秘された夢

新たな日々

第十七話 新たな約束

 思いも寄らない理由を耳にして、あおいは言葉を失った。

「毒……!? あんな優しげな方に」

「驚くだろう? おれたちの村じゃ、あり得ないからな。だけど、この都って場所ではよくあることだって聞いたんだ」 

 驚く葵に同意した上で、千歳ちとせは苦々しい表情をした。

「おれは、草壁くさかべ皇子様に命を助けていただいた。だから、今度はおれがあの方を助けたいんだ。……村に戻らず心配させたことは、本当に悪かった。だけど、わかってはくれないか?」

「……はぁ」

 葵は大きなため息をつき、やれやれと首を振った。彼女の仕草を否定と感じ、千歳の胸はキリリと痛んだ。

「全てわかってくれ、と言うのはおれの我が儘だな。葵は村に戻って、おれのことは忘れ……」

「一緒にいる」

「は?」

 自分の言葉を途中で遮られ、千歳はぽかんと葵を見詰めた。葵は何かを決意した表情で、千歳を真っ直ぐに見詰める。

「一緒にいる。一緒に、草壁皇子様をお助けする。……もう、千歳と離れたくない」

「葵……」

 千歳は目を丸くして、次いで吹き出した。あははと笑い始めた千歳に、葵の方が戸惑う。「千歳?」と尋ねると、千歳は涙が浮かぶ目元を拭って笑いを収めた。

「あ~笑った。そんなに深刻な顔しなくても、おれは葵から離れることはないよ」

 ぽんっと葵の頭に手を乗せて、千歳は愛しげに微笑んだ。その表情に、葵の胸が苦しくなる。

 葵は千歳の目の前に、自らの小指を立ててみせた。

「絶対、一緒に村に帰ろう。約束」

「ああ、約束だ」

 指切りをして、二人は笑い合った。

 千歳が村を出て、早四年。ようやく二人は出会うことが出来たのだ。


「皇子様」

兼良かねら

 白兎はくとが所用で去った後、草壁は庭をぼおっと見つめていた。いつの間にやら夕刻が近付き、西の空が赤く染まっている。

 従者である兼良に呼ばれ、草壁は首を傾げた。どうしたのかと尋ねると、朗らかに微笑みながら彼は口を開いた。

「先程、千歳が僕のところに来まして、葵も皇子様に仕えたいと言っている。そう、教えてくれました」

「そう、葵も……。わたしは、人に恵まれているな」

 少ないながらも、信頼のおける人々が自分の周りにいてくれる。それがどれだけ心強いことか、と草壁は微笑した。

「その千歳と葵はいずこへ?」

「千歳が宮の中を葵に案内するとか。外に出るわけではありませんから、行っておいでと許可を出しておきました。千歳があなた様に仕えていることは、この宮の中では誰もが知っていることです。葵を連れているからと言って、ちょっかいをかける者もいないでしょう」

「それもそうだな。葵は都に憧れを抱いていたというから、ようやく約束を守ることが出来るというわけだね」

「ええ」

 千歳を拾った当初に、草壁たちは彼から幼馴染との約束の話を聞いていた。どんな任務についていても、千歳が幼馴染の葵のことを忘れたことはない。必ず生きて戻ると強く心に誓って、どんな時でも戻って来た。

 仲睦まじい二人の様子を思い出して頬を緩めた草壁だったが、千歳の報告内容を思い出してふと眉間にしわを寄せた。

「しかし、千歳が持ち帰った事には驚いたな」

「そうですね……。大津おおつ皇子様といえば、一つ年下の草壁皇子様の弟君。彼自身には皇子様を追い落とそうという意志はありませんが、取り囲む者たちはそう思っておりません」

 兼良は緩く首を横に振り、草壁は肩をすくめた。

 大津は草壁の腹違いの弟にあたる。快活で自信家、文武両道と兄である草壁とは正反対の性質を持つ。

 彼自身は日継ひつぎの皇子と目される草壁を支えられる者になりたいと常々口にしている。しかし己の利に固執する貴族たちからすれば、それは甘い考えなのだろう。

「あの毒も、あの子の周りにいる貴族のどれかの仕業、か」

 草壁自身を殺しかけた、あの毒。口に入った瞬間に味わった激痛は、未だに忘れられない程だ。

 何とか一命をとりとめたものの、草壁は以前にも増してか弱くなった。脆弱な肉体は激しい動きについて来られず、病にも弱くなった。季節の変わり目など、特に体を壊しやすい。

 それでも、大津はこの件に関わっていない。草壁はそう信じたかった。

「なあ、兼良」

「何でしょう?」

「……わたしが皇子で、本当によかったのだろうか」

 それは、決して口にすべきでない言葉。しかしわかった上で尚、草壁は疑問に思い続けている。

「正直、わたしよりも大津の方が頭もいいし行動力もずば抜けている。大王おおきみが真に望むのは、そんな次代だろうから」

「皇子様……」

 兼良は何か声をかけようとして、やめた。草壁もわかり切っているのだ。それでも、何故が頭をよぎって離れない。

 そうとわかっているから、兼良は別の励ましを用意した。

「ですが、こんな皇子様だからこそとついて来る者もおりますよ。白斗や千歳、葵、そして僕もです」

 草壁の琥珀色の目が大きく開く。そして、泣きそうな顔で微笑んだ。

「……そうだね。ありがとう」

 自分を信じてついて来てくれる者たちのためにも、自分は生きてすべきことをしなくてはならない。草壁は自分に出来ることはする、その約束を己と交わした。

 空が群青色に染まりつつある。草壁たちの耳に千歳と葵の声が届いたのは、それから比較的すぐのことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る