人魚姫とドロシィ(2)

「……ねぇ靴さん」


「なんでございましょう」


「言われるままについてきちゃったけど、これとんでもないことになってないかしら」


「奇遇ですな、私も同じことを思っておりました」


 微妙に会話が咬み合わないながらも、男の熱心な説得に押し切られて一人と一足が案内されたのは、四方を高い塀に囲まれた巨大な建造物。


 細い道から太い道へ、人の流れの中心へと歩き続けた先にあったそれは、通ってきた町並みのどの建物と比べても十倍やそこらではきかない規模の建築は、まさに王城と呼ぶのが相応しい威容を誇っていた。


「しかもあの人、すごくエラいみたいなんだけど」


「ですな。先ほど衛兵に王子と呼ばれているのを耳に致しました」


「王子様なのね。だからわたしもこんな格好を……」


 ドロシィが自分の服装を見下ろして微妙な顔をする。彼女はいつもの活動的な格好からフリルだらけの、一人では歩くのにも苦労しそうな何枚も布を重ねあわせた体重が二倍になっていそうなドレスを着せられていた。


「魔法の靴さんを死守するので精一杯だったもの」


「ガラスの靴を履かされそうになっておりましたな。なぜとハッキリ言えませぬがあの靴からはよくない予感が致しました。なんというかこう、サイズが合わないと地獄を見せられるような……ともあれ、こういった場所には着るものにもルールがございます」


 幸いというべきか、あまりにも大仰なドレスのおかげで静かに歩く分には足元が目立たないので、魔法の靴だけはそのままにすることが許されたのだった。


「もう、お礼なんていいのに」


「そもそも我々は何もしていないのですが」


「そういえばそうよね。お礼というならあの人魚の彼女にするべきだわ」


「まぁ、あの方は人前に姿を見せられませんからね」


「わたしたちが騒がないほうが彼女のためってこと?」


「あまり大事にしない方がいいでしょうね」


 着替えを手伝ってくれた使用人に案内されて城の奥へ上へと連れて行かれるドロシィたち。階段を登るのにもうんざりし始めた頃、ようやくそこまで通り過ぎてきた扉よりも遥かに大きく華美な装飾の施された扉にたどり着いた。


「どうぞ」


 使用人に通されてその身長の数倍ありそうな、誰がどうやって開けているんだと思うような扉に通される。さすがのドロシィもわずかに身を固くした。


 そこはまさに玉座の間。ただでさえ高い場所にあるはずなのに、天井は気が遠くなるほど高く、部屋というより広間に近い広さを備えたその最奥には、階段のように数段高くなった場所に、豊かな髭をたっぷりとたくわえた老人が悠然と腰掛けていた。


 老人の位置から少し下、階段の踊場のように一段広くなっている場所にはドロシィたちが助けた(ことになっている)王子も座っていた。


 玉座から数メートル手前までドロシィを先導すると、使用人はぺこりと玉座の老人に一礼して下がっていった。


「わざわざ着替えてもらってすまない。驚かせてしまったかな?」


 使用人が出て行くのを見送ると、王子は立ち上がってドロシィに歩み寄ってきた。


「ええとっても。あなた、王子様だったのね?」


「隠していたつもりはなかったんだけどね。どうも君は異邦の人のようだし、知らないのも無理はないかな」


 王子がそう言って苦笑いした直後「うぉっほん」と上から咳払いが話しの流れを遮った。王子はドロシィにだけ見えるように「おっと」といたずらっぽく舌を出して見せると、きりりと表情を引き締めて玉座に振り返った。


「失礼いたしました、王よ」


「構わぬ。が、余を置いてけぼりにするのは許さぬ。寂しい故な。よく覚えておくが良い」


「は、以後気をつけます」


(……ねぇねぇ魔法の靴さん?)


 ドロシィは小声で魔法の靴に話しかける。


(なんでしょう?)


(なんだか可愛いおじいさんね)


(同感ですな。尊大なようでいて茶目っ気のある人柄に見えます)


「それで、その者がお前の言っていた?」


「はい、私の恩人でございます」


「ふむ……」


 老人はそこでようやくドロシィを正面から見つめる。ドロシィがどうしたものかと見つめ返していると、髭に覆われた口元を小さく揺すってくつくつと笑ってみせた。


「余は構わぬ。好きにするがよいぞ」


「ありがとうございます」


 王子は深々と頭を下げると再びドロシィに向き直る。


「あの、わたしにはお話が見えないのだけど……」


「申し訳ない。僕にも立場というものがあるからね。父の許しがなければこういった言葉は口にできないんだ」


「言葉?」


 ドロシィが首を傾げると、父とはいえ王の前でさえ頭を下げるに留まった王子がすっと滑らかな所作でその場に跪いた。


「我が命の恩人よ。この命を救われた恩に報いる術を、私は知りません。どうかこの命と、生涯をかけて、私に恩返しをさせてもらえないだろうか」


「……え、っと」


(ドロシィ様、これはいわゆる、プロポーズというやつでは……?)


「ぷ、プロポーズ?」


「おっと、そうはっきり言われると照れるなぁ」


 顔を上げた王子は言葉通り頬にほんのりと朱が差している。


「あはは、ちょっとカッコつけ過ぎかな。恩返しというのも嘘ではないんだけど、うん。僕のことを知りもしなかった君が、僕を助けてくれた。その優しさに惚れたんだ」


「え、えっと、それはその」


 思わず後ずさるドロシィ。それは自分ではない、と言いたいのだが、それを口にすれば必然的に人魚のことも話さなければならなくなる。


「かっ」


「か?」


「考えさせて、くださぃ……」


 断ろうにも断る理由が説明できず、結局ドロシィは尻すぼみ気味に、そう答えるので精一杯だった。

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