第ニ話 平成
「本当に久し振り…。」
振り返った僕の目に、はにかんだ懐かしい笑顔が飛び込んできた。
いつもの様に、吉祥寺駅改札を出てくるものと思っていたのだ。
「商店街で買い物をしていたの。」
「そうなんだ。」
彼女は就職を期に黒髪に戻していた。
ショートボブの彼女も可愛らしくて愛おしい。
二人は一緒に井の頭公園方面に向かって歩き始めた。
行き付けの老舗の焼き鳥屋を目指して。
その昭和の匂いが残る店にも、建て直しの噂が在った。
「花嫁修業中なの…。」
「結婚するの?」
「うん、父の会社の取引先の人。
一人っ子だから親に孫を見せたくて…。」
「おめでとう…、で良い?」
「うん。」
ハイヒールの彼女と歩くのは初めてだった。
いつもより若干ゆっくりと歩いていく。
店に行く途中で公園から帰る人達と擦れ違う。
家族連れ、恋人や友達。
これから彼等は幸福な時間で満ちた場所に還るのだ。
彼女も、そうである。
…だけど僕は。
擦れ違った瞬間、風に袖を掴まれた様な気がした。
引っ張られる様に振り返った僕。
駅の方向に歩いて行く人々が見える。
そして気付いた。
遠くに麦藁帽子の女の子が歩いている。
前を行く、お兄ちゃんらしき男の子の袖を引っ張っていた。
「あの子…。」
かなり以前に見た事が在る、そんな記憶が甦った。
どこでだろう?
ついぞ思い出せなかったが印象には残っている。
あの紅いリボン…。
僕は前を歩き続ける彼女の袖を引いた。
少し驚いた彼女が振り向く。
「えっ、何?」
「ほら、あの子…。」
「あの子?」
「帽子の子。」
そう言いながら指した方に女の子はいない。
若者達がじゃれ合って歩いているだけだった。
誰もキャップすら被っていない。
「いつだったか、前にも在ったよね?
こんな事。」
そうなのだ。
ハッキリと思い出せないが前にも在った。
その時にもボンヤリとしたまま。
何故、帽子の少女に既視感を感じるのだろう…。
彼女は不思議な笑顔を僕に向けていた。
はにかんで。
そしてまた、二人は歩いて行く。
老舗の焼き鳥屋で二人は乾杯した。
相変わらず焼き鳥は塩で注文するのは変わらない。
「帽子と言えば…、覚えてる?」
彼女の笑顔が、恥ずかしそうな表情に変わっていた。
それは以前にデートした時のエピソード。
武蔵境駅で待ち合わせて、デートで遊歩道を歩いた時の話である。
彼女は編み込まれた帽子を被ってきたのだ。
バイト代で買った外国製の帽子で、大のお気に入り。
僕が写真を撮る度に嬉しそうにしていた。
…だが、デートの途中で激しい夕立に見舞われる。
慌てて喫茶店に逃げ込んだ二人だったが、びしょ濡れに。
真新しい帽子も濡れてしまった。
小雨になった駅までの戻り道。
タクシーも捕まらず濡れながら歩いた。
彼女は悔しそうで悲しそうだった。
「あの帽子、暫く部屋に在ったよね?」
「でも、濡れて型が崩れてきたから処分したの…。」
彼女には不運の象徴に見えたらしい。
それ以来、帽子は被っていないそうだ。
彼女と一緒だと時間が溶けるのが早い。
見た目は変わっていても、何も変わっていなかった。
「もし私が二人だったら、金髪に戻したい。
そして…君と一緒に遊んで暮らしたかったな。」
その日のデートの最後の言葉だった。
僕は、その一言を忘れた事が無い。
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