第四十六話 刺客

 うまく佐庭の邸に忍び込み、千歳は隣を走る白兎と笑い合った。

「本当にうまくいくとは思っていませんでしたよ、兼良さん」

「俺もちょっと疑ってた。ごめんな」

「全く。反省の色が見えないよ?」

 先を走る二人に苦言を呈しながらも、兼良も内心胸を撫で下ろしていた。

 兼良が提案したのは、言い方を変えれば安直な作戦だった。曰く、番人を闇から襲って倒してしまおうというものだ。

 それを踏まえ千歳は右、白兎は左の番人に背後から襲いかかった。とはいえ、後頭部を殴り付けただけである。

 力加減に気を付け、相手が昏倒したのを見計らって草壁と兼良を呼んだ。何処から持ち出したのか、草壁が一つこうを取り出して彼らの側に置く。

「さあ、行こうか」

 草壁の合図で、千歳たちは邸の中へ駆け出したのだ。

 後で聞いたところによると草壁が置いた香は、人を酩酊させる効き目があるという。これで、昏倒した彼らは意識を取り戻してもすぐには動けない。

「何でも、使いどころっていうものがあるからね」

「……おれは、皇子様のその知識が怖いですよ」

「ふふっ。褒め言葉と受け取っておこうか」

 そんな話を小声でしながら、四人は闇を駆ける。

 幾つもの建物が並び、何処に行けば良いのかわからない。また千歳たちの侵入に気付いたのか、先程から敷地の至るところで喧騒が聞こえる。

「皇子様……!」

「……可能性を一つずつ潰していくしかない、か。まずは庭に向かおう」

 右斜め前から、誰かが向かってくる音がする。四人は方向を変え、少し遠回りになるが邸を外回りする道を取った。

 追手から逃げるように、真っ暗な庭に辿り着く。庭の中を流れているのか、何処からかさらさらという水の流れる音がする。近くの川から水を引いてきているのだろうか。

 雲に隠れていた月が現れ、ぼんやりと庭を照らす。月明かりで見えたのは、人の手で掘られた川と幾つかの島、そしてまばらに植えられた木々だった。川の途中には池のような溜まり場があり、ポチャンと魚の跳ねる音がした。

 その庭をきょろきょろと見回したが、倉が数棟あるだけで地下に続きそうな穴も見当たらない。

「ここではないとすると、邸の中かもしれないですね」

「中は、彼らの庭のようなものだろうね。より慎重に……」

 千歳に応じた草壁が踵を返した直後、目の前に五人の男たちが現れた。闇に溶け込む藍色に染められた衣を身に付け、こちらの様子を窺っている。

「……お前たち、何者だ?」

「夜分遅くに申し訳ない」

 しわがれ声に問われ、草壁は丁寧に夜分遅くの訪問を詫びた。そして表情を固いものに変化させると、彼らの方に視線をやる。

「こちらに世話になっている娘を引き取りに来た。……私たちを引き合わせて貰いたい」

「それは、出来ない相談だ」

「……誰だ?」

 草壁の身を守ろうと前に出た兼良が誰何すると、男たちの後ろからもう一人やって来た。彼は「こんばんは」と品よく微笑んだ。

「これはこれは、草壁皇子様自らお越しとは。……ようこそ、我らの領分へ」

 丁寧に頭を下げ、男は己を「陰だ」と名乗った。

 その出で立ちは、黒一色。衣も袴も紐も全て、闇色だ。

 やけに白く見える顔に浮かぶ両の目は、底冷えするような冷たい黒を宿している。その双眸を真正面から見据え、草壁は日だまりのように微笑んでみせた。

「私たちの要求は既に伝えた。そこの者が、娘を──葵を返すことは出来ないと言う。その理由を、あなたに尋ねても良いかな?」

 一瞬、草壁の眼光が鈍く光ったように千歳には見えた。

 陰と名乗った男は「ふむ」と考える仕草をして、その腕を解く。

「我らは、この邸の主に雇われている。雇い主が『応』と答えぬ限り、どうすることも出来ないな」

「ならば、力付くで取り戻すまで。……葵の居場所だけ教えて貰おう」

 草壁の合図で、千歳と白兎が飛び出した。二人の手には、それぞれに小型の剣が握られている。月光に輝く、銀色の刃だ。

 陰は面白そうに唇を歪めると、右腕を前に差し出して人差し指を伸ばした。指の先にいるのは、草壁である。

「やれ」

 合図を受け、陰の背後にいた五人の男たちが走り出す。それぞれに剣や弓、分厚い木の棒などの得物を持ち、草壁へ殺到する。

 五人は千歳と白兎をすり抜け、二人は一気に顔を青くする。振り返ったが、今走り出しても間に合わない。

「皇子様!」

「逃げて下さい!」

 二人の叫びも虚しく、草壁は五人の刺客に殺害され───

「うわぁっ?!」

「な、何だ貴様!」

 ───なかった。

「全く。僕の存在を忘れてもらっては困りますね」

「流石、兼良。助かったよ」

「あなたには、無傷で帰ってもらわなければ。勿論、葵も。……でなければ、側人である僕の立場がありません」

 そう言って微笑んだのは、草壁を背に隠した兼良だ。兼良の手には、長い棒の先に鋭い刃のついた矛が握られていた。

 今、兼良は五人を矛の一閃で吹き飛ばしたのである。刃は衣を斬るに留め、槌のような石突きで殴り飛ばしたのだ。

「へぇ……」

「皇子様には、触れさせない」

 目を見張り楽しそうな陰に向け、兼良は矛を突き付ける。

 その姿を目の当たりにして、千歳は思わず「凄い……」と呟いていた。

「兼良さんって、矛使いだったんだ」

「そういや、知らなかったよな」

 隣に立つ白兎が笑う。どうやら自分には知らされていなかったと知るや、千歳は浅いしわを眉間に刻んだ。

 それを見て、また白兎は笑う。

「怒るなよ。兼良さんの矛は、稀にしか見られない秘技なんだ。だから、あまり多くの人に知られるのを嫌がってるんだよ」

「もう、そんなことを言ってはいられないけどね」

 白兎の声が聞こえていたらしく、兼良が淡く声で笑った。その目は陰を見据え、動かない。

「次はない。……通せ」

「良いだろう。但し、居場所を教えることは出来ない。首が飛ぶからな」

 兼良の眼光に射られ、陰は肩をすくめた。配下の何人かが異を唱えようと口を開くが、その時には既に彼の姿はそこにない。

 陰を追うように闇に消えた刺客たちを見送り、白兎がふっと息を吐く。

「兼良さんのお蔭で助かった」

「……僕は、何もしてないよ」

 いつものように穏やかな目をして微笑む兼良だが、陰に見せた姿は別人だった。その側面を知っているのは、兼良と本気で対峙した敵と、草壁だけである。

「さあ、邪魔者は消えた。佐庭の人が出て来る前に助け出すよ」

 草壁の言葉を合図に、千歳たちは地下へ繋がる道を探すために邸の中へ忍び込んだ。

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