アルマナイマ博物誌 龍蟲払

東洋 夏

第1話 龍蟲払の再会

 遠い水平線の上に入道雲がわいている。

 龍の長寝時が明けて、今日は快晴。


「あんたたちが来たの」

 クロシュは驚いた。

「悪いかババア。ドクが見たいって言ったんだよ」

「ちょっと何言ってるのトゥトゥ」

「見たいって言っただろ?」

「前半部分の話」

「俺は本当の話をしてる。くそババアはくそババアだ。一片の疑いもない」

「あのねえ……」

 手伝いに来て欲しい、と群島域に報せを回して、いの一番に駆けつけた二人組。

 セムタム界では良い意味でも悪い意味でも有名な凸凹コンビを、揃ってこの目で拝んだのは今日が初めてである。

 良い意味というのはセムタム界に新たな風と話題を提供するからで、悪い意味なのは元・余所者とセムタム界随一の問題児という札付きの組み割合わせだからだ。

 クロシュはまずその片割れ、女性のほうに話しかけた。

はじめましてエンダ・ロー。ドクターさんね」

「はい、あの、はじめましてエンダ・ロークロシュさん。お仕事のお邪魔はしませんので――」

「いいのいいの。知ろうとするのは大事だわ。出来れば手伝ってって。大丈夫よ、簡単な仕事だし、分かってるセムタムが増えるのはあたしも嬉しいからね。知らないままじゃあ、龍たちも困るもの」

 ぱっと顔を輝かせたドクターことアム・セパアという女性は、触れ込みが正しければこの世界の外から来たセムタムだという。

 火を噴く卵に乗って遠い空の向こうからやってきて、セムタムになった。

 クロシュは天晴れな心意気だと思う。

 今までにそうやって訪れた余所者たちは、クロシュのようなセムタムとそっくりな体つきをしているのにセムタムの言葉は喋れないし、龍骨カヌーファッカを操ることもできないし、どころかジュウとかバクダンという武器でセムタムや龍を傷つけようとしてきた。

 セムタムとして正しく生きることを学んだ余所者は、ドクターただひとり。

 <成人の儀>をくぐり抜けて、背中にはその証が彫り込まれている。

 とても勇気のある女性なのだろう。

 いまクロシュの目の前にいるドクターは、評判よりも大人しく、おどおどと緊張してすら見えるけれども、それは隣に並んだ大男のトゥトゥと比べるからに違いなかった。

「で、あんたは送り迎えのお手伝いなの?」

「違わい。俺も手伝いに来てやったんだよ、くそババア」

「トゥトゥ!」

「いいの、ドクター。なんてったって、この子の口の悪さはよっく知ってますからね。トゥトゥ、あんたがヌーナさんとこでおねしょしてた頃からだわよ」

 こんなに小っちゃくて可愛かったのに、とクロシュが膝小僧の辺りを手で示すと、大男は顔をしかめて、喉の奥でぐるぐると唸る。

 クロシュは噴き出した。

「そんな顔したって怖かないわ! あたしにとっちゃ、あんたはまだガキんちょだ」

 むっと押し黙った大男に向かって、ドクターが、

「いつまでおねしょしてたの?」

 と朗らかに尋ねる。

「うるせえなあ」

「セムタムの幼児期についての統計が取れると嬉しいから答えてくれない? あなたが恥ずかしいのは分かってるけど」

「おうドク、何を言ってんのか全然分かんねえよ。ヨージキノトーケーって何だ」

 クロシュは咳払いひとつ。

 このふたりが仲良しなのは良く分かったが、

「手伝いに来たんだろ?」

「あっ、ごめんなさい」

 顔を赤らめたドクターの素直さを、クロシュは気に入った。

「トゥトゥの小っちゃいころの思い出なら、作業が終わった後に教えたげるよ。いくらでもある」

「おいくそババア」

「じゃあ張り切ってお手伝いしますね!」

「おいドク」

「研究の為に必要なデータなのよ」

「頭が痛くなるぜくそったれバハンガ

「まだ覚えてるわよ、あんたがあたしに言ったこと。――俺の側に誰も近づけんじゃねえ、友達なんていらねえんだよ、くそババア!」

「忘れろ。そろそろボケてきてんだろ。優先的に忘れろ」

「その前に記録を取らせてください」

「はいはい、そのさらに前にお手伝いをするのよ、ふたりとも」

 クロシュはふたりを浮き桟橋に導いた。

 桟橋は鮮やかな緑のラグーンを横断し、珊瑚礁を越えてさらに青い外洋に突き出している。

 三人の足が立てる振動を感知した海龍が、その突端にぷかりと浮かんだ。

 今日は五匹いる。

 明日はもっと増えるだろう。

 青い海の上に、お祭りの海跳凧バイルーを流したが如く色とりどりの鱗が光っていた。

 わあ、とドクターが嬉しそうに声を上げる。

 その声を聞きつけて、きゅうきゅうごるごると海龍たちが囁き合った。

 今年は何だいえらく変なのが来たじゃないか、という調子。

「あたしの仕事は、まあ聞いてるだろうけど龍蟲払ファルカレイルって言うんだ。龍の体につく寄生蟲を取る。あたしは海龍専門だね。何故かって、ヌーナさんに教わったからさ」

「ヌーナさんって、あのハナハイ島のですよね」

 ふん、とトゥトゥがつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 クロシュが龍蟲払の仕事を教わったのは、ヌーナからのお礼だったのだろうと考えている。

 おかげでクロシュは日々の暮らしに困ったことがない。

 ヌーナは、クロシュの友人で師匠であり、トゥトゥの育ての親である。

 その正体は年ふりた海龍で、今はセムタムに化けてハナハイ島で暮らしていた。

 クロシュがトゥトゥの面倒を一時期見ていたのは、ヌーナのお手伝いさんとして日参していたからだ。

 トゥトゥのことは息子だと思っている。

 ハナハイ島では親なし子のトゥトゥの存在は有名だった。

 何故なら、親なし子は災厄の証だからである。

 かつて神話の時代に、冥界の魔物は呪いを赤子の形にこごらせて島々に送り付け、セムタムたちの庇護者である龍神を悩ませた。

 トゥトゥはその一例だと思われていたわけである。

 当時からこの赤毛の男の子は手が付けられないほどやんちゃだった。

 どちらかと言うとやんちゃの域を通り越し、うそ寒くなるほど乱暴だった。

 一日一個は家具を壊し、家から脱走したと思ったら近所の子供を殴り倒している。

 しかも理由を聞いても頑として言わない。

 謝りもせず、譲歩もしない。

 発作的にやってしまうのだと、そうクロシュは感じた。

 自分の意志でやったことではないから分からない――ということなのだろうと。

 しょっちゅうクロシュは呼び出されて、方々で謝り倒した。

 慰謝料として配った品物はいかほどの量になるだろう。

 ヌーナの洞窟いっぱいに詰めても、なおはみ出るかもしれない。

 それらの品々はすべてヌーナの持ち物だった。

 龍族は己の財を手放すことを好まないが、それでもヌーナは嫌な顔ひとつしなかったのを覚えている。

 トゥトゥの気性の荒さは周りのセムタムが彼を異物のように扱うからだとヌーナは言い、クロシュは決して育児放棄しようとしない海龍の粘り強さに心を打たれた。

 けれども、その愛に反して常にトゥトゥの根性は曲がっており、最終的には人の舟を盗んで家出してしまったのである。

 消息は風の噂にたまに聞こえてきたけれど、クロシュから連絡を取ろうとはついぞ思っていなかった。

 その子供が、女の子をエスコートしてクロシュのもとを再訪しようとは!

 ちっとも予想していなかった、驚くべき事態だ。

 今日は徹夜して龍神様達に感謝の心を捧げる儀式を執り行わなければなるまい。

「すごい」

 と、ドクターは華やいだ声で言った。

「順番に並んで待ってるんですね」

「割り込みなんかしないよ。この子たちは礼儀正しくてね。ご両親の教育が行き届いてる」

 一番手の海龍が顔を揺らしながらこちらを眺めている。

 その体の大きさは、鼻の先から尻尾の先まで勘定すると十メートルを優に超えるはずだ。

 頭が大きく、その天辺あたりに据えられた零れ落ちそうな目玉もまた大きい。

 あまりにも目玉が大きいので、別名を出目龍という。

 そのままである。

 ドクターに言わせるとカエルみたいな顔だということになるが、クロシュは勿論カエルfrogなるものが何なのか、カエルというのが余所者の道具の名前なのか生き物の名前なのか人名なのかもわからなかった。

 で、その目玉と、考え事と、お喋りの話題とをパンパンに詰めた大きな頭を、ひょろ長い首がいかにも重そうに支えている。

 首の付け根から胴体がぷっくりと膨らんで、丸々とした四肢と櫂のように逞しい尾が生えていた。

 彼はまだ大人の階段を登っている途中の青年期にあたる龍である。

 アンバランスなのはそのためだ。

 毎年クロシュのもとにやってきて、その度に体が大きくなっているのがわかる。

 鱗の色は全身に渡って苔のような緑色。

 ちょっと待っててね、とふたりに言い置いてクロシュは桟橋の突端へゆっくり歩いて行った。

 出目龍がふと警戒したように髭を上げる。

 左の髭がそっと伸びて、クロシュの持った海綿ブラシに軽く巻き付く。

 髭と言ってもクロシュの腕とほとんど同じ太さだ。

「どうしたの」

 と言って髭を叩くと、出目龍は緊張した様子で、

「トゥトゥ、いる」

「ああ、今日はお手伝いに来てもらったの」

「こあい」

「何もしやしないわよ。あたしが見てるんだから」

「やだ」

 あの子はどこまで評判を落としてるんだか、とクロシュはあきれる。

 龍に怖がられるセムタムなんて聞いたことがない。

 悪い余所者を退治して、<黄金の王>アララファル様から直々に成人のオルフを彫っていただいて、立派に成人したと思っていたのに。

 ドクターの目を盗んで龍に乱暴を働いているのかしら、とふと心配になる。

「大丈夫だって。今日はね、トゥトゥを叱れるセムタムがふたりもいるのよ」

「ドックのこと」

「あら、知ってるの」

「ドック、こないだサメをふたつに斬ったから」

「あらあら、まあ」

「生きてるサメ、半分になった」

 大人しそうに見えて、そうね、トゥトゥと張り合うくらいだからきっと度胸が据わってるに違いないわ。

 そうクロシュは納得した。

「約束できる。怖い思いをさせるようなことがあったら、ちゃんと叱るわ」

「うん……」

「あなた、順番変わってもらってもいいのよ。トゥトゥが何もしないってわかったら戻っておいで」

「でもね、クロシュ。みんな、トゥトゥ、やだから」

「あらそう。困ったわね」

 クロシュは振り返った。

 桟橋の途中でドクターもトゥトゥも言いつけをちゃんと守り大人しく待っている。

 決して聞き分けが悪いわけではない。

 ちょっとだけ上半身を傾げてドクターの言葉を聞こうとしている辺り、あの子も「配慮」という言葉の意味は理解しているはずだ。

 クロシュはトゥトゥの成長した姿を見たいと願う。

 それで、龍に優しい口調で言った。

「ねえ、まずは大丈夫かどうか、トゥトゥに近づいてもらうのはどう。いきなり触らないんだったら、ね、乱暴できないでしょ」

「そうかな……」

 手招きする。

 小走りでやってくるドクターの後ろから、上機嫌のトゥトゥがのしのしと大股で歩いてきた。

 出目龍は目を剥いて二人組に釘付けになっている。

 髭に力がこもり、ブラシの柄がみしみし鳴った。

 クロシュが軽く叩いてやると出目龍は恥じ入ったように髭を離す。

「トゥトゥ」

「何だくそババア」

「丁寧に、優しくやるんだよ。分かってるね?」

 けっ、とトゥトゥは吐いて捨てた。

 その顔を心配そうに見上げるドクター。

 出目龍の髭が空気の緊張を読み取るように、ぐにゃぐにゃと空中でくねっている。

「舐めんじゃねえや。俺だってなあ、時と場合ってのはわきまえてんだ。さあ、手早く片付けてやるぜ海龍ども! どいつからだ!」

 トゥトゥは腕をぐるぐると回しながら、ぶわははは、と豪快に笑う。

 その笑顔は迫力と気力に満ち溢れていたが、この場においては逆効果だった。

 怯えた出目龍はどぼんと海中に没し、パニックの伝染した残り四匹も逃げ散ってしまう。

 桟橋の突端から身を乗り出したトゥトゥはかんかん怒っており、

「あっ、何だ、逃げんなよくそったれバハンガ! 戻ってこい弱虫! 一生、かゆくて、臭くて――」

 その長い足の膝裏を、クロシュは思いっきり蹴り飛ばした。

 ぎゃ、と短い悲鳴を上げてトゥトゥは崩れるように海に落ちる。

 高々と水しぶきが上がった。

 ドクターが駆け寄って、桟橋の下を覗き込む。

 ずぶ濡れになったトゥトゥが、海面に浮かび上がった。

 恐ろしい形相をしている。

 今にも誰かを殴り倒さないと気が済まないという顔。

 残念なことに小さな頃と全然変わっていない。

 クロシュにとってはちっとも怖くない顔なのだが、他の生き物にとっては暴力の象徴みたいに見えるだろう。

「トゥトゥ、あたしは言ったでしょ。優しくって」

「俺は一言も乱暴するなんてこと言ってないぜ」

「そうね。だけど――」

「あいつらが勝手に俺を嫌ってんだ」

 ちくしょうバハンガ、と、トゥトゥは呟いた。

 その表情にさした影があまりにも寂し気で、クロシュは虚を突かれる。

「俺だってな、嫌われてるのは知ってるんだ。でも」

 ドクターがクロシュの横から手を伸ばして、トゥトゥの額をつんと指で触った。

 お母さんにたしなめられた子供のようにトゥトゥは目を上げる。

 瞬きをした、海の深いところの青い色をした瞳から、今にもぱらりと涙が流れ落ちそうだった。

 クロシュは驚いている。

 そんな顔をするのか、と。

「トゥトゥ。頭、冷やしてくる?」

「……ああ。そうする」

 ざぶんと潜水したトゥトゥは、そのまま桟橋にも上がらずに身一つで珊瑚礁を乗り越えて、浅瀬へと泳ぎ戻っていった。

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