白雪姫とドロシィ(2)
「鏡よ鏡、この世界で一番美しいのは誰?」
『それは白雪姫です』
ギリッ、と奥歯の軋む音がする。半ばわかりきっていた答えにも王妃は歯噛みせずにはいられない。それでも王妃はどうにか苛立ちを噛み潰して次の質問を口にした。
「鏡よ鏡、白雪姫を――殺すにはどうすればいい?」
『物売りに扮するのです。そうすれば、如何な暗器をも打ち込めましょう』
「それは、私が、この手で、あの子を……?」
『その通りです』
「それが、一番の方法なのか」
『その通りです』
「それが、最も確実なのか」
『その通りです』
「……わかった」
王妃は鏡の中の自分に向かって頷くと、いつものように埃よけをかぶせた。
「誰か」
叫ぶでもない、ほとんど呟くような声に応じて、部屋の外に控えていた侍女が二人姿を見せる。
「久しぶりに息抜きがしたい。国境の森へ向かう故、商隊のフリをする用意をせよ」
「かしこまりました」
お忍びと言えどいくらか不自然な要求にも、侍女たちは一切の疑問を挟まない。立場上、王妃に意見できないというのはもちろんだが、それ以上に王妃お付きの侍女たちは彼女を恐れているのだった。
嫉妬の果てに、自分よりはるかに幼い継子さえ国から追放した王妃。いくらでも変えのきく侍女など言わずもがなだ。
王妃の命令を果たすため、一礼して彼女の私室を離れた侍女――王妃よりもかなり年上で、身綺麗ではあるが老いの気配を感じさせる顔つきをしている――は誰にも聞こえないように息をこぼした。
「姫様がいらした頃には、このような事はありませんでしたのに」
侍女には、いまの王妃は乱心と言っていい状態に思えた。元々気難しく、嫉妬深いところはあったが、王城へ来た頃は上っ面だけでも周囲への気遣いを見せることはあったし、無邪気に懐いていた継子の姫様を厳しく躾けながらも決して突き放すようなことはしなかった。
それが今では……。
姫様――白雪姫が突然失踪してからもうすぐ十年が経とうとしている。王妃が白雪姫と過ごした時間よりも二人が離れてからの時間の方が長くなり、今となっては王妃の本心が果たしてどこにあったのか誰にもわからない。
それでも侍女は、かつての気難しくも不器用な愛情を見せた王妃こそが、王妃の本当の姿だと思っていた。あるいはそれはただの願望かもしれない。かつて美しく在ったものが、せめて本当に美しいものだったと思っていたい、そんな年寄りの美化された思い出なのかもしれない。
それでも、そうだと信じたい。そうであったなら、きっといつか、元の王妃に戻ってくれる。侍女は毎日のようにそう願いながら、粛々と王妃に仕えていた。
* * *
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「お客さんだ」
「ええ、お客さんよ!」
森から戻ってきた小人たちに囲まれてふんすっと胸を張るドロシィを見てくすくすと笑いながらも、白雪姫は忙しなくキッチンを動き回っていた。
客人に興味津々の小人たちの分に加え、今日はドロシィの分も夕食を用意しなければならない。自分も含めて九人分だ。一人分増えるだけなら料理の手間自体はほとんど変わらないが、ドロシィというよりはもてなし好きの小人たちを満足させる料理を用意しなければならないのは負担だった。
それでも白雪姫はいつもより楽しげにぱたぱたとキッチンを歩き回る。淡白な日々を送っているとはいえ彼女も年頃の少女。退屈な日々を紛らわせることができる、たまの出来事は素直に楽しかった。
「何か手伝うことはあるかしら?」
いつの間にか小人たちの輪を抜け出してきたドロシィが、白雪姫の手元の鍋を覗き込み「いいにおーい」と鼻をすんすん言わせながら手伝いを申し出る。しかし白雪姫が何か答えるよりも先に小人たちが二人の間に割り込んできた。
「ダメだよ」
「そうそう、ダメなんだよ」
「お仕事なんだ」
「約束なんだ」
「契約なんだ」
「お役目なんだ」
「お家のことは白雪姫がするんだ」
小人たちは言いながらぐいぐいとドロシィを引っ張ってキッチンから連れ出してしまう。いかに体格差があるとはいえ七体一ではドロシィもされるがままだ。
「や、でもほら、さすがに白雪姫さんも大変かなって」
「大変だよ」
「大変だねぇ」
「でもダメ」
「でも仕方ない」
「お役目は大事だから」
「約束は守らなきゃだから」
「白雪姫がするんだから」
キッチンから強引に連れ出されるドロシィに、白雪姫は「大丈夫ですよ」と微笑んだ。完璧な美貌が紡ぐ完璧な微笑。だけどやっぱり、ドロシィにはそれが悲しそうに見えた。
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