白雪姫とドロシィ(3)

「ここで止めなさい」


 商隊に扮した王妃の一団は、国境付近に広がる森の中、普段はあまり人通りのない街道の途中で歩みを止めた。王妃が馬車を降りようと姿を見せると、馬車の護衛についていた兵士がすかさず昇降台を用意し、別の兵士が手を貸した。


 馬車を降りてきた王妃の格好は、普段城で着ているものとは比べ物にならない簡素なもので、街の物売りというには小奇麗すぎるが、さりとて彼女を知らない者にしてみれば王妃には決して見えないという中途半端な姿だった。


 もっとも、鏡が言うにはこの森に隠れ住む白雪姫は十年近くもまともな人間と会っていないというのだから、多少小綺麗な格好でも物売りを怪しむことはないだろうと王妃は考えていた。


 白雪姫がまだ幼い頃に別れて以来だ、たとえ直接顔を合わせたとて自分の顔など覚えていまい。フードで目元まで隠しておけば万全だろう。


「少し一人になりたい。お前たちは待機していなさい」


「賛成しかねます。街道とはいえ普段はほとんど人が通らない道ですから、獣の類が出ないとも限りません。商隊狙いの野盗が出る可能性も」


「うるさいぞ。妾が一人になりたいと言っているのだ。お前たちの意見など求めてはいない」


「……失礼しました。なるべくお早くお戻りください」


「ふん」


 王妃は苛立たしげに鼻を鳴らすとフードを目深に被り、「売り物」の入ったカゴを手に取ると街道の脇へ踏み込んでいった。


* * *


「よい、しょっと……あら?」


 いつもより多い料理を用意するのに不足した薪を運ぼうと家の隣の薪小屋から出てきた白雪姫は、曲がりくねった林道を通って小人たちの家に向かってくる人影に気づいて首を傾げた。


 人影は明らかにこの家を目指している。しかし、これまでドロシィを除けばこの家に小人や森の妖精たち以外の来客は無かったのだ。人影は大きさからして人間の女性のようだったが、なぜこんな場所に来たのだろう。


「よかった。人がいましたね」


 ほどなくして白雪姫の前にやってきた女性は、安堵したようにそう言った。


「何かご用でしょうか?」


「ああ、すみません。私は行商をしている者でして、この森に人家があると聞いたものですから街での商いの帰りに立ち寄ろうと思ったのです」


 女性はフードを目深に被っていたために表情は伺えないが、長身でスタイルもよく、フードの下から覗く艶のある唇が、おそらくかなりの美人だろうと白雪姫に思わせるのに十分だった。


「こんなところまでご苦労様です。あの、ですが私はお金を持っていませんし、お買い物はちょっと……」


 白雪姫が申し訳なさそうに言うと、商人の女性も苦笑いで応じた。


「あはは、いえその、私もここまでの道が思ったよりも大変で、商売っ気が抜けてしまいました。もともと私一人ではこのリンゴくらいしか持てなかったのですけど」


 女性が持ち上げて見せたカゴには、眩いばかりに艶めく大きなリンゴが詰まっていた。小人たちが森で見つけてくるリンゴに勝るとも劣らない、立派なリンゴだ。


「よければお一ついかがです? あ、お金は結構ですよ。ここまで来て何もせずに帰るのもなんですから、ね」


「……そうですね。では、せっかくですから」


 白雪姫は差し出されたリンゴに手を伸ばす。受け取ったリンゴを口に運ぶ寸前、かすかにその口元が微笑を浮かべたことに、商人はおろか白雪姫自身ですら気づいていなかった。


 しゃり、と小気味の良い音と共に、白雪姫はリンゴを齧る。その喉がごくりと動く様子を、商人はじっと見つめていた。目深に被ったフードの下の目が、笑っているのか泣いているのか、やはり本人さえわかっていないまま。


* * *


「……白雪姫さん、遅いわねぇ」


 キッチンの火に足す薪を取りに行くと言って白雪姫が出ていってから十分近くが経っていた。薪小屋は家のすぐ隣にあると言っていた。こんなに時間がかかるのはいくらなんでもおかしい。


「ちょっと様子を見て――」


「ダメだよ」


「ダメダメ」


「薪を運ぶのも」


「お料理するのも」


「お家のことだから」


「お仕事だから」


「お約束だから」


 ドロシィが腰を浮かせる前に、小人たちが滝のように制止の言葉を繰り返す。さすがのドロシィも、彼らの一方的な物言いに少々苛立ち始めていた。


「……靴さん」


「わかりました。では踵を鳴らしてください」


 小人たちに囲まれて座ったまま、ドロシィはさりげなく三度、踵を鳴らす。

 次の瞬間、ドロシィは小屋の外に立っていた。


「白雪姫さん!」


 家の前に倒れている少女を見つけて、ドロシィは慌てて駆け寄った。


「白雪姫さん! 白雪姫さん!」


 白雪姫はぐったりとその身を横たえたまま、何も答えようとはしない。力の抜けた指先から、大きなリンゴが転がり落ちた。


「ドロシィ様、これは毒です。それも魔術の類によって醸造された毒です」


「毒って、それじゃあ白雪姫さんは」


「まだ生きておられます。しかし、この毒は術者の力でなくては……」


「そんな!」


 ドロシィの叫びが聞こえたのか、家の中からぞろぞろと小人たちが出てくる。


「白雪姫が!」


「死んでいるよ!」


「白雪姫が!」


「死んでいるね!」


「白雪姫が!」


「死んでしまった!」


「いなくなってしまった!」


 悲しみでも嘆きでもない奇妙な興奮の伴った様子で、小人たちは白雪姫とドロシィを取り囲む。


「まだ生きてるよ! 小人さんたちは白雪姫さんのベッドの用意をして!」


 ドロシィが言うと、小人たちは不思議そうに首をひねる。


「白雪姫は生きてる?」


「でも、死んでる」


「でも、生きてる」


「お客さんが言うならきっと生きてる」


「それじゃあ約束だ」


「ベッドの用意は、白雪姫の仕事だ」


「それが契約だ」


「ああもう! とにかく用意してってば! 白雪姫さんが死んじゃってもいいの?」


 ほとんど怒鳴るようにドロシィが言うと、小人たちはしばしお互いに顔を見合わせていたが、やがて一人、また一人と家に引っ込んでいく。最後に残った一人は戸口からドロシィを振り返り「お客さんは白雪姫を運んで」と言った。


「……変な小人さんたちだわ」


「ええ、まったくです」


 小人たちが用意した白雪姫の寝床は、白雪姫自身がするよりもずっと整っていた。

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