失われた想いの先
第三十話 ひとつ目の話
千歳と白兎、それに八咫が宮にたどり着いた時、草壁は自室で書を読んでいた。そして物音を聞きつけて表に出、汗だくになった彼らを見付けたのだ。
「白兎! 千歳は怪我をしているね。……それにきみは」
「話は後だ、皇子様。千歳を治療してやってくれないか」
荒くなった息のまま、白兎がそう願い出る。草壁は何かを察して「少し待っていて」と言い置くと、何処かへ姿を消した。
普通、身分の高い者は自ら部下のために動くことはないとされる。しかしながら、変わっていると有名な草壁には当てはまらなかった。
千歳は少しだけ、皇子の登場に慌てふためくであろう薬師のことが可哀そうになった。
「今のうちに、汗を拭こう。このまま皇子様の前に出るのはもう御免だ」
「確かに」
白兎の提案で、上半身裸になった三人は桶に溜めてあった水に布を浸して体を拭った。千歳は傷に触れないよう、その周りを洗い流す。
「お待たせしたね」
思いの外早く、草壁は薬草を手にして戻ってきた。聞けば薬師は自分も行くと言い張ったそうだが、草壁は固辞したらしい。
「だって、きみたちが汗だくで怪我をしているということは、何かあったということだろうから。関係のない人を巻き込みたくない」
既に衣を着直し終えていた千歳は、素直に草壁の治療を受ける。煎じた薬草が傷口に塗られ、痛みを噛み殺した。
「これで、よし」
「……ありがとう、ございました」
血は止まっても、痛みは残る。その痛みも薬で薄まり、千歳は草壁に頭を下げた。
「構わないよ。それに」
草壁はちらりと八咫を見て、少し弾んだ声で問いかけた。
「きみは土蜘蛛だろう? ……いや、その言い方はおかしいな。正しくは土蜘蛛と呼ばれている人々の一人だろう、と尋ねる方が良いかな」
「……どちらでも。その呼称は、もう僕らの恥ではありませんから」
浅黒い肌を恥じることなく、八咫は真っ直ぐな瞳で草壁を見返した。その真剣な答えに、草壁は笑みを浮かべる。
「ならば、よかった。名を、教えてくれるかな」
「八咫」
「やた、八咫か。……良き名だね」
ふわりと微笑んだ草壁は、さて、と腰を下ろした。彼の目の前には、千歳と白兎と八咫がいる。
「何か、わたしに話したいことがあるんだろう? 千歳が怪我をした経緯を含め、教えて欲しいな」
兼良と葵も呼ぼう。そう言って再び立ち上がろうとした草壁に、千歳は少し強めの声で頼んだ。
「葵は呼ばないでください」
「何故か聞いても?」
「……っ」
真摯な顔で見返され、千歳は言葉に詰まる。しかし、答えなければ呼ばれることは明白だ。どうせ話すことなら、と千歳は覚悟を決める。
「……これからおれが話すのは、おれと葵の記憶に関することだからです。まだ、あいつには話せない。だけど、ここでおれたちと関わるみんなには、知っていて欲しいんです」
「葵に話す予定は?」
少し険を加えた顔で、草壁が問う。千歳は、それを見返して口を開いた。
「みんなに信じてもらえたら、必ず」
「わかったよ。呼ぶのは、兼良だけにしておこう」
草壁は眉間の険を取り、隣室に呼び掛けた。すると、そこで壁を背にして胡坐をかいて座っていた兼良が立ち上がる。
「え……いたんですか、兼良さん」
「僕が皇子様の傍を離れるわけがないだろう。それから、葵は女官たちと共に仕事に行っているからしばらく戻らないぞ」
草壁の元だけでなく、葵は女官の仕事も覚えていた。ここの仕事だけでは女の葵はつまらないだろう、と草壁が知り合いを増やす意味も込めて紹介したのだ。
また葵が外を知ることによって、草壁に仇成す存在の情報も得やすくなるという読みもある。しかし、今はそれは良い。
「話してくれるかい、千歳。そして、八咫」
「はい」
「はい」
葵以外の全員が揃い、千歳と八咫は居住まいを正した。
「僕が住む村には、
先に話し出したのは、滅びの国の物語を知る八咫だ。その内容は、以前葵に話したものと同じである。
女王が一人の弟を傍に置き、役割を分けて国を治めていた。
しかしある時、誤算が起こる。女王の側近であった弟の友が、二人を裏切って敵国と通じ、反旗を翻したのだ。その結果、弟は首を取られ、女王は捕らえられた。
「……敵となった男の前に引き出された時、女王は最期に言ったといいます。曰く、わたしは、お前を決して許さない。そして、己を信じなかったわたしをも。必ず再び生を受け、お前の命をもらい受けよう。そして、弟を見つけ出してみせる、と」
きっと、女王は弟が殺されたと知らなかったのでしょう。八咫は目を伏せてそう言うと、
「そう宣言し、女王は自ら胸を刃で突いて事切れたとか。男は女王に懸想していたとも、男は女王の夫であったとも伝わりますが、真実は誰も知りません」
「八咫の村には、女王が残したものが伝わっていると前に聞いたけど?」
話し終えた八咫に、白兎が尋ねる。八咫は頷くと、手でその形を表現しながら言った。大きさは、人差し指と親指を広げたくらいのものだ。
「ああ、そうだね。女王がの残した勾玉が伝わって、祠に収められています」
「それが、私の求めた幻の国……」
草壁の呟きに、八咫は首を傾げた。しかし草壁と白兎から説明を受け、納得する。
「確かに、皇子様がおっしゃる国は僕が知る話で間違いないようですね。……この国の女王は、他人を信じすぎたために滅びてしまいましたが」
そう言って、八咫はちらりと千歳を見た。先程から一切口を挟まない彼が、自分が語る物語をどう思ったか気になったのだ。
「千歳?」
「―――ああ、すみません。ちょっと考え事を」
咳払いをして気を取り直し、千歳はくすっと笑った。
「何だよ、千歳」
「ああ、ごめんな白兎。……なんか自分のことだってのに、こうやって伝わって来たものを聞くと違うんだなって思っただけだ」
「「自分のこと?」」
草壁と兼良が同時に首を傾げた。その仕草に苦笑した千歳が目を閉じる。頭の中を整理して、ゆっくりと話し始めた。
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