間の話 官吏宅の家族会議
葵が梓の話を聞いて泣き崩れ、藤が彼女をそのまま自室へ運んだ後のこと。
藤が松葉のもとへ戻ると、そこには藤の妻となった朱華も来ていた。
「あなた、葵は?」
「寝かせた。泣いてはいるが、目は何処も見ていないようだ。……よっぽど衝撃を受けたんだろう」
「そう……。さっき、
朱華はふう、とため息をつき、心配そうに葵の部屋の方向を見た。
彼女は、葵と千歳の幼馴染みだ。幼少の頃からずっと一緒にいて、二人の関係の変化をつぶさに見つめてきた。だからこそ、思うところもあるのだろう。
藤がちらりと父・松葉を見ると、渋面を作って腕を組んでいる。人差し指をとんとんと動かしているのは、何かを考え込んでいる時の癖だ。
「父上」
「……なんだ?」
「父上は……葵が何を望んでいるか、ご存知ですか?」
「知らぬわけがないだろう」
大きなため息をつき、松葉は眉間にしわを刻んだ。
「知っているからこそ、葵がいつそれを言い出すかと肝を冷やしているんだ」
「……そうですよね」
藤は朱華と顔を見合わせ、苦笑いを漏らした。
妹の行動力は、昔から変わらない。思い立ったらすぐに動き出す。父はそれを危惧しているのだ。
しかし、きっと今の葵にはそれを考え付く余裕はないだろう。誰かが背中を押してやらなくては、彼女は一歩を踏み出せない。
己が望むことに、気付けない。彼に会いたいという一心で今日まで生きてきたのだから。
藤は妹の代わりに、父に直談判することを決めた。朱華も夫の考えに気付いたのか、きゅっとその拳を温かな手で包んでくれる。これほど力強い味方はいない。
「父上、お願いがございます」
「……言ってみろ」
「葵に、許しをやって欲しいのです。もし、あの子が『千歳を探す旅に出たい』といったなら」
「……」
無言で父に見据えられ、藤は気圧されそうになるのを堪えた。その瞳は厳しく、こちらを威圧してくる。
それでも、藤は兄として、葵を傍で見守って来た者として、引きたくなかった。
「お願い致します。葵の、五年分の願いを叶える機を与えてください」
指を床につき、藤は松葉に頭を下げた。その横で、朱華も「お願い致します」と腰を折っている。
息子夫婦の行いに目を見張った松葉は、それでも渋面を崩さない。彼にも彼なりの思いがある。いつまでも顔を上げない息子たちに、松葉は問うた。
「……葵一人で村の外に出すということは、あの子の命を無防備に放つということだ。もしかしたら、千歳に会うため都にたどり着く以前に、死ぬかもしれない。千歳は既に死んでおり、葵は会えないかもしれない。その可能性があると知っても、藤、お前は行かせろというのか?」
「はい、父上」
間髪入れず、藤は答えた。顔を上げ、歪む父の顔を見つめる。
「あの子は、葵は、死にません。必ず、千歳と共に戻って来てくれます」
「わたしも、葵と千歳を信じています。どうか、お願い致します!」
藤と共に朱華も再び頭を下げた。
確証はないのだ。千歳が行き倒れずに都にたどり着いていることも、葵が無事に千歳に会えるということも。それでも、そうしなければ葵は進めない。ずっと、この村で時を無為に過ごすだろう。生きているのなら、千歳が村に帰って来るまで。
どれくらいの時が経っていただろうか。藤の頭上から「はぁ」というため息が聞こえてくるまでに。
藤と朱華が顔を上げると、やれやれという顔で松葉が苦笑いをしていた。
「葵もそうだが、藤、お前も誰に似たんだろうな? 妹を危険にさらすと宣言するとは」
「父上、決してそういうわけでは」
「わかっている」
松葉は息子が幼い頃のように、藤の頭を軽く撫でた。それから藤と朱華と目を合わせ、立ち上がった。
「葵がもし、自ら私の前にやって来たら、許そう」
「父上……!」
「全く……。私は、勤めに行ってくる」
松葉は身を翻し、その場を去った。後に残された藤と朱華は、未だ自室で落ち込み寝ているであろう葵に、どうやって旅立つ決心をさせるかを話し合った。
それが、葵が松葉の前に出る前日晩のこと。
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