音を頼りに⑧




観覧車に乗ると、しばらくの間は地上に降りられない。 真咲は先に『トイレへ行っておこう』と提案した。 だが見るに女子トイレは長い列ができているし、今現在行きたいとは思わない。


「私は大丈夫。 ここで待ってる」


そう言うと、真咲は頷いてお手洗いへと走っていく。 男子用は混んでいる風には見えないが、それでもしばらく待っていた。 だがその時――――近くから、ふと視線を感じた。 博登かと思ったが違う。 

最悪の相手だった。


―――ッ、ベンチで一番最初に会った人たちだ!


無言でニヤつき、手を伸ばしてきた恐怖が蘇る。 身体が動かない。 こちらへ向かってきているというのに、逃げることができなかった。


―――どうし、よう・・・。


耳が聞こえないことを打ち明ければ、手を出してこないかもしれない。 だが、もしそれが相手にとって、好都合なことだったらという不安がある。 距離を詰める男たち、震える夏々。 

その間に、割って入った影があった。 ――――真咲だ。 両手を広げて守ってくれているのは、夏々の様子が普通ではないと分かったからなのだろう。 男たちに向かって、何かを言い放っている。 

それで二人組は、ようやく諦めたようだった。 真咲は顔を覗き込み『大丈夫?』と尋ねてくる。


「・・・さっきから、迷惑をたくさんかけちゃってごめんね」


それを聞いた真咲は、笑顔を浮かべ夏々を正面に向かせた。 そのままくるりと回転し、変顔を披露する。 笑わせようとしてくれているのだろう。 動物の真似などもやってくれた。 

声は聞こえなかったが、動きで分かる。


―――・・・人には怖い人もいる。

―――でも、真咲やお兄ちゃんみたいな人もいる。

―――怖がってばかりではいけないんだ。


夏々は真咲のおかげで、何とか落ち着きを取り戻した。


「ありがとう」


まだ動物の真似をしている真咲にそう伝えると、彼が顔を赤らめたのが分かった。


『観覧車、行く?』

「うん、行こっか」


元々トイレへ行ったのはそのためだった。 二人は並んで観覧車へと向かう――――その時だ。


「あ!」

『え、何?』


夏々の目に映ったのは、鈴を振りながら不思議そうに見つめている女の人。 服装から見るに、テーマパークの係員なのだろう。


『音が聞こえない。 あれも夏々の鈴か?』


そう言って、歩み寄ろうとした真咲の腕を引き留めた。


「待って。 私に行かせてほしい」

『・・・? 分かった』


いい機会なのだ。 いつまでも誰かに頼ってばかりでは、いずれ壁にぶつかった時に困るのは自分。 相手は知らない人とはいえ女性だし、話しかける難度で言えば低い。 しかもスタッフだ。


「あ、あの・・・。 私、耳が聞こえないんです」

「・・・」


突然の宣言に、女性は最初驚きを見せた。 しかし、彼女もやはりプロ。 一瞬で平静を取り戻すと、姿勢を夏々と同じ高さまで持ってきた。 それだけで敵意はないことが、夏々は分かったのだ。


「その鈴、従兄のお兄ちゃんのものなんです」


言葉足らずではあるが、笑顔で鈴を手渡してくれたことを見るに伝わったようだ。 頭を撫で、手まで振ってくれている。

夏々は自分から話しかけたことに未だドキドキとしていたが、それを見ると安心することができた。 だが、真咲が奇妙なことを言ってくる。


『あの人、夏々のことを知っていたみたいだったぞ』

「・・・え?」

『まさかこんな可愛い子だったなんてね、って言っていたから』

「私のことを知っている・・・」


もしそうだとしたら、鈴は博登が渡したと考えるのが自然だ。 『女の子が鈴のことを聞いてきたら、渡してあげてください』 そんな風に頼む姿が、容易に想像できた。


―――お兄ちゃんが、どういうこと・・・?


考えても理由は分からず、それでも次の鈴を探すしか二人には当てがなかった。



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