第9話

「おい、どういうつもりだ!」


 拘束されたままの柿沼が椅子から立ちあがった。縛られた両足で跳ねながら白衣の男へと詰め寄った。


 しかし、男との間に存在する透明シールドによって阻まれた柿沼は、全身を強打して崩れ折れる。


「無駄だよ。全てにおいて格上のわれわれに手は出せない」


 痛みを堪えながら思い出したのはボディ・スナッチの言葉と同時に浴びせられた、強烈な刺激臭を持ったスプレーだった。あれで意識を失ったふたりは拘束されたのだ。その時一緒にいたはずの大家おおいえの姿はない。


「これ以上罪を重ねるな」


「罪? そんなもの関係ない。こいつは大勢の同胞を守るために必要な行動だ」


「人の肉体を乗っ取らなくとも、星人のままこの世界の仲間になればいい」


「甘いよ。同じ地球人同士でも差別が存在する。肌の色や地域、生まれた家柄でさえ差別があるというのに姿形が全く異なる自分たちを受け入れるとは思えない」


「その姿なら大丈夫だろ」


「そう思うか?」


 白衣の男は口元を歪めた。


 そして次の瞬間、男の姿が揺らぎ画像の粒子が荒れるように全身がブロックに覆われた。


 弾け散るブロック。


 柿沼の目の前で、男の真の姿が現れる。


 それは、巨大複眼と強靭な顎を持った昆虫の姿だった。


「どうだ? 俺たちのこの姿、なにかに似ているだろう」


 飛蝗ばっただ。その中でもトノサマバッタと言われる種類に似ていた。柿沼が子供の頃、カブトやクワガタと共にその姿にワクワクしたものだった。


「この惑星に来てなによりも驚いたのは、俺たちの姿に似た生物が飛蝗と呼ばれる、決して高等な生命体ではなかったということだ。お前たち地球人にとっても、時にヒーローのモチーフになる昆虫族だが、多くは忌み嫌われる対象でもあるんだよな」


 目の前に、白衣を着たトノサマバッタが立っている。彼が言葉を発するたび、飛蝗特有のあごが器用に動く。


「この姿を、地球人が抵抗なく受け入れられると思うか?」


 言葉が出なかった。人型である以外、全く違う進化を遂げた存在だ。簡単に受け入れる自信はなかった。


 だが、可能性はある。柿沼は自分の知るかぎりの知識を動員して、希望的観測を告げてみる。


「いや。案外、受け入れる土壌を持っているかもしれない。人類が異星人とのコンタクトを取ろうと試みているのは確かだ。有名なところでは『オズマ計画』ってのがあって、電波による地球外知的生命の探査が行われたし、こっちからメッセージを送って異星人に地球を見つけてもらうって取り組みもあったはずだ」


 そう。人類は地球外知的生命とのコンタクトを熱望している。たとえ姿かたちが違っても、想定の範囲内で問題にならないに違いない。


 グギグギグギ。


 ガラスを爪で引っ掻くのと同じ生理的に受けつけられない音だった。それが笑い声だと気づいた時、白衣の男の言葉が重くのしかかった。


「柿沼さん! なんですかこの怪物は?」


 栗山が目を覚ました。手足を縛られた状況を知った彼は、身悶えして怒りを爆発させる。


「くっそ! あとで後悔するぞ、怪物!」


「落ちつけ栗山」


「柿沼さんは大丈夫なんですか?」


「ああ、心配ない」


「ほらね」


 肩をすくめて白衣の男が言った。


「この男の反応がすべてさ。でもまあ、君たちの来訪は歓迎しよう。労せずにふたり分の器が手に入ったんだから。俺がいうのもなんだけど、飛んで火に入る夏の虫ってやつだな」


 グギグギグギ。


 その笑い声に、栗山が顔を歪めるのがわかった。


 すべてを達観したように白衣の男が操作盤に指を走らせる。


 節くれた指が導くままに、それまで闇に包まれていたカプセル状の装置が浮びあがった。


 誘拐犯は超優秀な頭脳を持ち、この異次元に生活空間を構築した天才である。


 そして、男は故郷へ帰る方法よりも、地球人の肉体を乗っ取ってこの世界に紛れこむ方向へと舵を切った。


 男の名は、セ・ダォ。


 ボディ・スナッチのシステムを開発し、そのために多くの人々を誘拐している。


 柿沼と栗山もその器のひとつとして選ばれたのだった。

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