赤ずきんとドロシィ(3)

「見えてきたわ。あそこがおばあちゃんの家よ」


 赤ずきんがそう言ってカンテラの明かりを揺らした頃には、すっかり日も沈み、森は夜特有の生き物の気配に満ちていた。


「遅くなっちゃったわね、少し急ぎましょ」


「というか、今更だけどわたしついてきちゃってよかったのかしら」


「気にしなくていいのよー、おばあちゃん口では帰れって言うかもだけど、あたしの友達だって言えば間違いなく泊めてくれるから。なんだったら起き出しておもてなしの準備も始めちゃうかも」


 そう言ってくすくす楽しげに笑う赤ずきんの視線の先には、質素な、けれどしっかりした作りの小じんまりした家が見えた。窓からは暖炉の暖かな明かりがチラつき、煙突からは夜闇にもうっすらと見える煙が昇っている。


「ほら、何事もなかったじゃない」


 赤ずきんに聞こえないよう、ドロシィが小声で魔法の靴に話しかける。


「そのようですね。取り越し苦労でしたか」


 魔法の靴も安堵した様子でドロシィに同意する。

 そのまま二人と一足は深まる闇に急き立てられるように歩調を速め、ほどなくして家の戸口にたどり着いた。


「おばあちゃーん、あなたの赤ずきんが来ましたよー」


 ドンドンというよりガンガンという調子で、赤ずきんが明らかにノックの域を超えた力で戸を叩く。その数歩後ろで苦笑いしていたドロシィだったが、その足元で一度は大人しくなっていた魔法の靴が、幾分慌てた様子でドロシィに声をかけた。


「ドロシィ様、あちらを」


 魔法の靴がくいっと動いてドロシィの身体を少し右に向ける。驚いてバランスを崩しそうになったドロシィは「なんなのよー」と口を尖らせながらも、靴が指し示したあたりに近寄って目を凝らす。


「何も無いじゃな……あら?」


「お気づきですか」


 ドロシィが視線を向けたのは、赤ずきんのいる戸口からはちょうど積まれた暖炉用の薪が作る死角に位置する庭への柵があった。柵は開けっ放し、というだけでなく乱暴に動かしたような跡があり、数カ所が折れている。老人が自分の庭ですることにしては荒々しい。そしてよく見るとその柵のあたりから玄関前の石畳に向かう地面には何やら――。


「大きな、あれは足跡?」


「それも人間のものではありません。これは明らかにケモノ、オオカミのものです」


「オオ、カミ」


 ドロシィの背をぞくりと得体の知れない悪寒が襲う。


 足跡は戸口に向かっている。玄関前の石畳には当然足跡なんて残っていないけど、もしあの足跡の主がこの家の中に向かったとしたら?

 だとしたら、いま家の中にいるのは――。


「……ああ、赤ずきんか。入っておいで」


 ドロシィの恐ろしい想像が一つの結論を導く寸前、家の中から酷くしゃがれた無愛想な声が返ってきた。


「ドロシィちゃん? 何してるの、中に入りましょ?」


「あ、赤ずき」


 ドロシィが呼び止めるより先に、赤ずきんはさっさと家の中に入ってしまう。慌てて追いかけると、外気と違う暖炉の熱に満ちた空気と「うぇっへん、ぉごっほん」と大げさに聞こえるほどの咳がドロシィを出迎えた。


「あらあらひどい咳。声までガラガラだし……もう、どうしてもっと早くお手紙をくれなかったの」


 背負っていた斧(本人曰く、護身用)を戸口に立てかけ、お見舞いの品が入ったバスケットを部屋の隅におろした赤ずきんは、表向きぷりぷりしながらも大好きなおばあちゃんの世話を焼けるのが嬉しくて仕方ないという様子で広くない家の中を忙しなくあっちこっちと動き回っている。


 外から見えた窓のそばに置かれたベッドには、老婆、というには随分大きな体が布団にくるまっており、ナイトキャップをかぶった後ろ向きの頭だけがのぞいていた。


「……あら、おばあちゃん、なんだかいつもより大きくない?」


「ぅぇげほっ、けっほ、ああ、そうかね。どうにも寒気がしてね、着ぶくれちまってるのさ」


「まぁ、熱もあるのね。少し待ってて、冷やすものを用意するわね」


 赤ずきんは何の疑いもない様子でパタパタとキッチンの方へ駆けていく。


「な、何事もないようだけど……」


「やはり取り越し苦労でしたでしょうか?」


 ドロシィと魔法の靴がひそひそと囁き合っていると、ベッドの中から「なんだい赤ずきん、誰か一緒なのかい」と声がした。


「ああ紹介がまだだったわ。お友達のドロシィよ。今夜あたしと一緒に泊めてあげて欲しいの」


「お、お邪魔してまーす……」


「そうかいそうかい。よく来たね、何もない家だが、まぁゆっくりしてきな」


 無愛想な声が、ベッドの中でもごもごと応答する。


「でもよく気づいたわね、おばあちゃん、最近耳が遠くなっていたんじゃなかったの?」


「一日中ベッドに引っ込んでれば、物音に敏感にもなるさね……ぅげほッ」


「そう? おばあちゃんが言うならそうなのかしら。あ、そういえば今日ね、ここへ来る途中でお花を摘んできたのよ。おばあちゃんの好きな……あら? ここにあった花瓶はどうしたの?」


「あ、ああ、ちょっと前に割っちまってね。どうしようもなくて捨てちまったよ。まったく私もモウロクしたもんさ」


「そう、残念だわ。あの花瓶によく映えると思ったのに」


 言いながら、ひとまず汗を拭くための水が入った桶とタオルを用意した赤ずきんはベッドに近づく。


 どこか奇妙な違和感はあるものの、一見して問題は何もない。看病が一段落するまで赤ずきんに声もかけづらいな、と手持ち無沙汰になったドロシィは、外で見たオオカミの足跡の意味を示すものが何かないかと室内を見回す。


 全体的に、華美にはならないながらも品の良い調度品の中で、隅に積まれた小箱の一つが半開きのまま置かれているが目に止まる。整頓された室内で妙に目だって見えたその箱を何の気なしに開けてみた。


「――これ」


 その中身を見て思わずドロシィが固まった直後、背後のベッドの方から再び赤ずきんの声がした。


「おばあちゃん、この部屋なんだか獣臭くな――え?」



 小箱の中には、割れた花瓶の残骸があった。

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