何も出来ない俺が歯がゆい

 子、曰く。

 なんて始まりは置いておいて。


「すみません……時森先輩……」


「だから気にするなって。こんなことでいちいち怒りはしねぇよ」


 風呂を貸してもらい、ジャケットを水洗いで一時凌ぎした後、俺は帰るべく玄関先にいた。

 そして、俺を見送りに来てくれたのは大和さんではなく大和後輩。


 青い寝巻き姿が明かりによって少しばかり輝いており、彼女が何処と無く綺麗に見える。


「ですが……」


「これも社会経験として受け取るからさ」


 そこでは未だに申し訳なさそうにする大和後輩の姿。

 兄がかけた迷惑なはずなのに、こうして妹が必死に謝っているのは……なんと言うか違う気がする。


「もう謝んなよ大和後輩。こういう時に、一歩引かないと、人生損するぜ?」


 相手がいいって言っているのであれば素直に引けばいい。

 そうする事とによって変ないざこざも起こらないし、不快にさせることも無い。

 時には思いもよらぬ幸が訪れるかもしれないのだ。


「……昔と一緒」


「ん?」


「な、なんでもないです!」


 何か聞こえたような気がするのだが……まぁ、いっか。


「んじゃ、俺はもう行くわ。大和さんに、今日は楽しかったですって伝えといてくれ」


 あまり長居するわけにもいかない。

 だから俺は手提げのバックを抱え、大和後輩の家に背を向けた。


 そしてーーーー


「時森先輩っ!」


 後ろから、彼女の小さな手が俺の袖を握る。


「ど、どったの大和後輩?」


 いきなりの事で口調がおかしくなる程戸惑ってしまう。

 しかし、そんな俺の様子を他所に、大和後輩は覚悟を決めたような顔つきで口を開いた。


「……時森先輩って、本当にお付き合いしているんですか?」


「……え?」


 ……どうして今、そんな事を言うのだろうか?

 前振りも、予兆も何も無く、ただただ別れようとしただけ。


 なのに、急に引き止めたかと思えばこのセリフ。

 それにーーーー


(なんで、そんなに悲しそうにするんだよ……)


 覚悟を決めた顔が、徐々に湿っていく。

 俺が言葉に困ってしまっている間、その瞳がどんどん潤み始める。


 大和後輩の不安が……ひしひしと伝わってきた。


「……一応、柊夜と付き合っているよ」


 何故だか、皆の前で高らかに報告した時よりも、言葉が重く喉に詰まる。

 理由が分からなかったけど、どうしてもこの一言は彼女には言ってはいけないような気がしてーーーー


「や、やっぱり……ほんとだったんですね……」


「や、大和後輩……?」


 彼女の瞳に涙が浮かぶ。

 どうして、今ここで涙が出るんだよ……?


 当然の事態に俺の頭が追いつかない。

 俺、大和後輩に何かしたのだろうか……?


「だ、大丈夫か大和後輩? もしかして、俺何かしーーーー」


「い、いえ……せ、んぱいは何も悪くありません……わ、私が悪いだけで……っ!」


「別にさっきの事は大和後輩が悪い訳じゃないって! 本当に誰も悪くないから!」


 俺がお兄さんに悪態ついたのがいけなかったのか!?

 や、流石に女の子に泣かれるのは絶対にダメだって!?


 俺はどうにかしようと、必死に頭を巡らせる。

 だけど、考えても考えても何が原因で大和後輩が泣いているのかが分からない。


「なぁ……大和後輩ーーーー」


 だけど、このままにしては置けなくて。

 俺は涙を流し俯く彼女に向かって手を差し伸べる。

 するとーーーー


「ごめんなさい……っ!」


 大和後輩は玄関へと戻っていってしまった。

 顔を向けず、俺の姿を見まいと、足早に家の中に入っていく。


「………」


 その姿に、俺は黙って見送る事しか出来なかった。

 泣いている女の子に対して、俺は何も出来なかった。


「最悪だな……くそっ」


 原因は分からない。

 大和後輩がなんで涙を流したのかが分からない。


 だけど、俺に原因があるような気がして。

 そして、分かってやれなかった俺が歯がゆくてーーーー


「俺は、まだクソッタレなのか……」


 静けさが残る住宅街に、俺のそんな呟きが残った。



 ♦♦♦


(※千歳視点)


 最悪だ。

 最悪だ最悪だ最悪だ……!


「ひっぐ……うぅ……!」


 玄関の扉を閉め、私は一人蹲る。

 嫌でも流れるこの涙は留まるところを知らない。


 今度、鷺森先輩と神楽坂先輩に聞いてみるはずだったのに。

 この気持ちを抑えようとしたはずなのに。


 時森先輩に優しい言葉を投げかけられただけで。

 懐かしいあの時の言葉を聞いてしまっただけで。


 心の中の私が、時森先輩を諦めきれなくてーーーー否定したくて……聞いてしまった。


 だけど、やっぱり事実は事実で。結果は変わらなくて。


 どうしようもなく悲しくなって。

 自然と、涙が出てしまった。


 時森先輩は悪くないのに。

 悪いのは、想いを告げず一人で打ちひしがれる私なのに。


 時森先輩に迷惑をかけてしまった。

 戸惑ってしまった時森先輩の声は震えていて、凄く悲しそうだった。


 そうさせてしまったのも全部私の所為。

 変わったと思ったのに変われてない私の所為。


「どう……すればいいの……かなぁ…」


 そんな答えは、誰も答えてくれるわけがなかった。



 教えてくれない問い程、悲しいものはないのに。


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