綺麗だったとか他愛のない話に、笑いながらやり取りをしていた。
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