池へと招く看板
とある片田舎に旅行したのが運の尽きだった。
「ここ、どこだ」
宿泊しているホテルから一時的に外出して、軽く散歩をするつもりが迷ってしまった。片田舎だけに、森に囲まれているから視界には木と申し訳程度の道路しかない。その道路すら、小さく、いろんな方向に伸びているせいでわけがわからない状態になってしまった。結果、迷ってしまったということだ。
「旅行になんて来なきゃよかった」
死にたくなったから、でも死ぬのが怖いから、一度自分探しの旅にでも出ようと考えたのだ。観光名所だとかに行くのは王道だけれど、王道に行くなら邪道、天の邪鬼な選択をするのが俺という人間だ。
「で、その結果が迷子、か」
来た道を戻っても、そこからどこから来たのかわからなくなる。同じ場所を堂々巡りしているようにしか思えない。まるで俺の人生のようだった。
「ああ。俺の人生こんなことばっかだ」
迷って迷って迷い続けて。目指して挫折してまた目指して。堂々巡りを繰り返して。そして死にたくなって。自身の人生と今の現状を重ねながら憂いていたとき、ふと、『立入禁止』とでかでかと書かれた看板が目に入った。
「こんな看板、あったか?」
見覚えがなかった。しかし、その看板以外見覚えのある景色ばかりが広がっているように思ってしまったから、立入禁止という文字を無視して、立ち入りを禁止されている道へと歩いていった。さっきまでその道はなかったという記憶を無視して。
「ふう」
結構な距離を歩いた。『立入禁止』と書かれているから、何かあると思っていたが、特筆するものは何もなかった。
「結局、ここどこだ」
迷ったままだ。というか馬鹿なのか俺は。一本道とは言え、何の解決にもなっていない。
「……戻るか」
そうつぶやいて後ろを振り返ろうとしたとき、『〇〇池』という看板が遠くに見えた。その瞬間、俺の体は勝手に動き始めていた。
(なんだこれ)
自分の体が勝手に動き出した。抵抗してみようとしても、まったく抵抗できない。コントロールが、完璧に奪われていた。
(やばくないかこれ)
何か、明らかにおかしな現象が起きていることはわかった。このまま放置したら、やばいことになるということもわかってきた。
(止まれ。止まれ。止まれ。止まれ!)
必死に頭で唱え続けても、体を止めようと意識を向けようとしても、体は一向に動きを止めない。しかも、すこしだけ目に入った『〇〇池』に向かっている。
(くっそ。やばい。これはやばい)
池に向かって着実に体は勝手に動いている。ふと、『〇〇池』と書かれた看板の近くを通り過ぎ、『笑顔で』と書かれた落書きと、その先の続きと思われる読めなくなった落書きが目に入ってきた。
(笑顔だって? こんな状況でか?)
ふざけるなと悪態を頭の中でつきながら、必死に抵抗を試みる。その試みも、何の意味もなすことなく、体はついに〇〇池の中へと入っていった。
(やばい。死ぬ)
下半身全体が池の中へと沈み、体の感覚がなくなっていた。
徐々に上半身も沈んでいく。
(嫌だ。死にたくない)
あれほどまでに死にたいと考えていたのに、死がすぐそばに迫った瞬間、死にたくないと思った。でも、無慈悲にも体は池の中へと入水していく。
(こんなことなら、あのとき)
そんな後悔もつかの間、首まで入水してしまったとき、ふと自身の顔が池の水に反射して映る。
歪みきった、ありえないほどの笑顔だった。
(なんだこれ)
歪みきった笑顔。こんな状況で。ただこんな状況で歪みきった笑顔を浮かべている自分に唖然としながら、俺の体は池の中へ入りきってしまった。酸素はなくなっていき、呼吸できなくなっていった。意識は徐々に沈んでいく。そんな沈んでいく意識の中で、
(もう少しだけ、生きたかったな)
そんなことを考えたのを最後に、俺の意識はぷつりと切れた。
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